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2013-08-01 [長年日記]

[煉瓦工場] 西播煉瓦@神崎郡香呂村

やっぱり書いとかないと忘れそうだ。書いておけばあとで楽できるだろうし。

画像の説明昨日の電車に忘れ物をして、それが姫路駅まで行っちゃってることが、家に帰り着いてから判明した。翌日それを取りに行かねばならなくなり……。それだけの目的で往復電車代すうせんえんを支払うのは、例え自分の不注意に起因することだとしても(や、そうだからこそなおさら)癪だ。あれこれ考えた末、香呂の西播煉瓦跡へ足を伸ばすことにした。この雨の中。

開戦直後の工場は香呂200番地にあったという。その場所も特定できていた。しかしその場所には立派な屋敷があるばかりだった。煉瓦が使われているようなこともない。これじゃあなぁ……ということであちこち尋ね歩くことにした。昨日怖じけてピンポンできなかったことの反省の意味も込めて。kousenさんを見習わなきゃ。

最初は商工会に行ってみたが手がかりなし。香呂駅西には姫路市立図書館の分館があったりもするが月曜日は休館だ。仕方なく引き返して200番地の周辺で聞き込みをした。角の商店で話し込んでいる方がいたので、「すんませーん……」と割り込んで。親切な方々で良かった。

・工場はいまの市民プールの場所。現200番地とは線路を挟んだ対角線上だ。

・今から15年ほど前まで工場があった。その頃はマサ(真砂土=風化花崗岩の粉末。園芸土や紙漉きの添加物に使われる)を作っていた。いま市川でマサを作っている会社の分工場だった、というようなことを仰ってた記憶がある。

・近くに住むOさんがその工場に勤めてたから聞いてみなはれ。

という流れに。こんな感じで強制的にピンポンしなければならない状況に追い込んだほうがいいようだ。自分の場合は。

そうしてOさん宅を尋ねてみた。確かにその工場に勤めておられたそうで、それ以前は別の工場に勤めていたが、昭和25年に呼ばれて移ってきたという。戦前戦後に耐火レンガを作っていたことは知っているけれども、それ以前の赤煉瓦を作っていた頃は詳しく知らないと仰る。確かに文献では昭和13年版から東亜耐火工業所に、同24年版では片上耐火煉瓦(株)香呂工場になっている。昭和26版より後は載らなくなるのでこの頃マサ製造に移行したのだろう。

岡山や相生に大きな耐火煉瓦工場があったことを教わったり、赤煉瓦の製造史のことなどを話題にひとしきり話して辞した。大変参考になったピンポーンだった。Oさんにとってはいい迷惑だったかも知らぬが……。

画像の説明

その足で線路の西側の工場跡地へ行ってみる。相坂隧道の煉瓦は駅の西側にあった工場で焼かれたと言われているが、その通りの立地だったわけだ。但し現在はご覧のとおり。市民プールがあり、その南に幼稚園保育園を建設中で、周囲にも工事現場にも煉瓦が転がっているようなことはない。

画像の説明市民プールの西方から東を向いて撮影。まあ、こんなところである。足元の道を西へ向かえば相坂隧道方面に出られる。そこで使う煉瓦を作るにはまあ悪くない場所だし、何より播但線のすぐ隣だから遠方への輸出にも向いていただろう(実際西播煉瓦の製品は姫路・阪神方面ばかりか鳥取島根にも送られたらしい。えっと、それはどこで読んだっけ?)。

さあて、ここからどうするか……。アテはここまでしかついてない。残りは直感で歩きまわるしかない。というわけで足が向いたのは相坂隧道方面。そこまで登るつもりはなかったが、なんとなくそっちの家々のほうが古いように思えたので。

[煉瓦刻印] 推定西播煉瓦(「セ」刻印)

その直感は正しかった。途中の路傍で見かけた煉瓦に「セ」の刻印があったのだ。お前はゴッドハンドか!と罵りつつ拾ってみる。裏表に「セ」が刻まれていた。セイバンのセ、と考えたいところだが、印南郡の関野煉瓦の刻印である可能性もゼロじゃない(工場跡地では煉瓦すら見つからなかったからな)。けれども西播=「セ」だとすると、以前生野で見た「セ」刻印との繋がりも見えてくる。播但線で北へ進めば生野なのだから。

作業者の識別符丁とも考えにくいな。47人分も割り振り切ることはまずないだろうし、他のイロハはこのへんでは見かけなかった。

いずれにしても、播州の煉瓦工場はカナ一文字が流行だったようだ(除く大正煉瓦)。大阪の煉瓦業者が幾何学模様の組み合わせだったのと似ている。

[煉瓦工場] 続・西播煉瓦@神崎郡香呂村

さらに煉瓦を求めて西へ。路傍に煉瓦を見るたびにひっくり返してみるが「セ」刻印は見つからなかった。手成形であっても無刻印だったり。確認した煉瓦の個数分の刻印数を計算すると客観的なデータになることに気づいたのだが、時既にお寿司だった。

画像の説明山際の集落のところまで来た。あてもなく路地裏へ入り込んでいった。そのほうぼうで煉瓦と遭遇した。最初の出会いは写真の煉瓦壁。結構な年代物らしく手成形の歪んだ煉瓦が使われている。笠石の裏を覗き込みつつ歩いたが刻印は見つからなかった。

画像の説明

これだけでも充分な発見なのだが、もっと上をゆく発見が。お寺の下の路地裏ではさらに見事な煉瓦壁。こんなところにこんな近代風が吹いているとは誰も気がつくまい。

画像の説明

しかもこのお宅、大路地側にも煉瓦壁が築かれていて、こんなアーチ門になっていさえする。左のアーチは大路地から屋敷の庭の高さにあがる階段があり、右は倉庫か何かに使っていたものらしい。路地側の目に付く場所には上等品の煉瓦が使われていて見栄えを意識していることがよくわかる。

この2軒のお宅は、あとでピンポンした。前者はちょうど奥さんが帰宅されたところに出会えたが、もう何代も変わっているので詳しいことはわからないとのこと。立派なアーチ門のお宅は留守であった……。残念。

後者はぜひとも話を聞きたかった。なぜなら、

[煉瓦刻印] K8@姫路市香寺町香呂

K8@姫路市香寺町香呂煉瓦刻印

壁には「K8」刻印煉瓦が使われていたからだ。見える位置にある刻印すべてが「K8」。後ほど在所の別の場所でも「K8」の転石を見た。このエリアでは「K8」優勢なのだ。

共同販売用説に則ると、西播煉瓦がK8を作っていたのでは? という推測に行き着く。お宅の方が煉瓦の出処を知っていれば(例えば駅西の工場で焼いたやつだ、とか)、説の裏付け&n=8の場合を証明できる。そう思ってピンポンしたのだが、月曜昼2時なんて、フツーは誰もおらんやろね……。

[煉瓦刻印] 一&三@姫路市香呂

 一&三@姫路市香呂煉瓦刻印

在所の中の転石には、むしろ写真のごとくな刻印が多かった。これだけではただの棒線だが、

画像の説明

これを見ると漢数字だったことがわかる。

そうして「セ」が1つも見つからなかった。やはり「セ」=西播ではないのだろうか? それとも時期によって使用刻印が違うのか? 大正6年から昭和11年頃という比較的長期間操業していた工場だから、いろんなパターンがあってもおかしくないだろうが……。

少なくとも、西播ノットイコール○Sだとはわかった。

[煉瓦刻印] ○S@神崎郡四郷村本郷

○S煉瓦刻印

昨日の見野行きで○S刻印を発見していた。同じ刻印煉瓦を伊丹市で採取している。頭文字がSの会社だろうと想像していて、その候補の1つとして西播煉瓦もあったのだが、香呂では○Sに遭遇しなかった。

こんな地味な絞り込みを続けていけば、いつかは答えに辿り着けるだろう。

[KINIAS][ネタ]

http://megalodon.jp/2013-0801-1313-43/www.nnn.co.jp/news/130801/20130801006.html


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