nagajisの日不定記。
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長浜み~なの編集部さんから御礼が届いた。本当は昨 日届いていたのだけれども留守してて受け取れんかっ たのだ(宅配でくるとは思ってなかったもん)
中身はこんな洒落たグラス×2。そうか、いま長浜っていったら黒壁スクエアのナガハマなのだなあ。まともなコップ?がないので丁度よい頂きものとなった。ありがとうございます。
表紙は観音坂隧道。こういう「使われている姿」こそサマになる。素敵なチョイスではないですか。(残念ながら今は旧道化して資材置き場になっちゃってるけどね。時代が隧道を追い越してしまったのだよ、仕方ない仕方ない)
ちうわけで編集部サイトから通販で買えます。よろしければぜひ。よろしくなければなおさらぜひ。
恥ずかしい経験は書いて晒しておくに限る。そうやって罪滅ぼしをしようという魂胆である。
今から4、5年も前に豊中市立岡町図書館で『大阪川口居留地の研究』という本を借りた。確か川口幼稚園の壁と富島天主堂の関係を調べるために借りたのだと思う。そうしてそのまま長いこと借りっぱなしになっていた。借りている間に図書館カードを無くしてしまい、図書館じたいから疎遠になってしまったというのもある。ある程度の理由はあるにせよまあそれは言い訳でしか無いだろう。
そんな私がつい最近、岡町図書館で国立国会図書館のデータ送信が利用できるようになったことを知り、また通い出すようになって、急にカードの再発行の要が出てきたのだった。んでもって、借りっぱなしの本を返さねばカードの再発行ができないことを知った(当たり前だ)。 なんとも現金なハナシである。
慌ててその本を探したのだけれども……どこへ仕舞ったものか、どうしても見つけられなかった。借りていることを忘れないようにと、手近の棚のところに置いていたのは確かなのだ。いつも見る所に置いていたはずなのだ。そう思って頑張って探したけれども、やっぱり出て来ない。
そのうちふっと「捨ててしまったような気がする」と思い至った。余りに長いこと借りていてーーーその罪悪感のあまりに突発的に隠蔽工作に走ったような記憶が湧いてきたのだ。そうしてそれが揺るぎない事実のように思われ始めて、仕方ない、買って弁償するか、ということになった。
ところがこの本、べらぼうに高い。あらゆる手練手管を駆使しても、諭吉さん2人と一葉さん1人を要するような本であったのだ。確かに川口居留地のことをまとめた本は非常に少ない。それだけの価値がある本だとは思う。そんなものを借りっぱなしにしていた罪を今更ながら思い知ったわけである。
いろいろ悩んだ末……おとなしく買って弁償することにした。悪いのは私なのである。長年借りっぱなしにしていたうえに紛失してしまった罪は、いつかどこかで償わねばならぬ。それが今だということである。
そうして代替本を入手し、去る日曜日の午前中に返却しに行った。まるで善い行ないをしたかのような気分になり、その足でカレー屋へ行ってカレーを食い、さらに神崎川橋梁を見に行ったりもした。
それで話が終わるのならこんなところに書いたりはしない。情けない続きがあるのである。
夕方に帰宅して、何気なく部屋の片付けを始めたところ、証拠隠滅したと思っていた該本が出てきた。
出てきてしまったのである。
なんだかなあ、というシチュエーションである。
漱石さんor英世さん25人分の本を購って、図書館に収めて、本来なら何も手元に残らないはずだったわけで、図書館ラッピングが施された同じ本が手に入ったと思えばまあ損ではないだろう。けれども根が貧乏であるせいか、だんだん勿体無く思うようになった。25英世さんを失って手元にあるのが図書館除籍本なのか、と。件の賠償本はついさっき渡したばっかりなのだから、まだラッピングや蔵書印押印はされてないんじゃないか。この出てきたほうの本を返却すればラッピングやラベルの貼付の手間を省いてもらえるわけで、何も自分限定の損得の話ではないのではないか。と、まったく都合の良いことを考えたわけである。
月曜日は休館日だから、火曜日朝一番に電話をした。予想通り受け入れ処理はまだだった。借りていた方の本が出てきたこと、そっちを渡して弁償したほうの本を引き取ってもいいだろうか。そんなことをいけしゃあしゃあとお願いして、無事、諾していただくことができた。
そうして今日、その交換を済ませ、25英世さん出して買った方の『大阪川口居留地の研究』が手元にある。
なんのことはない、図書館に余計な面倒をかけただけである。みみっちい自分を再認識させられただけである。世の皆さんはこんなことをしてはいけない。
これでこの本を読まずに死蔵することになったら本が可哀想である。それこそ無駄である。ちゃんと読まなければと思う。そもそもこの本を長く借りていたのはどの編も興味深く濃厚な記述なので何度も読み直さなければならねえと思ったからであった。そのくせ手元に置いておくばかりでじっくり読み直してはいない(借りっぱなしの本だという罪悪感がそうしたというのもないではない)。だからなおさら読まねばならぬとぞ思う。しかしそんな高価な本を気兼ねなくおいそれと開けないような気もしている。ううむ。
今まで買った最も高い本は銀輪’94であった。1諭吉さんした(これは新入生用の余剰分が上乗せされた価格だったが)。8英世さんだったのはシュポルスキーの原子核物理学だっけ。敏せんせの炉物理テキストもめっさ高かった気がする。しかし諭吉さん2.5人分なんて人生初だぞ。さあどうするよ。
8/2追記。御礼のメールを送る前に御礼メールを頂いてしまつた。上記を書いたところで疲れて寝たんである。頭スッキリさせてから送るべしと思ったんである。己の非道行為を隠し立てなく喧伝しておく非道のnagajis。
頂いたグラスはなかなかどうして瞠目させられる効能があった。底に青い色が入れられているので水を入れるとその青が映る。蛇口から汲んだ水道水でさえ、まるで青い飲み物のように見えてまことに涼やかだ---ここでカクテルの名前なんか出したらサマになるのだろうが野暮いnagajisの頭にはブルーハワイという単語しか浮かんでこなかった。かき氷シロップを直飲みすんなや---。
昨日ここを書いている時にキーボードのIキーの下に何かが挟まってしまって反応しなくなったので無造作に取り外して無造作にはめたら90度回転の状態で押し込んでしまってそのせいでツメを折ってしまった。キーの上下動をガイドする兼取れちゃう防止のツメである。
PC本体の性能には無頓着な私だけれども、キーボードだけはApple Pro Keyboardでなければならない。最近のアイソレートのやつじゃなくてG4 Graphiteあたりについてきていた(黒)である。これでないと困るのである。あのふしゃふしゃした柔らかいタッチでないとだめなんだよ。あれにシリコンスプレーふって一切のフリクションをなくしたやつでないとならんのだよ。
いま使っているのは何代目だろう。MacでORJを作っていた頃からずっと使ってきた最後の一台(Windowsでもレジストリいじって使っている)。年を追うごとに入手困難になっていって、ジャンク屋で見かけるたびにスペアとして購入していたけれども、その最後の一台のツメを折ってしまった。今のところ顕著な違和感は出ていないけれどもそのうちガタがきて「機械化に起因する怒り」を「っかいかにきんするかり」とか誤入力したりするようになるんだろうなと思うだけで嫌になる。困ったことである。
あと一本予備の(白)があるにはあるが、キートップの素材が異なるせいか微妙に感触が違くて埃を被っている。新たに贖おうにももうPC-NETはこの世にないのであった。萌えとゲームに席巻された日本橋の、いったいどこでApple Pro Keyboard(黒)を入手せよというのだろう。
……そうはゆーけれども多分あんまり使わない他のキーのキートップと入れ替えて使い続けるとかするんだろうな。この貧乏人め。しみったれme!
Apple Pro Keyboard(黒)<br>中古(当たり前かな)じゃダメなのかな、マックパラダイスにあるが余計なお世話かな?
あるところにはあるんですけどね…やっぱり実物をみて判断したいではないですか…。<br>一台980えんで買えていた頃を知っていると、なおさら躊躇しまする。
失くしてしまい色々と策を弄した挙句、どれも解決に至らず仕方なく正攻法で解決した直後に紛失物が出てくるのはよくある話。<br><br>暫くぶりにニヤニヤしてしまった。←