nagajisの日不定記。
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張子の虎さんから原稿のバックをもらう。メールを受け取るこのマシン、この文章を書いているBeOSでは確認することができぬ故、明日の朝Macに移して取り掛かろう、と思った昨日だったのだが見事に寝過ごしてしまつた。明日こそはちゃんとかかります、ゴメンナサイ>張子ノ虎サマ。(あ、無事に受け取っていますので。1日前の25日までには校了まで持っていきますから)
明治隧道の作っちゃったレポは、無理にくっつけなくても「喪われた〜」とか別の企画にして同じ号に載せればいいんじゃね?と思ったり。しかしそうすると文章の構成から変えないといけないので大変なのは変わらない。
今さらだが、連載企画にはそれぞれのコンセプトを設けているつもり。例えば「廃道を読む」なら(役に立つかどうかは別として)廃道蘊蓄資料という位置付け、「喪われた〜」はルポとは対極にある静かな読み物として。現状の作っちゃったレポはレポそのままなので、「喪われた〜」のタイトルつけて終わり、という訳にもいかないのだ。しかも2つあるうちの1つは明らかに「喪われた〜」にそぐわないテンションで書いてしまっている。一度書き上げた文章を手直しするのはとても苦手なnagajisだ。
最悪の場合、禁じ手の「倶樂部報告書pdf版」でゆくかも知れない。そこまでして載せたいルポか?と言われるとちょっとアレだが。でも、まあ、あれは、誰かに教えたくて仕方がないのだ(笑)
それより江浪峠だよ。どうするよあの中途半端な探索。廃道を読むまで書いて時間が余ったら考えよう。。。と言いつつ一方で「自転車旅行の理論と実践」というネタ企画(しかも廃道とは何ら関係がない)を思い付いたりしているダメな自分。ハイテガーはどこへ行ったのやら。千町峠で頭冷やして来い。
もう一つの作業は協賛リンクの作成。溜りに溜ったリンクをまとめてupする予定。只今査定中。お待たせしてすみません>各位
奇妙なポテンシャルはあくまでもそのポテンシャルに価値があるのであって、説明し切れてしまったり現実のものになってしまったりしてはたちどころにその輝きを失ってしまう、という性質がある。それはちょうど可食性インキを使って餅を描くのに似ている。絵に描いた餅は喰えないからこそ価値があるのだ。愚挙と断じて然るべき行為であり、謹むべきものである。
そうして昨年暮れの先行販売は、実は元ネタがあったことを告白せねばならない。そのかわりネタの出所はあくまでも自分自身であって、全ての責が私にあることに変わりはない。
2002年の夏、秋田県仙北市。通称源太坂にて。実際にやってみて余りに居たたまれなくなり、このまま立ち去った。
YouTubeに上げて、さらに後悔した。