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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1943-05-30 アッツ島玉砕 この日を編集

[陸幼日記] 五月三十日 日 曇

六・三〇起床。愉快なる日。何となれば午後松元が自宅療養より三ヶ月振りに帰りし故なり。何となく之から松元と共に励むことを思えば奮い立つなり。然し一方残念なりき。アッツ島の戦況不利にして島を奪取せられし故なり。十九時此の発表を耳にして我らは黙頭〔祷〕を奉げ然〔而〕して 神武必勝の下勉励せんと決す。日本軍は今や大攻勢に出ずるべきか力を養いつゝあり。必ずや大決戦行われて勝つことを信ず。午前中始末を終え午後休養したり。良好。


2007-05-30 この日を編集

[ORJ] 次号も遅れます

 月末にかけてヨッキれん氏が出張。TUKA氏もそれにお付き合い。というわけで編集部が機能せず、3日まで延期します。例のごとくで申し訳茄子。他の原稿はみなできてるんだけどね。いや、nagajisのhyはできてないか。

[独言] 近畿産業考古学会 見学会@加古川

 去る日曜日に近畿産業考古学会(KINIAS)の見学会が開催された。ナガジsも会員になって初めて参加した。

 いやー、なかなか面白かった。分別のある、かつ好奇心いっぱいのイイ大人が10数人、寄って集って産業遺産を批評する。こんな光景はそうそう見られない。結構気ままに歩き回って、特に拘束されたりすることもなく(密かに自己紹介させられたりしたらどうしよかと思っていたけれども、そんなこともなく。ただし神吉先生や岡田先生とはちゃっかり名刺交換してきたりしたのだった)。詳細はまたいつか報告したい。ここでは概略をば。

 午前中は加古川市の日本毛織株式会社・加古川工場を見学。明治の末から大正にかけて作られた煉瓦造りの工場建屋がよく残っている。ちゃんと工場の方が付き添って下さり、現場視点で解説もしてくださるという(自分にとっては)非常にゴージャスな内容。もうこの時点で鼻血が出そう。

 ニッケというと大きな煉瓦塔が有名だけれども、これがある建物が最初に作られた第一工場(明治32年竣功)。一つの建物の中に動力室や作業場などが一体となった構造になっている。続いてその西側に第二工場、東南に第三工場が建てられた(川向こうの印南にも印南工場が作られている)けれども、第三工場は廃止となって、今のニッケパークタウンになっている。

 よく工場のイラストでノコギリ状になった絵を見かけると思う。自分もそんな工場をよく描くのだけれど、実はこのノコギリ状の工場って、ここのような織物工場を模したものだったりする。ふんだんに光を取り入れるため、垂直になったところに窓があるのだ(窓はすべて北側を向いている。南ではなく。これは一年中安定した日光を取り入れるための工夫)。

 工場の大部分が建設当時の煉瓦造りのまま。「どこを向いても煉瓦建屋」状態なので、一見するとどれも同じように見えてしまうが、仔細を見ると決してそんなことはない。建屋の性質によって構造が違うのはもちろんのこと、軒下のデンティルのつけ方が建物ごとに微妙に変えられていたり、丸窓の作り方、窓枠の作り方が異なっていたりと、小さな発見が続々。一人鼻血ブーになりそうなのを抑えてみなさんの後ろについて回った。

 午後は山田疎水の平木橋へ移動。山田疎水は稲美・加古川の台地を灌漑するために作られた疎水路で、平木橋はその末端に位置していた水路橋(大正4年竣功)だ。日本でも稀に見る構造・特徴がある橋なのだけれども、東播磨南北道路の工事区間と重なってしまい、移設されることになっている。実はその保存運動を推し進めた先生方がKINIAS会員であり今回の見学会でも解説してくださったのだった。これで鼻血が出ないほうがオカシイ。そんなこともないか。

 平木橋は建設資金のすべてを地元負担で賄ったという、地元の人による地元の人のための水路橋。聞いたところでは1軒当たり平均年収の3倍近い借金を背負ってまで作ったのだとか。しかし灌漑の最末端にあるせいでほとんど水が回って来ず、下流にある溜池が満杯になることはなかったそうで、建設直後から忘れられたような存在だったと言われている。それでも先生方が積極的に働きかけ、地元の方々と保存運動を繰り広げて、その結果として移設保存にこぎつけたのも、地元の人々が独力で作り上げたという「土木遺産」であるからだった。

 平木橋の技術的な特徴。何と言っても、アーチのライズとスパンの比が1:5という超スレンダーなアーチ。これだけアーチが浅いと施工や設計も大変だったろうし、ちょっとのズレにも敏感だったろうが、阪神大震災でも倒れることがなかった。縦横を交互に組み合わせたアーチ環の工夫が効いたのかも知れない。

 側面に「HIRAKI AQUEDUCT 1915」という銘板が張られているのもユニーク。橋側面に銘版があるのも珍しいが、そのうえに英語表記になっているのは全国でもここだけとのこと。設計者の自由な発想がそのまま具現化されていて、とても面白く感じた。

 平木橋は今年の9月から解体が始まり、来年には下流の池に移設されるとのこと。ただし池の中に小島を2つ作ってそこにモニュメント的に飾るという、あんまり橋らしくない方式になる予定。予算的にもこれが限界、といった所らしい。何しろ最初は解体撤去で済まされるところだったのだから、残されることになっただけでも素晴らしいことだと思わねば(そこまで持っていった先生方・地元の方々の努力や推して知るべし)。

 最後に、短い時間ながら周辺の水路跡を散策。ひとつは平木橋の下を通っていた江戸時代の水路跡(そうそう、平木橋はこの水路を跨ぐためのもの。水路の立体交差だった訳だ)を辿って下流の池へ。ここは昭和に入って使われなくなったため、今は草ぼうぼうの広場でしかない。続いて平木橋の上流方向へ。道路を挟んで反対側にある民家の庭に煉瓦の煙突みたいなものが建っている。これが実は水路に関係する遺構だ。このへんは土工協のこのページを参照されたし。

 山田疎水はこの辺りでは土手の上を通っていた。地面からおよそ2〜3mほどの高さ。これが2つの道路と交差するために、この付近で「逆サイフォン」になっていたという。その逆サイフォンの遺構だ。

 お言葉に甘えて、井筒の上に登ってみた。覗き込むと確かに底のほうに水が見える。おおお、これがあのエントツの中かー。フツーに一人で探索してたら、決して見ることなどできない光景。気分はもう有頂天である。

 そうして加古川駅にて解散。この日は特に何も無く、三々五々散っていく皆さんだった。自分はこれくらいサッパリしたほうが好きだな。次回もぜひ参加したい。

[pdf] 画質・解像度の最適化

 ちょっと思うところがあって、Distillerのパラメータがどれだけファイルサイズに影響するのか調べてみた。原稿ほっぽってそんなことしてていいのかと思いつつ。

 Distillerの画像圧縮には「画質」と「解像度」、それに圧縮方法のパラメーターがある。圧縮方法はJPEGかZIPを選べて、JPEGの時は画質を最低〜最高までの5段階に設定できる。これはJPEG画像の画質設定と同じものだろう。ZIPを選ぶと4bit、8bitが選べる。これは色のビット数?らしい。そのそれぞれで解像度が設定できる。

 ORJではふだん100から300までの解像度で作っている。そこで同じページを100、150、200、300の解像度で、画質をそれぞれ変えた設定でDistillerにかけた時、出来上がったpdfのサイズがどうなるのか、実際にやってみることにした。

 前提条件として「テキストが主で画像は画面の1/4程度」というページ(P2)と「画像メインで5点ほどの画像で画面が埋まっているページ」(P4)を用意。eps形式で保存して、フォント埋め込み、テキストとラインアートの圧縮をonにして「画質」「解像度」などのパラメーターを変化させたDistillerに通す。

画像の説明

 上図は解像度を固定して画質を変化させた場合のファイルサイズ。ちょっと端折って解像度200、解像度150のものは画質「最高」「中」「最低」の3種類だけにした。

 解像度が同じだと画質が高くなるにつれてファイルサイズが大きくなるのは当然として、正比例ではなく2次関数的に増加しているのがわかる。これで見ると300dpi/画質「低」と200dpi/画質「中」、150dpi/画質「高」あたりがほとんど同じサイズになっている。むやみに解像度を上げたり画質を上げたりしても意味がないということだ。

 解像度が高ければ高いほど拡大できるので、小さな面積を占める画像は高解像度にしたい。逆に扉一枚を画像にするような大きな画像の場合は解像度を下げたいところ。しかしDistillerではページ単位でしか指定できないから、大小の画像が混在しているようなページを作るときに苦労する。大きめに作って不必要なものの解像度を下げるなどの工夫が必要。

画像の説明

 「圧縮」のパラメーターをZIPにした場合はどうなるか。解像度を固定して画質を変化させたものにZIPを選んだ場合を並べてみた。解像度100の場合はZIP4bitはほとんどJPEGの「最高」と同じ。ただしZIPでは色が間引かれるようで、出てくる画像はなんとも情けないものになってしまう。ZIP8bitは本当に圧縮してるのかと思うようなファイルサイズに。画像多目のP4だとJPEG/画質「高」よりも大きくなる、Zip8bitでは爆発的にファイルサイズがデカくなる。

 「圧縮」のパラメーターにはもう一つ「自動」というのがある。場合によってJPEGとZIPを使い分けるらしいのだけど、実際に比べてみると、解像度100の時にはZIP4bitに近いものに、300の時にはJPEGに近いものになった。出力されたpdfもそんな感じの色になっている。一見すると賢そうな「自動」だが、出力がぶれるという意味で使い物にならないと思う。

 自分の参考のために、作成したpdfを一枚にまとめ、画像部分だけを切り抜いて並べた画質と解像度の関係がわかるようなpdfを作ってみた。出力は解像度350/ZIP8bitにしたので元のpdfの画像とほぼ同じものになっているはず(JPEG「最高」では少しダウングレードされてしまう模様)。お暇な方はどうぞ。

 末尾のページはZIPがどんな場面で役立つのか試したもの。A4サイズにPC画面のキャプチャ3枚を貼り付けたものをpdf化して並べている(キャプチャは解像度300にして100%で配置)。これを見ると解像度200まではZIP4bit>JPEG「中」で、300dpiではこの関係が逆転している。解像度が高くて色数減になってもかまわないような画像の場合はZIPが使えるのかも知れない(が、やっぱりJPEG「低」くらいでも充分使えているし小さくなる)。特に今回はグレースケールの場合にどうなるかを試していないので、こういう場合には使えるのかも。(あ、200/ZIP4bitと8bitが300のになってるっぽい。また今度直します)


2008-05-30 作業報告 この日を編集

[ORJ] 何故?

何故か何故廃道なのかを書いている。少し違う風味の記事があったほうがいいという思いから。テーマは廃隧道との出会い。いつも以上にくどくなってしまって苦労している。もうちっとスラスラ書けんものかいな>nagajis。

明日辺り、地形図をコピーしてこなければ。今日は探近土の続きをして、できれば終らせる。

[独言] 私を畑隧道に連れてって

・・・。単なる年代の符合で、想像でしかなかった想像が、少し、現実味を帯びてきた。浦和図書館のSさんにはこの場を借りてお礼申し上げたい。

情報を得て、改めて埼玉県の水害史と照らし合わせてみる。総務省消防庁の「災害伝承データベース」が添付史料が豊富で有難い。

http://www.saigaidensho.soumu.go.jp/

行方不明だったパズルのピースがどんどん埋まっていく。大きなシマを繋ぐ重要ピースは行ってからだ。

にしても4〜5人同時に探さなきゃいかんってのは大変だ。半日で読み通せるものかは。少なくとも畑隧道へ行く暇はない。

何となくFacebookを作ってみた。以上。


2009-05-30 きたくぅ この日を編集

[独言] お疲れさまでした

彦根の平和堂で晩朝昼の買い出しをしたのにその荷物を置き忘れてカツオの刺身やらカレーやら鯖の煮付やらをフイにしたり(というのはnagajis限定だが)雨降ったりすれ違ったりゴムボートがパンクしてたりパンクしたりといろいろありましたが無事終了・帰宅しました。お疲れさまでした&ありがとうございました>皆様。あと、車の中にゴミを置き忘れてきてしまつたのでは>元自衛官さま。ごめんなさい(汗 

#&長文考察ありがとうごじゃいました。

詳細は明日の柱本が終わってから(また行くのかよ!というツッコミは不粋)。今回の拓本は、ちゃんと処理したいなあ・・・。

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ yokkiren [車内のゴミと言えば、去年の夏の合調のあとで私の車の中に、汗まみれのバンダナとか、スイカみたいなICカードとか、何かとか、色々残っていたことを思い出した。何も言わないからそのままにしてあるよ(笑)。]

_ みつ [ぎりぎり間に合って幸運でした。 あれから2時間ほどで布目ダムに着いたのですがやはり雨に降られました。 んで、それはイコカカードかと > スイカみたいなカード]

_ nagajis [何のお構いもできずすみません>みつさん。あと1時間早ければ載っている最中に空気が抜け始めて慌てふためくnagajisが見れたんですが。 で、自分はカードを使わないので微妙に心当たりが・・・。バンダ..]


2011-05-30 この日を編集

[] 例規類纂第一巻・道路 民有の道路

すこし勘違いしていたところがあって、明治初期には官有でない道路という区分が確かにあった。すべての道が官有地だったわけではない。原文は後回しにして区分を表にするとこんなかんじ。

地券 地租 地方税
(区入費)
摘要
官有地 第一種
皇宮地(皇居離宮等)
神地(伊勢神宮山陵官国幣社府県社及び民有にあらざる社地)
但此地にある官舎を貸渡すときは借地料を賦すべし<八年七月二日第百十四号布告にて改正>
第二種
皇族賜邸
官用地(官院省使寮司府藩県(本支)裁判所警視庁陸海軍(本分)管其他政府の許可を得たる所用の地)

(府県所用地は×)
× × 但此地にある官舎を貸渡すときは借地料を賦すべし<八年七月二日第百十四号布告にて改正>
第三種
山岳給料林藪原野河海湖沼地沢溝渠堤塘道路田畑屋敷等其他民有地にあらざるもの
鉄道線路敷地
電信架線柱敷地
照明台敷地
各所の旧跡名区及び公園等民有地にあらざるもの
人民所有の権理を失せし土地
民有地にあらざる堂宇敷地及び墳墓地
行刑場
× × × 但人民の願により右地所を貸渡すときは其間借地料を納しむべし
第四種
寺院大中小学校説教場病院貴院等民有地にあらざるもの
× × × 十二年九月十一日第三十四号布告にて改正。それまでは区入費を賦課する
民有地 第一種
人民各自所有の確証ある耕地宅地山林等
九年六月十三日第八十八号布告にて民有地第二種を第一種に合せ第三種を第二種と改正
第二種
(明治13年以降第一種に包含)
人民数人或は一村或は数村所有の確証ある学校病院郷倉牧場秣場社寺等官有地にあらざる土地 一人民数人或は一村或は数村所有の確証ある学校病院郷倉牧場秣場社寺等官有地にあらざる土地を云う
但此地売買は其所有者一般の自由に任すといえども潰地或は開墾等の如き大に地形を変換するは官の許可を乞うを法とす
第三種
(明治13年以降第二種に繰上)
官有にあらざる郷村社地及び墳墓地等
民有の用悪水路溜池敷堤敷及井溝敷地
公衆の用に供する道路
× × 「公衆の用に供する道路」は十三年十月五日第四十三号にて追加

ということで官有地の道路(官有地第三類)と民有地の道路(民有地第二類)とがある。ややこしい。しかも「民有地である公共の道路」という定義。地籍調査が始まった頃に所有者が不明確で官有地となったものや、民有地に新道を作り上地して、その対価として旧道敷を下げ渡された場合は官有地、下げ渡しがなかったり持ち主が民有地としておきたかった場合は民有地ということらしい。どのみち地租がかからないので、官有地か民有地かで異なる扱いが何か関係しているのだろう。官有地は官が勝手に弄る可能性があったとかなんとか。いや違うか、所有者が売買譲渡できるか否か、か。

つまり何が言いたいかというと、国道県道里道の他に「官有地の道路」「民有地の道路」という区分があって、後者は国県里道ではない「第四の道」として法的に存在したということで、意味的には私有道路に近い物だったということだ。在所の家々をつなぐ道とかがこれに相当するようだが、明治13年に改正された時にデフォルトでそうなった以外はその指定(民有地第二種への指定)に内務省伺を要したようだ。

こう書いてみると「何当たり前の事言ってんだksg」という気もするけれども、国県里道制の里道は解釈によってすべての道が含まれるように読めてしまう。この道はその後どういう扱いになったのだろう。明治22年3月22日に土地台帳規則ができて地券制度が廃止されたのでその頃に何か変化があったかも知れない。ちなみに現行法では「私道」は定義されていない。そういうのはみな民有地として扱われるのだったっけ。

〔指令〕内務省<十四年三月廿四日 新潟県伺>

明治十三年十月第四十三号公布地所名称区別中民有地第二種へ追加相成候公衆の用に供する道路の義区別上疑團を生じ候に付左に相伺候

第一条
町村内小路<仮令ば東西に二種の道あり其道より南北に通ずる横道或は甲乙二種の宅地あり丙の畑地を経ざれば通行するを得ざるに付畑地の幾分を道路潰地となすの類を云う>の如きもの元民地を潰し道路敷に変換するものを公衆の用に供する道路と定め民有地第二種へ編入可致ものに候哉
第二条
明治九年六月第六十号公達国県里道の三種とも民有地を潰し道路に変換するものを却て公衆の用に供する道路と定め民有地第二種へ編入可致ものに候哉
第三条
右の如く民地より道路に変換すると雖も旧道敷地を代他として無代下げ渡候ものは之を仮りに買上地と做し潰地は官有地第三種へ編入可致ものに候哉

指令<四月十一日>

人民に於ては官有地に入るるを欲せず県庁に於ては公衆の為めに欠くべからずと認むる道路に限り民有地第二種に編入すべし

但該道路は布告当日既設の道路にして地種未決定の分を専ら指したる〔一字不明〕に付将来止むを得ずして民有地第二種に編入せんとするものあるときは事情を具し伺出べし

〔指令〕内務省<十四年五月廿七日 新潟県伺>

地所名称区別の義に付本年三月廿四日相伺候所四月十一日付を以て御指令尚義團の廉左に相伺候

第一条
本年四月十一日御指令文に於ては官有地に入るるを欲せず県庁に於ては公衆の為めに欠く可らずと認むる道路に限り民有地第二種に編入候義と心得べし但該道路は布告当日既設の道路にして地種未決定の分を専ら指したる云々と有之国県里道等渾て公衆の用に供する潰地の類明治十三年第四十三号公布以前のものにして地種未決定の分は仮令[蕨−草冠]初民地を潰し地代金不下渡と雖も民有地編入の義請願無之分は無論官有地第三種へ編入するものと可相心得義に候哉
第二条
明治十三年第四十三号公布有之上は従来の民地を潰したる分地代金下付せざる国県里道其他耕路の如きは公衆の用に供するものに付右公布照準民有第二種へ編入当然の様被考候然るに本年四月十一日付御指令但書中将来止むを得ずして民有地第二種へ編入せんとするものあるときは事情を具し伺出可くと有之然るときは其精神のある所御明示相成度

指令<十二月二十七日>

第一条
伺の通
第二条
従来の民有地を潰し地代金を下付せずして公道に供したる者有之候わば其事実を具し地種区別の変更に伺出べし

〔単行書・例規類纂・第一巻 民有の道路〕

[] 例規類纂第一巻:地所名称区別

第二欵 地所名称区別

〔達〕<六年六月八日 第百九十四号>

田畑石高の称を廃し総て反別を以て換用すべし

〔布告〕<七年十一月七日第百二十号>

明治六年<三月>第百十四号布告地所名称区別左の通改定す

官有地

第一種
地券を発せず地租を課せず(区入費)を賦せざるを法とす<十二年九月十一日第三十四号布告にて(区入費)の三字を(地方税)と改正以下区入費の三字倣之>
一皇宮地
皇居離宮等を云
一神地
<伊勢神宮山陵官国幣社府県社及び民有にあらざる社地を云>
〔改〕第二種
地券を発し地租を課せず地方税を賦せざるを法とす尤も府県所用の地は地券を発せず唯帳簿に記入す<十二年九月十一日第三十四号布告にて改正>
〔改〕但此地にある官舎を貸渡すときは借地料を賦すべし<八年七月二日第百十四号布告にて改正>
一皇族賜邸 
一官用地
官院省使寮司府藩県(本支)裁判所警視庁陸海軍(本分)管其他政府の許可を得たる所用の地を云う
〔廃〕第二種
地券を発し地租を課せず区入費を賦するを法とす
〔廃〕但府県所用の地は地券を発せず唯帳簿に記入す
第三種
地券を発せず地租を課せず(区入費)を附せざるを法とす
〔改〕但人民の願により右地所を貸渡すときは其間借地料を納しむべし<十二年九月十一日第三十四号布告にて改正>
〔廃〕但人民の願いにより右地所を貸渡すときは其間借地料及び区入費を賦すべし
一山岳給料林藪原野河海湖沼地沢溝渠堤塘道路田畑屋敷等其他民有地にあらざるもの
一鉄道線路敷地
一電信架線柱敷地
一照明台敷地
一各所の旧跡名区及び公園等民有地にあらざるもの
一人民所有の権理を失せし土地
一民有地にあらざる堂宇敷地及び墳墓地
一行刑場
〔改〕第四種
地券を発せず地租を課せず地方税を賦せざるを法とす<十二年九月十一日第三十四号布告にて改正>
一寺院大中小学校説教場病院貴院等民有地にあらざるもの
〔廃〕第四種
地形を発せず地租を課せず区入費を賦するを法とす

民有地

第一種
地券を発し地租を課し(区入費)を賦するを法とす
一人民各自所有の確証ある耕地宅地山林等を云う
但此地売買は人民各自の自由に任すといえども潰地開墾等の如き大に地形を変換するは官の許可を乞うを法とす
〔改〕第二種<九年六月十三日第八十八号布告にて民有地第二種を第一種に合せ第三種を第二種と改正>
一人民数人或は一村或は数村所有の確証ある学校病院郷倉牧場秣場社寺等官有地にあらざる土地を云う
但此地売買は其所有者一般の自由に任すといえども潰地或は開墾等の如き大に地形を変換するは官の許可を乞うを法とす
〔改正〕第三種
地券を発して地租区入費を賦せざるを法とす
〔改〕一官有にあらざる郷村社地及び墳墓地等を云う<八年七月二日第百十四号布告にて改正>
〔増〕一民有の用悪水路溜池敷堤敷及井溝敷地<八年十月九日第百五十四号布告にて追加>
〔増〕一公衆の用に供する道路
但其地形を変換するときは管轄庁の許可を請うべし<十三年十月五日第四十三号追加>
〔廃〕第三種
地券を発して地租区入費を賦せざるを法とす
一官有にあらざる墳墓地等を云う

〔単行書・例規類纂・第一巻〕

[] 明治11年地方税規則改正

特に言及することのないメモ。13年11月第48号は土木費下渡金の廃止。のはず。

〔布告〕<十三年四月八日第十六号>

明治十一年<七月>第十九号布告地方税規則左ノ通改正す

第一条
地方税は左の目に従い徴収す
〔改〕一地租三分ノ一以内<十三年十一月五日第四十八号布告にて改正
〔廃〕一地租五分一以内
一営業税並雑種税
一戸数割
第二条
営業税雑種税の種類(及制限)は別段の布告を以て之を定む<十五年一月廿日第二号布告にて及制限の三字を削る
〔改〕第三条
地方税を以て支弁すべき費目左の如し
一警察比
一警察庁舎建築修繕費
一土木費
一区町村土木補助費
一府県会議諸費
一衛生及病院費
一教育費
一区町村教育補助費
一郡区庁舎建築修繕費
一郡区吏員給料旅費及び庁中費
一救育費
一浦役場及難破船諸費
一諸達書及び掲示諸費
一勧業費
一戸長以下給料及戸長職務取扱諸費
一地方税取扱費<府県著うに属する為換方給料為換手数料現金輸送等の費用>
〔増〕一府県庁建築修繕費<以下三項十三年十一月五日第四十八号布告にて増加>
〔増〕一府県監獄費
〔増〕一府県監獄建築修繕費

以上費目互に流用することを許す

〔改〕一予備費<予算外に生れたる事件の費途及予算の臨時不足に充つる者(十五年十二月廿八日第六十九号布告にて改正)>
〔廃〕一予備費<予算外に生れたる事件の費途に充つるべきもの>
右の外特に費目の増加を要するときは府県会の決議を経て府知事県令より内務大蔵両卿に具状し政府の裁可を受くべし<十五年一月十日第二号布告にて第三条改正
〔廃〕第三条
地方税を以て支弁すべき費目左の如し
一警察費
一河港道路堤防橋梁建築修繕費
一土木費<府県に属する河港道路堤防修繕等の費用及区町村に関する同上の補助費(十四年二月十四日第五号布告にて改正)>
一府県会議諸費
一衛生及病院費
一府県立学校費及小学校補助費
一教育費<府県に属する教育の費用及び区町村立学校の補助費(十四年二月十四日第五号布告にて改正)>
一郡区庁舎建築修繕費
一郡区吏員給料旅費及庁中諸費
一救育費
一浦役場及難破船諸費
一管内限り諸達書及掲示諸費
一勧業費
一戸長以下給料及び戸長職務取扱諸費
一地方税取扱諸費<為替方給料為替手数料現金輸送等の費用(十四年二月十四日第五号布告にて追加>)
一府県庁舎建築修繕費<以下三項十三年十一月五日第四十八号布告にて増加>
一府県監獄費
一府県監獄建築修繕費

以上費目互に流用することを許さず

一予備費<予算外に生れたる事件の費途に充つべきもの(十四年二月十四日第五号布告にて改正)>
一予備費<予算外に生れたる不足に充つべきものを云う

各町村限及区限りの入費は其区内村内人民の協議に任せ地方税を以て支弁するの限にあらず

〔布告〕<十三年四月八日第十七号>

明治十一年<十二月>第三十九号布告地方税中営業税雑種税の種類及制限左の通改正す

〔改〕第一条
営業税を課すべき種類左の如し
 商業 工業

但国税あるものは課税の限にあらず<十五年一月廿日第三号布告にて改正>

〔廃〕第一条
営業税目左の如し其制限金十五円以内とす但国税あるものを除く
 会社 卸売商 仲買商 小売商 雑商
〔改〕第二条
雑種税を課すべき種類左の如し
料理屋待合茶屋遊船宿芝居茶屋飲食店の類
湯屋
理髪人
傭人受宿
遊芸師匠遊芸稼人相撲俳優幇間芸妓の類
市場
演劇其他興行遊覧所
遊技場<玉突大弓揚弓射的吹矢の類>
人寄席
船<艀船川船及五十石未満海船>車<馬車人力車荷積馬車荷積大七大八車荷積中小車荷積牛車の類>

 但国税の額を超過すべからず

水車
乗馬
屠畜
漁業採藻の類

但漁業税採藻税は各地従来の慣例により之を徴収すべし若し其慣例を改正し又は新税を賦課せんとするものは府県会の決議を経て府知事県令より内務大蔵両卿に具状し政府の裁可を受くべし<十五年一月二十日第三号布告にて改正>

(〔廃〕第二条省略)

〔単行書・例規類纂・第三巻/明治17年〕

[独言] 続:ホットケーキ

よく考えたらソースかけて食ったほうがエスニックな感じでいいんじゃね?という助言をいただき試してみたところ具のないお好み焼きそのものだった本当にあり(ry。というかそういう時に限ってふっくら膨らむのはどうしたわけか。砂糖をけちったからか。

次は刻みキャベツと天かすを入れ青のりをふったうえでハチミツをかけ食してみたい。

[独言] ああ

不忘是難有哉。しかし眠い。ddclientが動いてねえ。うえに蕁麻疹が悪化している。すこしまってください。

[独言] 自重

自重するという言葉は自らの身のこなしの重く軽やかならざりしことを覚って静かにすることから来ている。自重で身動き取れない状況に我が身を置くということである。大嘘である。どうにかしたい。

製麺業界は「スープを開けておいて湯を注ぐ」か「食べる直前にスープを入れる」かどっちかに統一してほしい。いつも悩む。浸透圧の関係でうまくふやけないとかそういう理由があるのか。液状スープならまだわからんでもないが粉スープでも先入れ派と後入れ派があるのはどういうわけか。きっとぐぐれば答えのあるはずの問いだがそうする気力もないのである。ドカッ。バキッ。アタシは死んだ。ホットケーキ(笑

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [旧街道が徐々に痩せ細って畦道状になり、ついには消えてしまった理由は私道だったからなのかなあ。 官有地に区分された部分は利用され続けるなり、放置されるなりして現代にも残った、と。 でも旧街道>畦道>..]

_ おろろん [ 家の前の道が江戸より前の参宮街道なのですが南の集落の中で街道が消失して家と家の間の水路(猫サイズ)になってしまった場所があります。そんな理由があるんですかね?]


2012-05-30 この日を編集

[奈良近遺調][] ロー式握索器

画像の説明

もしやと思って回収しておいたこの物体.

画像の説明

掃除したことで,内側に斜めの突起があることを発見した.

画像の説明

http://inside.mines.edu/UserFiles/Image/library/Glass_Slides/img0051.jpg

すなわちこういうこと.産業考古学者?の面目躍起というやつだ.

[独言][奈良近遺調] 調査票

そろそろ成果を出しとかないと,ということで調査票を書いている.けれども思ったほど進まない.特に前回の旅で見つけてきた旧橋の扱いに困っている.竣工年が不明なのでどうにかして調べたいのだが,そういうデータは市町村の道路課にある道路台帳なり橋梁台帳なりを調べたら一発でわかるはずなのだけれども,それを尋ねるためには事務局を経由せねばならず,そうなると竣工年抜きで書いて提出したほうが効率よさげなんだが,もし戦前のでなかった場合は無駄足になるし,そもそも市町村の橋梁台帳を洗いざらい出してもらえたらいろいろ捗るわけで,そっちを先にしてもらったらいいんじゃね?と思ってみたりすると,何のために調査票を書くのかよくわからんちんになってしまうのだった.

無駄足を厭っていたら何も進まないのだろうと思う.中途半端であっても調査票を書いて渡しておけば,それを元に市町村で追加調査してもらうこともできるだろう.資料調査が0.5次ならnagajisの実地調査は0.8次くらいに考えたほうがよいのかも知れない.そういうイレギュラーが好まれるとは思えないが.

むしろ調査の結果見つかった怪しいものを市町村宛資料に載せておく位でいいのか.そこに調査票もつけたら…ややこしいことになるかな.元の木阿弥だ.しかし一応調査員なんだから何か仕事しとかんといかんような気もする.

という具合にいつも通りのぐだぐだ進行中.

下田橋とか立川渡橋(多分)とか大滝橋とか多分戦前のだろうと思う.場合によっては大正まで遡るかも知れない.幅員5.4mは18尺,天辻隧道の全幅員に等しく,路線全体がそう作られたのではないか.とはいえ天辻隧道は旧道路法公布後に着工したのだから規格に沿う必要があったけれども,路線改修は明治末から始まっているのだから,シモはそれ以前に完成してたと考えるほうが妥当かも知れない.下田橋は大正初年には出来ていたというが,となるとますます合わないな.RCゲルバー桁は大正11年佐賀県の永井寺橋が最初とか(『日本道路史』p.974).

[独言] RCアーチ@奈良県

端駆橋(御所市・昭和3).

百寿橋(大和郡山市・昭和11).

長尾橋(山添村・大正15頃).

月ヶ瀬橋(山添村・昭和6).

高橋(吉野町・昭和5).

天ヶ瀬橋(上北山村・昭和12).

前鬼橋(下北山村・昭和8).

吉野山の大橋や東吉野村のあの橋も? それでも「S14時点で21」には遠く及ばない.

東熊野街道の橋をもう一度おさらいする必要があるな・・・

五月橋 国道165号 山添村遅瀬 3径間単純鋼トラス橋 1928

磐余大橋 国道165号 桜井市磐余 3径間単純RCT桁橋 1937

新佐野渡橋 国道165号 桜井市慈恩寺 3径間ゲルバーRCT桁橋 1938

吾橋 月瀬針線 奈良市邑地 3径間連続RCT桁橋 1927

無名橋 月瀬針線 奈良市邑地 単純RC溝橋(14.90m) 不明

松塚橋 大和高田桜井線 大和高田市土庫 3径間連続RC中実床版橋 1931

兜橋 名張曽爾線 曽爾村今井 2径間連続RCT桁橋 1935

法蓮橋 谷田奈良線 奈良市法連南一丁目東町 3径間連続RC床版橋 1931

西黒橋 赤滝五條線 下市町西山 2径間連続RCT桁橋 1932

関渕橋 赤滝五條線 下市町西山 2径間単純RCT桁橋 1932

蟻通橋 大又小川線 東吉野村小 3径間連続RCT桁橋 1929

北又谷橋 龍神十津川線 十津川村上湯川 単純RCT桁橋(15m) 1927

遅瀬橋 山添桔梗が丘線 山添村遅瀬 単純鋼鈑桁橋(41.80m) 不明

曽爾村にはT12頃に鉄筋混凝土橋を建設中(『復命書』). 


2018-05-30 この日を編集

[古レール] 西成線

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127166/325

開通時は単線。


2019-05-30 この日を編集

[奇妙なポテンシャル]


先日見かけた物件。その括弧書きは要らんやろ、どう考えても蛇足やろ、と思い、強い奇妙なポテンシャルを感じたのだが、よくよく考えてみれば過ちは私たちの側にあったのだった。Smart Phone を「スマホ」と略すこと自体が間違いであり、略するなら「スマフォ」であるべきなのだ。重箱の隅を突く揚げ足取りだと思われるかも知れないが殊この物件に関してはアイホンとアイフォンが別物であることと同列に考えるべき事象のように思われる(キヤノンとキャノン、富士フイルムと富士フィルムの違いの如き微々たる差異ではない。片や商標侵害の回避片や表記の古いだけとその読み下しである)。

そもそもの話、 Smart Phone がスマホと呼ばれるようになる以前からスマートハウスはスマホであったに違いないのである。スマホを持ち歩いたり落としたりする人がいない時代にスマートハウスは世に現れたに違いないのである。スマートハウスがスマホであるのが先なのである。その逆なんて、余りに恥ずかしくて考えられない。あってはならないことである。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ しゃちお [スマートホームですね(^_^;)]


2022-05-30 この日を編集

[煉瓦] インデクス

京-1
槙山砲台転石
阪-55
堺吾妻橋
片流異形煉瓦
”2”
阪-86
朝日窯業 2
(西九条)
阪-26
(推)増田煉瓦 肩丸異形
阪-81
堺煉瓦 添印ツブレ
岐-2
四日市煉瓦
”二十三”
京-33
桂川橋梁 初代橋脚 普通煉瓦 
福井-2
四日市煉瓦
添印 ”と一”
京-11
琵琶湖疏水 □疏+15・○第壱
京-9
京都鉄道印
(南桑煉瓦)
三-3
勢陽組印
異形煉瓦
滋-9
膳所駅前転石
三吋形
(JIS) 阪-93
上神崎川橋梁
初代橋脚井筒
”二”
阪-80
堺附洲 2(拓用)
阪-82
東播窯業 2
阪-5
丹治煉瓦 丸丹
阪-31
”桜+ツ”
兵-5
栃原隧道 小口”B”
兵-4
関西煉瓦
平プレス 陰刻
阪-32
線描”チ”
(小曽根)
愛知-2
初代木曽川橋梁 橋脚井筒
”シー”+□子
(讃岐 サ) 阪-94
大正和泉煉瓦
兵-59
丹治煉瓦 ”遊び印”
愛媛-2
”○イ”刻印
阪-61
和田煉瓦 ”ワ”
(豊中)
阪-40
”井桁+○”
阪-34
ヘラ書き煉瓦
京-10
山田+ヤマタ+4
阪-42
小曽根転石”○ヌ”
奈-12
(推)丸亀煉瓦
三-8
大阪窯業
手成形煉瓦
 (相賀隧道)
兵-67
弘栄煉瓦
”釘K”
三-4
大野煉瓦
”廿九”
奈-8
シオカラ谷転石
”✕”
京-37
”割○”刻印
二つ割
和-4
”●-”刻印
兵-15
五光丸
京-7
長手”○K”
兵-40
播州煉瓦合同
”ヲ”
兵-24
弘栄煉瓦
セリフ”K”
阪-21
朝日窯業
(高石市)
阪-92
漢数字(細)
”三六”
阪-77
住吉区墨江転石
阪-30
関西煉瓦
frog+陽刻
阪-74
”□・”
京-26
三室煉瓦
焼損煉瓦(全形)
阪-41 英数字 ”13” 愛知-3
”○十”
(永江煉瓦?)
和-2
安原煉瓦
兵-52
阪鶴鉄道 阿草トンネル跡転石
阪-87
山陽煉瓦 SRK
(高槻市芥川)
奈-11
(推)吉野煉瓦(釘)
奈-11
(推)吉野煉瓦 (洞電索道駅跡)
兵-1
姫路男山煉瓦壁 四点印
愛媛-3
讃岐煉瓦
”サレ”
兵-50
阪鶴鉄道
野田尾トンネル
短破線(五線)
和-8
英数字”8”
阪-18
三重丸+✕ 添印”四”(推定 紀泉煉瓦)
奈-5
小島煉瓦
阪-47
樽井煉瓦 丸印
阪-88
松本煉瓦
”○M“
阪-19
丹治煉瓦
右ズレ〓+
”十六”
京-28
”十字+0”
兵-53
阪鶴鉄道
野田尾トンネル
組線
兵-64
”-”刻印
兵-19
貝塚煉瓦
(湊川隧道)
阪-35
東播窯業 1
兵-12
生石山第一砲台使用煉瓦 旭商社 ”六”
滋-3
貝塚煉瓦 井桁菱+”カ”
阪-22
樽井煉瓦
”TARUI.GO”
阪-89
東亜煉瓦
”菱T”
奈-9
上田口隧道使用煉瓦
阪-78
江州煉瓦
手成形
兵-26
市川橋梁
 ”□+製”
兵-63
成山第一
低部砲台転石
(”ツブレ○”)2
兵-22
山陽窯業
意匠”山”
兵-16
細五稜星
兵-11
市川橋梁使用煉瓦 旭商社 ”六”
兵-6
阪鶴鉄道 野田尾トンネル 短破線(四線)
阪-24
樽井煉瓦
三つ鱗
阪-90
中国煉瓦
”菱中“
和-13
深山第一砲台
旭商社 ”ツ”
阪-75
大阪煉瓦
兵-60
貝塚煉瓦
(神戸市街)
阪-79
長破線刻印
(斜三破)
阪-84
四国産業
”菱S”
阪-44
アルファベット刻印 ”R”
阪-85
讃岐煉瓦 松葉菱+”○特”
兵-2
中江煉瓦
阪-23
樽井煉瓦
”TALUILENGA”
阪-91
讃岐煉瓦
“松葉菱+サ”
兵-61
成山第一
低部砲台転石
(”ツブレ○”)

兵-45
西播煉瓦
”セ“
阪-68
”イリヤマ+火”
兵-58
和田煉瓦
釘印 断片
阪-8
関西煉瓦
プレス成形(割)
阪-43
アルファベット
”M”
京-27
三室煉瓦
白地断片
京-6
川島煉瓦 (琵琶湖疏水納入品)
東-1
東京芸大転石
阪-70
大阪窯業
オモリ形添印
三-7
加太トンネル
煉瓦工場
”扇形+四番”
滋-8
大阪窯業
近江工場跡転石
兵-32
大正煉瓦
意匠 ”大”
兵-33
大正煉瓦
機械成形
”大”
兵-18
若井煉瓦
井桁若 陽刻
京-3,4
琵琶湖疏水
 ”✕” 断片1・2
奈-1
奈良監獄
”ワ”
宮崎-1
山仮屋隧道転石1
阪-72
岸和田煉瓦
棒線添印
機械成形
京-39
”∴”状刻印
(伏見)
京-38
”□+ヘ”刻印
三-2
盛進組
兵-43
山陽窯業
ゴシック ”山”
滋-7
逢坂山トンネル
近傍転石
阪-27
”○+カナ”刻印
兵-13
鳥取火薬本庫
旭商社 ”ル”
兵-17
若井煉瓦
井桁若 陰刻(細)
宮崎-2
山仮屋隧道転石2
阪-73
津守煉瓦
六稜星(小)焼損
兵-62
成山第一
低部砲台転石
(”大型○”)
岡山-1
”ヤマ菱”刻印
兵-66
成山第一低部
漢数字(小)
”十八”
兵-31
(推)大正煉瓦
”★正”
滋-4
中川煉瓦
機械成形+印
京-12
鐘ヶ淵紡績工場跡地転石
大阪窯業 ”ヲ”
三-6
加太トンネル
煉瓦工場
”扇形+一〇”
阪-12
”○-+ロ”刻印
和-12
堺煉瓦
添印”井”
阪-69
南海 ”ハ”
阪-71
細漢数字
”四”
兵-57
”丸十字”刻印
断片
兵-3
荒船配水場転石
 ”ヤマ+サ”
和-5
第一煉瓦製造
”✕”
兵-8
東海道線
木仙上谷拱渠
付近転石
京-15
”割○”刻印
三つ割
兵-55
大阪窯業
”子”+釘印
(生石山第三)
兵-29
 (推)播陽窯業
”ハ”
阪-38
日本煉瓦
”11”
兵-14
樽井煉瓦?
播州煉瓦合同?
”ウ”
阪-39
丹治煉瓦
左ズレ〓+掻目
和-10
岩橋煉瓦
兵-9
和歌山煉化石
”菱W+□十五”
阪-53
和泉煉瓦(初代)
”三ツ矢”
阪-37
大阪窯業 ”改”
(全形)
京-31
平岡窯製品
和-11
堺煉瓦
添印 ”ヨ”
(深山第一)
阪-66
”//” 刻印
阪-45
岸和田煉瓦
”岸✕泉”
兵-21
山陽窯業
楷書”山”
阪-48
”□+リ”刻印
三-1
”□宮川”
滋-1
勢陽組
組印+”井”
阪-62
江州煉瓦
(機械成形)
京-14
琵琶湖疏水
小判型・疏 23
兵-56
(推)新和窯業
奈-7
菖蒲池跨線橋
付近転石
兵-54
”/・_”刻印
阪-64
堺煉瓦 後期型
兵-30
丸十字
(角丸異形)
阪-65
アルファベット
”H"
兵-20
”○ハ”
兵-35
K3
兵-23
播州煉瓦合同 大 木目つき
阪-20
大阪窯業
舗装煉瓦
試作品
滋-2
○+”甲二”
兵-39
播州煉瓦合同
三本線 (小)
阪-67
和田煉瓦
反転 ”釘ワ”
兵-38
(推)別所煉瓦
”へ”
京-35
上狛駅転石
阪-11
五稜星
(推:塔本煉瓦)
兵-25
焼過煉瓦
(粘土玉使用)
阪-50
”□+7 ▲▲”
阪-46
関野煉瓦
滋-5
”小判型+ム三”
京-30
”耳付き二重丸”
和-3
”井桁菱+K”
(推:香川煉瓦)
阪-33
堺附洲煉瓦 1
兵-42
石屋川隧道跡
付近転石
阪-7
津守煉瓦
六稜星(小)
兵-34
播州煉瓦合同
機械成形
三本線+”35 4”
阪-63
”日”刻印
兵-37
明石陶管
”AT”
兵-27
市川橋梁
”□+造”
兵-44
伊藤窯業
”イ”
阪-54
川口居留地壁
使用煉瓦
和-9
和歌山煉瓦
阪-25
(推)増田煉瓦 
京-34
奥山田隧道
使用煉瓦
兵-51
日成産業
阪-51
大阪窯業
機械成形
奈-6
大峰鉱山
坑口付近転石
和-7
マルサ煉瓦

桂川橋梁と木曽川揖斐川、勢陽組三行印、阪府授産所は本棚、割は箱山に。


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