nagajisの日不定記。
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見出しは統一したほうがいいよな、と思いながらいつも適当だ。OFF会なのか探索なのか、それ以外の伺かなのかすら解らぬ。そうして内容も見出しとは乖離した話から入る。
今日は府立図書館に籠って資料ゲッツに費す。「麗しの愛宕山索道」は単なる小説で絵的な資料にはならず、当時の写真は京都電燈五十年史の一枚だけとなった。ま、愛宕山以外の資料をがつがつゲッツ(後述)したので私個人は困らない。帰りに旭屋で地形図を購入。必要なものが解っていて一発で引き出せるというのに若い2人連れが地図台占拠していつまでもだらだらやっててキレそうになる。ヴィトン風情が地形図に何の用か。地形図を写メールするな。それは犯罪だ。とここで文句を言う気弱なnagajis。わざわざ混雑する紀伊国屋を避けてこちらに来ただけに余計に腹が立ったのかも知れない。ケツの穴のちいせえ奴だな。しかしデカくっても得することなどないだろうが。
帰宅して一風呂浴びた所で寝てしまった。工事中の鉄骨建屋みたいな所で秘密裏に大根を栽培している(部屋に相当するブロックが土になっていて真横から大根を植えたり引き抜いたりしている)ヤミ屋集団に慣れない博多弁で話しかけ、横から植えてもやっぱり鉛直方向に根を伸ばす大根の律義さに感動したあげくに寛解する夢を見て。そうして起きたら24時だ。とほほ。という訳で発行は1日遅れの25日です。あっ、あれって6地区のど根性大ちゃんと今日の鉄骨なのか。いま気づいたぞ。おそるべし昼間の残滓。
当時の写真は一枚と沿線案内図で我慢してください。他は暇な時に見るための文字資料です。
なお、現時点で7/1(日)の天気は曇り。降水確率40%。ここからどう我々を翻弄してくれることか。
最近備忘録の必要性をとみに感じるnagajisによるnagajisのための府立図書館の備忘録。
何か一気に鉄道マニアになったような一日。鉄道の機械的な何かより黙って仕事している構造物の肩を持つ鉄道マニア。カテゴリとしてはあり得るのではないか。
Subjectが″何中?″というのが来た直後に″For nadachu″。お前等人のメールで会話するな。
水沢峠の麓から移動。いよいよ茨川へ移る。というか移動しただけの一日。記録によればこの辺りから本格的に雨続きとなったようだ。
麓のかもしか山荘での休憩。ベンチだったかブランコだったか、そこに座ってコーヒーを飲んだ。誰もいない庭。ここに自分がいることも誰も知らない。その安堵感。
平子峠(何もないゆえ記録も記憶もない)を越えて日野町中心部。そろそろ買わなきゃと思っていた中部のツーリングマップルを買う。これが初めてのリング綴じでないTML。機動隊の基地?がある瓜生津峠を越えて八日市市。マックスバリュでしこたま買い込んで登る。確か永源寺付近は旧道を通ったな。あの寂れた商店街(今で言う感覚の商店街の2世代くらい前の商店街)はちょっと旅情を誘うものがあった。
永源寺ダムの付近はあまり覚えていない。このダムの底にも昭和の旧隧道が一つ眠っている(はず)。そうか、左岸を通ったのだったな。杠葉尾の道路脇の大きなタイヤに腰かけて休憩したのを思い出した。車線変更のために置いてあるやつだったと思う。
持参の地図では国道から茨川までの道が破線表記になっていたため「これ全線薮漕ぎやったらヤバイな」と思っていたけれど、そんなことは微塵もなく、普通に車道林道だった。ただ国道から茨川まで10.5kmもあるため人里離れた感はすさまじい。茨川に入る直前、比較的新しいコンクリートの橋が見えただけなのに、それに人けを感じてほっとしてしまうほどだった。
大きく蛇行する茨川の隈に小さな河原。そこに続く道跡。平地らしい平地はこれくらい。あとは背後の山に2、3段の家が貼りついて連なっていたらしい。今はほとんどが崩れ去って、八幡高校山岳部の登山小屋になっている元公民館くらいしか残っていない。その軒下にテントを押し込んで泊まる。
この日写真を撮ったのは昼間に落石注意の看板を撮っただけ。何しろ充電式かつ電気バカ食いなデジカメだ、今後しばらく山ごもりすることを考えると無駄な写真は撮れない。というか何で看板なんか撮ったのだろう、それこそ無駄ではないか。