nagajisの日不定記。
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ようやく、CDが手元に届いた。
想像はしてたがかなりの嵩高さだ。何しろ1cm厚さのものが1000枚だからな。狭い部屋がなおさら狭くなる。これだけの量、売り切れるのか。
出来上がりについては、とりあえず姑息な作戦はうまくいったようだ。版ずれして醜い有様ということはない。が、そもそもデザインの段階で市販のCDなんかのジャケットに見劣りするのは認める。自分はやはりデザイナーにはなれそうにない(目指すわけでもないけれど)。さっそくミス見つけてしまうしorz
レーベルについては文句なし。思ったとおりの仕上がりになった。これだけでも良かったんではなどと思ってみたりもするが、発送するのにケースが必要なこと他を考えるとこちらのほうが安いのだ。
CDはWebで注文できるようにするつもりで、発送用の封筒だとかラベルだとか判子だとかを用意してはいるものの、肝心の注文CGIや通信販売法に基づく表記だとかがまだ完成していない。ここ10日ほどクソ忙しくて何も手をつけられていないのだ(しろさんから頂いた原稿も処理し切れていない・・・申し訳ない!)。2日しかない休みの間に何とか書く予定。なお代金は振込み用紙を同封するのでそれでお支払いいただく「後納方式」にする。そのための振込用紙だとか口座とかも作ってある。
その前に、明日(31日)に先行販売するつもりでいる。自分の作ったものを売る、ということが如何に難しいことかを身をもって体験したい。作ると言って1年も経ってしまった自分に対する罰ゲームでもある。
寝過ごさなければ、午前中はこのへん。大阪にお住まいの方ならご存知なはずの歩道橋の上。ヨドバシ等へ年末年始の買い物に行かれる方はついでにぜひ。
午後は日本橋に行ってみる。場所はまだ決めていないし、午前中でメゲて帰るかも知れぬ。
というわけで近辺で怪しい男を見かけても石など投げないようお願い致します。目印は白いニット帽に丸眼鏡とトランクということで。
とってつけたような蕎麦と鏡餅にて越年中。
本年度中はたいへんお世話になりました。来年もよろしくお願いします。 ナガトミ
_ yokkiren [うちなんて、餅もなんもないぞ。 あるのは膨大なミカンだけだ。]
ORJ編集部の大晦日をリアルタイム更新!!というネタを考えたのだが、何のことはない、テキスト打ってますーで終わりだ。準備もしていないしそもそもここには更新時刻が反映されない。ボツだボツボツと思っているうち時間だけは正直に過ぎていって大晦日と相成った。大人しく寝ようか。「!」も少し渋いかな。
狭い店内に乱雑に本が詰め込まれ「ここは倉庫か」と思うようだった古本屋が近くにあって、nagajisの目が細いうちにここで何かを買い求めることはないだろうとさえ思っていたのだが、先日ふらっと立ち寄ったら見違えるように整理整頓されていて、ちょっと驚いた。うえに文庫版柳田国男全集の未読巻を発見してしまったりして。12巻「婚姻の話」「家閑話」ほか収録、550えん。
柳田国男の著したものは、民俗学という学問の書としてよりも、明治大正昭和初期に文化人であった人物の書いたものという点に重きを置いて読んでいくと面白い。激変の時代を豊かな感性と一貫した視点とで見続けてきた人物のその視座を借りて、直接見ることの能わない過去を透かし見ることができるわけである。ことに翁の書きようはいたわり思いやりにあふれていて、その情がすみずみまで行き渡っているゆえに、読んでいて不快な思いをすることがない。男女の仲、婚姻といった非常に微妙な話題、時として下がかった方向へ逸れそうになる興味をば実にうまく誘導してくられているお陰で、読む私も余計な想像を巡らすことなく、人というものの来し方遥かに静かに思いを馳せることができるのである。これはこの巻に限ったことではない。柳田作品の根底にはつねに学者としての自負自責に裏打ちされたやさしいまなざしがある。
半径数mのどこに秩序があるというのか、と言われることを前提として打ち続けている。昼間ちまちま作業をし続けていたせいか感覚過敏になっていて眠れない。もう少し疲れたらタガが外れてよく眠れるような気がするのだがな。こうやって無駄な時間を過ごしている暇があったら少しはCD#2の続きなり原稿なり書いておけばいいのにと思わないでも無いが、ふぁあ、あくびは出るんだよなぁ。ゆらゆらする睡眠欲のなかを漂う快感。それを楽しんでいたい大晦日のひととき。ある種の贅沢であり逃避である。滑稽かも知れない。
後でこの大量の入力文字群を見直すことはないだろうな。そんなものを見せられるここを訪れる方々には迷惑な話かも知れないが。[独言]タグは不要不急negれフラグなのだから一向に無視していただいていいようにはしているつもりだが機械的に選別する手段は設けていないしなあ。どうしたものかなあ。Mがやや渋くなった。
こんな感じで間に重要なことを紛れ込ませるのがいけないのだとは思っている。けれども今は順序だって考えられない。書く。
ツアーは最終的に自分の手を離れ地元の方々に委ねられるよう(地元の方々が案内するよう)持っていきたいとはTさんの言。これは私も大いに賛成だ。他所者たる私ができるのはオカメ八目(お多福さんには目が8つあるという諺:大嘘)的な役割まで、「これいいものなんですよぉ〜」という役を演じられればそれでいい。そのワタリがつけられれば。nagajisはいつまでたっても貧乏だがなぬはは。
離れて久しい今でも旅行広告のドコカマチガッテル感は失われずにある。ハチ高原の晩の記憶がそれだけ鮮烈だったってことか。それに対する真逆の回答、はぐれスライムに対するどくばりみたようなものが廃道ツアーとなってほしい。王道にはならないだろうこと必至だが時にクリティカルヒットを出すような。しかし本音だけじゃ人は食っていけないぜ?>nagajis
(追記:この間睡眠)
当たったら海外旅行と老後の貯えって、夢があるのかないのかわからんな。
第5巻第6号 昭和4年6月発行
日本銀行では震災後設置した仮建築物を統一収容するため地上4階ないし5階、総延べ坪1万500坪の新館を建築することとなった。様式は本館同様ルネッサンス式で工費約2500万円。7カ年継続事業とし3期に分って6月早々起工予定。設計は長野宇平治博士、地下室は3層に仕切られ、大貯水槽が設けられ、火災の場合は直ちに金庫をその中に没入せしめる仕掛けになる。
第7巻第1号 昭和6年1月発行
日本銀行の金庫について、米国の金庫技師ホルムス氏に設計を委任し(中略)ヨーク金庫会社に落札した。同者はモスラーの三井、デーボルトの大倉、ヘーリングホールの内田商事など本邦代理店を米国貿易に委任されているが、今回の入札はニューヨークにて契約したのでヨーク社が直接納付するはず。基礎工事は完了、近日中に取り付け作業を開始する予定にあり、1月中には全部着荷するはずである。今回取り付けられる最新式扉の金庫は出入り口換気装置等数カ所あり、電気非常信号装置のごときは音響を空気波動で感じ通信することになっている。しかも金庫の壁厚は6尺、鉄筋、水等によって囲まれているなど、破壊工作は不可能と言われるほど完全なものである。
この号は『道改』のアレのような社会3面記事が入ってて、本体は少し少なめ。「月不足の幼児を孵卵器で」なんて省略しちゃっていいよね???
で、シリコングリス買って来ようと思うのだよ。あめゆじゅとてちてけんじゃ。
道行きで
鍋料理を作り置きできるような鍋がほしいな
↓
土なべが便利かな
↓
でも自転車に積むのは大変だな
↓
その前に熱伝導悪そうだな → どうでんひろこ
↓
(佐々木功的な声で)導伝導伝導伝導伝
などという連想をして「ああやっぱりダメな人間だ」と思った。(追記:結局題名を思い出せないまま。「ローレンハイド」じゃなかったのだっけか)
HKKキートップを填めたので続きにかかる。
2ページ。今度こそ楽できる。
「合鴨のスモーク」や。
越賀敏夫「武智式封鎖基礎工事に就て」(武智杭)第7巻第8号(昭和6年8月)
金森誠之「枝のある私の杭」(金森杭)第10巻第3号(昭和9年3月)
田中式基礎杭がわからない。どっかに出て来ないだろうか。にしても金森さんハイテンション。面白い人である。
打撃! 打撃! 打撃!!
第7巻第3号には掲載なし。第7巻第4号にかかる。
大阪源兵衛渡地質調査結果[大阪府]大阪安治川の源兵衛渡連絡問題(nagajis注:のちに安治川隧道が作られる)は、26日協議会を開催するが、初倉組で地質調査中のところようやく北側の分が完了し結果が判明した。それによると地下82尺において耐圧力7.14トン/平方フィートという見事な砂礫層に到達しており連絡工事実現上に好影響を及ぼすものと思われている。なお南側は目下ボーリング注であるが大体同程度の成績を収め得るものと見られている。
結局崩壊しちゃうのねぇ・・・。
大阪地下鉄の崩壊事件
[大阪府]4月8日午後11時45分、大阪市庁前淀屋橋北詰の地下鉄道河底工事中の河岸約○十坪が渾然たる大音響とともに陥落。百数十本の鉄矢板はヘシ折られせっかくの地下鉄のトンネルも泥水が浸入しほとんど駄目になった。またこれがため電車軌道が宙に浮かんで不通となった。この椿事に関しては去る10日午後2時半より平塚電気局長以下関係技術家および田辺、直木、高橋三博士ら出席のうえ緊急対策協議会を開いたが、結局市庁舎前南に鉄矢板をもって締め切りを設け、以北の排水をなして工事を進めることにした。一方崩壊した淀屋橋台北部分はこれを現橋の下方まで矢板を打ち土砂を充填し噴水個所を急結コンクリートをもって止め、排水のあと地硬調査をなしてから方策を樹立する。地下鉄のトンネルは従来通りの設計で工事を続行できるが、これを被覆する橋台部分の工事は結局適当の長さの基礎杭を使用するに至るものと見られている。現在の見込みでは市庁舎前以北は1カ月程度の遅延となるが、橋台付近は少なくとも3カ月以上は遅延を見るだろう。これによって長堀−梅田間の開通期も著しく遅延し、5月の開通予定は到底望まれない。今回の原因については地盤の軟弱さによるもので、鉄矢板工事の過失や設計の違算によるものではないらしい。
そこに差異を見い出すのが旅ではありませぬか>立松氏。(追記:地方に地方があった時代はすでに明治で終わっています。文句を言うならその辺りの方々へどうぞ。)
マシュマロでほっと一息。あまり旨そうには見えない。(追記:電気スタンドが電灯色なのである。ホワイトバランスをあわせることはできるのだがそれもつまんないし)
追記:この後第7巻第6号にかかる
「溶接」「熔接」だけかと思っていたら「鎔接」なんてのもあるんだなあ。(追記:アーク溶接の話で「鎔接」が使われていた。火じゃなく金属の導電性を使うからか。導電導電導電導電)
「東京タワーなんてつい最近のこと、本当に懐かしいのは戦前ですよ」。そうだと思うぼく3つでちゅ。
¥(^o^)/...疲弊しまくりくらくリく。(追記:目の焦点が合っていない。クシャおじさんにアイロンをかけたような顔をして入力中)
古来日本では日没をもってその日の終わりとみなしたという。すなわち日が落ちて以降はもう翌日であると。よって新年の祝い事も31日の夜から始まる地方が昔は多かった(柳田翁談)。いまでも12月31日のうちから初詣でに出かけ、そのために終夜運行の特別ダイヤが組まれたりもするような現状は、あながち西洋式の日割り時間割りに杓子定規に従った結果というわけでもないのだった。
というわけでnagajisはもう年越し蕎麦を食った。決して空腹に負けたわけではない。
昨年の暮れはとってつけたような餅と蕎麦とで年越しした。今年はもう少し年越しらしい年越しをしようと思い、手製の蕎麦を作ることにしたのだ。欲が出て2把ぶち込んでしまい、大変残念な蕎麦となったが、後悔はない。
餅を食み、大根を味わい、拾ってあげたお礼に頂いた一個の小さな蜜柑を見ながら思うことは、今年ほどさまざまな方々のお世話になった年はこれまでなかっただろうということだ。誰かに生かされているということを(こう見えても!)ひしひしと感じつつ、1年、生きることができた。去年の今ごろは来年の自分が生きているかどうか覚束なかった。そうして、happily、同じ机に向かって1年前を振り返る自分がある。残念な蕎麦を食べて満腹し鼻の頭に 汗をかいている。
それに対する感謝の思いをことさら述べることはしないでおこう。不器用だからね。言葉は思いを伝えるのに便利だけれども、使い過ぎるとかえって空虚な響きにしかならないし。こういう時は黙って寝るに限るのだ。
皆様、よいお年を。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
明治39年土木費支弁法改正は、大正15年三重県令規類纂によれば
明治41年3月県令第21号
明治43年2月県令第14号
大正6年11月県令第28号
大正7年10月県令第45号
大正9年4月県令第24号
大正12年10月県令第46号
んが、明治41年県令第21号は別冊で欠。
もっとも、調べたいのは明治41年以降45年までの路線の変更であって、路線は別告示で定められているものだから、告示の改正を調べなければならない。結局のところ見つかったのは明治45の告示だけだ。そもそも旧道路法以前は区域変更に相当する公示は強制でなかったんではなかったか。M23で出てるから、ちょっと期待したのに。
欠号が結構ある。赤字はすべて欠。明治39年告示も欠……誰や!持ってったンは!
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M400301-01937.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M400326-01944.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M400426-01953.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M400611-01966.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M400618-01968.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M400730-01980.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M400910-01992.pdf
県令第33号 明治三十九年三重県令第六十六号追加【土木費支弁規程改正】 広報第1977号
訓令甲第30号 土木費補助に関する規程を定め明治三十五年訓令甲第六十一号廃止 広報第1977号
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/T-M400719-01977.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M400927-01997.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M401112-02010.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M401119-02012.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M401213-02019.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M40/F-M410121-02028.pdf
告示第386号 宇治山田市に臨時国道改修事務所設置の件 広報第2017号
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M41/F-M410218-02036.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M41/F-M410404-02049.pdf
(一部掠れ)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M41/F-M410428-02056.pdf
(号外欠?)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M41/F-M410526-02064.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M41/F-M410623-02072.pdf
(目録欠:全確認)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M41/F-M410911-02095.pdf
(目録欠:2085号欠)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M41/F-M411027-02108.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M41/F-M411120-02115.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M41/F-M411222-02124.pdf
(目録欠:2125号欠)
(目録欠:2128号欠)
告示第28号 北牟婁郡長島町に臨時熊野街道改修事務所を設置 広報第2129号
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M42/T-M420119-02129.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M42/F-M420305-02142.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M42/F-M420416-02154.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M42/F-M420511-02161.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M42/F-M420604-02168.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M42/F-M420702-02176.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M42/F-M420803-02185.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M42/F-M420903-02194.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M42/F-M421001-02202.pdf
(目録欠:2205号、2207号欠)
(目録欠:全確認)
(目録欠:2220〜2225号欠)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M43/F-M430201-02235.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M43/F-M430301-02242.pdf
県令第14号 三十九年県令第六十六号土木費支弁規程改正の件 広報第2238号
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M43/F-M430401-02251.pdf
告示第163号 臨時国道改修事務所の閉鎖 広報第2250号
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M43/F-M430503-02260.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M43/F-M430603-02269.pdf
(5月10日より後欠)
(目録欠:全確認)
(目録欠:全確認)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M43/F-M430902-02295.pdf
(目録欠:全確認)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M43/F-M431101-02312.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M43/F-M431202-02321.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M44/F-M440221-02342.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M44/F-M440303-02345.pdf
(目録欠・全確認)
(目録欠:4月分ごっそり欠)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M44/F-M440602-02370.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M44/F-M440704-02379.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M44/F-M440801-02386.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M44/F-M440901-02393.pdf
(目録欠・全確認)
(目録欠・10月分ごっそり欠)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M44/F-M441201-02418.pdf
明治44年11月分
明治44年12月分
(目録欠)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M45/F-M450305-02442.pdf
告示第61号 土木費支弁規程第一条第二条の指定道路其の他中変更の件 広報2436号号外
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M45/E-M450213.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M45/F-M450503-02459.pdf
(目録欠:全確認)
(目録欠:全確認)
(目録欠:ごっそり欠明治45年7月1日―大正元年7月31日分
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/M45/F-T010802-00001.pdf
(目録欠:全確認)
(目録欠:9月分ごっそり欠)
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/T01/F-T011101-00026.pdf
http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/T01/F-T011203-00034.pdf
蕎麦一把にしておいしく食べ切るくらいには経験を積んだことを誇らしく思う。今年も多くの人に生かされたことに感謝。来年は・・・来年のおれと皆さんに任せよう。
何も売れず,しかし一冊いただいた・・・果報者である.
そしてぶり大根に挑戦中である.
しょうゆはまだ入っていないにかかわらず旨そうな匂いが立ち込めている.
それっぽいのができている.汁多すぎた.
5年前と同じ場所で同じ事をしにいった.何も変わってないことの再認識,或いは周囲の冷ややかな目に耐える訓練のつもりだったのだが,持っていった資料を読むのに熱中してしまいそれどころでなかった.しかもまっ先にmasaさんが来て下さって差し入れを頂いたりなどしてしまう.誰も来ないものと信じていたので少々失礼をした(うえに今日は眼鏡を忘れてきた.乱視で周囲に気を配れないのだ).相変わらずな阿報者である.
で,結局はmasaさん以外に寄ってくれた人はいず,何も売れず,誰からも相手にされなかった.にも関わらずこれっぽっちも落胆がないのは5年間の成果だろう.というこの感情を強がりで約分されずに受け取ってもらうことは恐らく無理に違いない.清々したというわけでもないが結果に満足している点ではやや似ている.
自分が作ったものを自分の手で売るということはかくも大変なことであると再認識.より積極的に仕掛けないと,何も起こらないのだよ>nagajis.
(写真はmasaさんに撮っていただいた)
差し入れの数々.コーヒーはすでに1本頂いた.この秋に出たばかりという『吉野川上の源流史』も頂いてしまった.この本は紀の川・吉野川源流としての川上村の歴史をふりかえったもので,なかでも伊勢湾台風の被災状況紹介が半分以上を占めている.代表的な写真しか見たことのなかった自分には参考になった.なにより地元に住んで村の変化をつぶさに見てきた方が書いたものというのが尊い.大迫ダム,大滝ダムの建設に関する話も考えさせられる逸話が多かった(著者の辻井英夫氏は『大迫ダム誌』にも関わっておられる).ダムの建設の裏にどれだけ多くの犠牲があることか.
ぶり大根に若干時間がかかったので早めに蕎麦を食す.実はそばの味付けってよくわかっていない.とりあえず塩と醤油だろ,旨みは中華スープの素でいいだろ,といって適当に放り込んだらこうなった.愚具も盛りだくさんで蕎麦には見えないが,旨ければそれでいい.
ぶり大根もよく味が染みてグッドな出来になった.ずいぶん昔にやった時にはすごく残念なただの醤油煮になってしまったが,文明の利器を導入し,手順を遵守してかかった今回は見違えるような出来だ.ぶりあらがとろとろなのである.骨まで食えそうな勢いなのである.やや渋くくどい感じがあるのは焼酎のせいだろうか.次回は控えてみよう.
ここまでの流れを重んじて今年はちゃぶ台で終える.昨年の今頃は見通しの立たない愁傷感のなかにあった.「なるようにしかなるまい」と思って8割方諦めていた.実際なるようにしかならなかった1年間だったが,それでも今,こうして年越しを迎えることができ,コーヒーを飲んでまったりしたりすることさえできている.意のままに歩き回り,こまめに部屋片付けをしたりできている.トランクを抱えて梅田と自宅を往復したりできている.有難いことである.
振り返ればいろんなことのあった1年だったが,瞬く間に過ぎていった気がする.それは自分自身が立ち止まっていたからかもしれない.怪我で身動きがままならない分,立ち止まってじっくり考える余裕があった.忙しく駆け抜けていく時間をうすぼんやりと眺めやることのほうが多かった.どんどん追い抜いていく時間を笑顔で見送るスキルが身についた.そりゃ置いてかれるわ,と思うが後悔はない.なるようにしか,ならないのだ.
来年はもうちょっと走るようにしたい.しなければならないこともいくつかある.どうぞ,よろしく.
御節が存在しているのである今。
そして加わるウルトラソウル謎の煮物。雑煮はどこへいった。
いかにも普通な、日本全国どこにでもありそうな正月風景を演出してみる。
若干レイアウトを変えてみた。若干だ。
最早蕎麦じゃねえ。
今年一年ご支援くださった皆様に手を合わせつつ、いただきます。来年もどうぞよろしく。
未来からの解説:重箱や箸とともにおせちに入れられる食材を一式頂いたので生まれて初めておせちを用意してみた。一つだけは手作りである。あ、煮物のにんじんも入れたっけか。確実に十数年ぶりのまともな正月だ。
蕎麦は鳥ガラベースのしょうゆ味。手羽先の先っちょばかり入った鳥ガラが一袋150えんで売られていたので思わず買ってしまい、それを使ってスープを作った(ついでに煮た肉を入れてみた)。滅法旨かった。やはり自分の味覚のドグマは鳥であることを認識した。高野豆腐に深い意味はない。重点商品だというので協力したまでである。初めて調理した割にまともな出来。
一玉で足りるだろうかと思い替え玉を茹でる準備をしておいたがその必要はなかった。こんだけ具沢山なら 普通 満足するわなー。
自分で作ったのに食って視界がぼやけるほど美味かった。やはり干ししいたけをふんだんに使ったのが良かったのだろう。
仕事納めの足で最後の買い出しに行ったら5時からの売り切りセールに引っかかってしまった。ふだんの3倍くらいの人出があるうえ5時に備えて店内で待機していて大混雑。おばちゃん立ち話して通路塞ぐわお父さん不機嫌だわ子供はうろちょろするわ籠足りないわで必要なものが一部買えなかった。
蟹も刺身も要らぬのである。蕎麦とヨーグルトが買えさえすればよかったのである。5時を回った頃やっと店内を一周できさっさと精算して脱出した。
そうして今朝焦がしたご飯をねこまんまにして食った。おかずはベーコンの切れ端と人参としなびたピーマンと舞茸チップを炒めて塩したものをおかずにした。これも滅法美味かった。
食べるのは間に合った。
そばの用意をしなきゃと思った頃、行きつけのスーパーで由布院そばなるものが売られているのを見つけた。とくに知名度があるわけでも田舎を懐かしむわけでもなく買ってみたのだが、そんなに悪くなかったと思う。もうちょっと固く茹でたらもっとよかったんじゃないか。
例によって具だくさん。蕎麦と呼べる代物じゃないかも知れない。拠って来たるところがあるわけじゃない。腹が減っている頃なのでいろいろ入れてしまう。だいいちうちでは温そばを食べなかった。温かい、汁のある蕎麦を食べるのは年越しそばくらいじゃなかっただろうか。あとは夏にざるそばが出たことがあるくらいで、それもごく稀なことだった気がする。理由はわからない。麺類はむしろうどんだった。
そんな感じだから汁の味付けも定石がない。今回はそばについてきたつゆに水と醤油を足した。悪くない味だった。去年は出しじょうゆで適当にやったな。
ふだんエビを食べないくせに海老天を載せてしまったのも「なんとなく」。最後の買い出しに行ったらたまたま売っていた。198円もした。そんなんだったらもっと別のでもよかっただろうにと今更のように思う。かき揚げとかきつねとか、肉そばでもよかっただろうにさ。
普段しないことを何の前触れもなくやってみたり、いつもしていることを急に止めたりしてみると、そんな普段がいかに理由のない、ものだったかがわかる。普段食わない蕎麦をくう。蕎麦にいろいろな野菜を入れてみる。食べない海老を入れてみる。どれもそう悪くはない。悪くないなら普段からやればいいのに。うどんに飽きたら蕎麦でもいいじゃんか。和そばで焼きそば作ってみてもいいじゃないか。瓦そばみたいでうまいかもよ。4玉89円とかの時に買ってきてさあ。でも結局は「普段通り」に戻ってしまうのだ。その普段の根拠のなさを思うでもなく。それに危機感を覚えるほうがどうかしている。普段かあるから非日常が楽しく、発見があるのだ。
今年は鏡餅が買えなかった。毎年買っていた和菓子屋がいつのまにか閉店していたからだ。ていうか3月末にはもう店じまいしてたのな。ふだん利用しない店だから気づかなかった。時代の移り変わりのなかで静かに退場していったその店に自分を重ねる。「まだやってんだ」と思われて通り過ぎられるより、すっかり忘れられたほうがなんぼかすっきりするだろう。
今年も無事に終わりそう。に見せかけて実は様々なハプニングを経ている。だし巻き卵に隠し味的に入れるつもりであった醤油を何を思ったかドバドバドバと入れてしまい真っ黒な卵焼きでしかない物体になってしまったり詰め終わったお節重をひっくり返してしまったり適当に作った蕎麦汁が薄過ぎたりガス代払ってねさもないとガス止めるよの通知が届いたり。かくも慌ただしくまた慌ただしいことに対して見事にバタバタを演じ切った年の瀬はないのではないか、と回顧しながら書いている。
大晦日になると何故か筑前煮が食べたくなる。そんな風習があった実家だったわけでもないのに。今年は量を控えめにしたのでくさらすことなく片付けられるだろう。それよりも調子こいてたくさん作った揚げ物類のほうが危険。
ごまめが妙に高かったので贖いあぐねてみた一方、「たべるいりこ」なるものが目に入り---食べられないいりこがあろうはずもないのだが、それはそれとして脇に置いておく---、要するにいりこを甘く煮詰めたらごまめになる筈だという推測のもと、そちらを購入して試してみたのであった。珍しく上手く行った。
今回は黒豆も作ったのであるが、水の量が少なかったらしく皺の多い黒豆になってしまった。味は申し分ない。大正6、7年ものの犬型犬釘で煮たのだから美味くないわけがないのである。ただ皺が多くなったという瑕疵があるために軍配はごまめに上げざるを得ない。結局のところごまめと黒豆だけで充分だったのではないかと思わないでもないのだが。ああそうだった今年は卵焼きもそれなりに上手く行ったぞ。今年は真っ黒くはならなかった。
おせちと年越しそばが年々歳々上等になっていく気がする。それを許したくなるくらいには頑張った一年だったと思っている。まことに有難いことである。
11〜12月の「つどい」の時にSさんが(つどいの前日に訪れた)琵琶湖疏水第一竪坑の付近で採取したという煉瓦が衝撃的だった。初めて目にした刻印で、しかも「川島煉瓦」の製品という。だってそう書いてあるんだもん。
いま琵琶湖疏水記念館へ行くと、パネル展示が新しくなっていて、そこにも川島煉瓦の謹納品という煉瓦刻印が掲げられている。東洋組みたような四角い判にこまごまいろいろ書かれてある。明治18年6月とか井上・井関とか重要っぽいことまで。それとも違う丸い印である。一見すると樽井の丸印に似ている。
それがずっと気になっていたものだから、思い切って再訪してみることにしたのが暮れも暮れの12/31のことであった。本当は一日おせち作りをと思っていたのだけれども、朝になって急に居た堪れなくなったのである。
竪坑周辺は近年整備がなされて金網囲いになっている(以前はフリーにアクセスできた気がする。ただ草がものすごく繁茂していて近寄り難かった)。囲いの中もきれいに草刈りされて見渡せるようになっている。
あてにしていたのはその囲いの中ではなく、外のほうだ。確か『琵琶湖疏水要誌』か何かだったと思うが、工事中の竪坑の写真があって、巻揚機や人夫の小屋やら火工小屋やらが谷いっぱいに作られていた。囲いの外のほうが何かあるんじゃないかと。
というわけで、上掲写真の反対側へ回ってみると、そこが小さな沢になっていて、目論見通り幾つかの煉瓦転石を検出した。割れてほかされた煉瓦が沢に洗われて露出していたのだ。さすがnagajisこういうコトだけは勘がいいぜとか何とか思いながら早速探してみたのだけれども、いずれも無刻印の煉瓦だった。1/5くらいしか欠けてないようなやつもあったんだけど。
そうしてその沢を遡ったり、対岸斜面を登ってみたり(その崖の下で青磁の?急須の蓋を見つけたりしたもんだから)、囲いに沿って一周してみたりしたのだが、それらしき煉瓦は最初に見つけたガラ以外には見つけられなかった。そうして小一時間も彷徨った末、諦めて帰ろうとし、元の場所に戻ってきた時に見つけたのだった。
_ MIMIZUK [午後にでも東京に出没しませんかねえ(笑). どちらにせよ休みながら体調不良で出歩けないんですが、当方. まあ正式販売時にゲットさせていただきます.売り切れると困るので?予約ということで!]