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旧道倶樂部録"

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2010-08-05 [長年日記]

[独言] で。

(書いた順番があれなので差し替え)

帰ったら昨日の続きがあったことを知る。沈黙していたせいでヨ氏を困惑させ(そのうえメールを見過ごしていた)TUKA氏を腹立たせたらしい(多分ヨッキれん氏も)。仕方ない。

[] 川端線

画像の説明

早く寝たら早く起きてしまったので懸案を片付けに行った。川端線の話を伺いに大和二見へ。現場はこれで3度目だ。

現地では製材所の奥さん、伊勢湾台風の前後に移ってきたというお父さん、大正生まれの古老にお話を聞けた。疑問に思っていたことがあらかた片付き、貯木場や水路の位置、いつまで使われていたか限定することができた。今回見つけた鉄塔の役割もわかった。やはり地元の方の話は伺うべきだ。

話を伺うなかで、太平洋戦争というものに対して確固たるスタンスを持っていないことを思い知った。古老は沖縄へ行き、無事に帰って来れた方であった。「20万人も死んでの、わしはその死に損ないや」という話を何度も繰り返された。それに対して何と答えるべきか、持ち合わせていないことに気づかされた。終戦後この方65年も同じ言葉を繰り返して来られたのだろうと思うとますます返す言葉が見つからない。

戦争はよくないものだと、さも解ったふうなことを言うのは簡単だ。しかしそうしたところで、自分の腹から出た言葉ではないに違いない。実際に戦争を体験し、悲惨な目を見てきたからこそ言える言葉なのではないか。戦争反対を放棄するんではなく、そう思う思いはどんなに募らせても真の理解へは届かないだろう、という諦めに似た気分を味わった。

明日は65回目(というのだろうか?)の原爆投下日である。久しぶりに考えてみるか。

索道の話を伺うと、誰もが「十津川まで伸びていた」と仰る。「日本近代の架空索道」では天川止まりだったようなことが書かれてあるが……。しかも川端には十津川材木協会(とおもっきょう)があったという。これは十津川村へ要確認。

その後時間があったので高野線で九度山へ行った。ねじりまんぽでないねじりまんぽがあるというから一度見ておきたかったのだ。幸いなことによととさんがYahoo!地図を充実させてくられている。参考にさせていただき心行くまで楽しんできた。死ぬほど暑かったけどな。何しろ濡れタオルを地面に伏せたら5分で乾くような暑さだった。

[] 魔のカーブ

酒が回ってきたので書き足す。高野山へ向かう国道沿いに魔のカーブがある。画像の説明

よほど怨霊的になものかと思ってドキッとしたが、歩きながら線形を見ていくと理由がよくわかった。最初緩いカーブで入っていって、出口でさらにクッと曲がり込む。緩いカーブでスピードを出し過ぎると対向車線にはみ出す仕組み。しかもこの道、大型ダンプがガンガン行き交っている。

画像の説明

九度山の南海アーチ橋(大師13号暗渠)と九度山発電所水路橋のセットは中々お得だ。どちらも正架のスキューアーチで、前者は煉瓦を一列のなかで少しずつずらして積むことでねじらない。後者は一列ずつずらすことで斜橋を実現している。異なる積みを隣同士で見られるのは有り難いことだ。おまけで水路隧道も一個撮ってきた。

さらに下古沢の先まで歩いて中古沢橋梁を見てきた。どんだけ杉木立の中なんだろうと思っていたら”展望デッキ”が出来ていてびっくり。高野線開通80周年に合わせて整備したようだ。真下からの眺めは確かに良かった。トレッスルの鉄さも満足。しかし杉木立の中に聳える姿も捨て難かった。


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