nagajisの日不定記。
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「人は自分よりも劣るものの存在に安心する」とは糸色先生の言であるが、その実例ともいうべき笑話の群が、日本全土に普遍的に存在していた。自分達の住む地域よりも辺鄙な場所の出の者が、世間知らずな言動をし、失敗をやらかすといった類の笑い話(あるいはそういう世間知らずな失敗譚を田舎者に仮託した話)である。柳田国男「吉右会記事」にその例が多く挙げられている。例えば上総の川津場話、信州佐久で言う所の川上話、高井郡の秋山話などなどなど。大分県では吉四六さんの話などもその典型であったらしい(そもそもこの一編は吉四六話を蒐集する会のために書かれたものであった)。ということを今Google日本語入力で入力したら「吉四六」が変換できずTab候補にさえ出て来ないマイノリティであることを知り愕然とした。それはまあ余話であるから深くは掘り下げない。野津とは無縁なはずのわが町の名産が吉四六漬でありε口な富永一郎画イラストであったこともこの際無視する。
辺鄙な地に住んでいることはそれだけで嘲笑の対象になる。佐賀関出身の友人乙君もよく「一尺屋」の話をしてくれた。一尺屋は佐賀関市の北東端、臼杵に隣る一大字で、佐賀関唯一の中学校・神崎中とは関崎を挟んで対極に位置している田舎(傍点)なうえ、臼杵に近い関係からみかん栽培が盛んだった。それで一尺屋出の者は「みかん臭ぇ」といって笑われたそうである。関サバ関アジと吉田会館と関崎灯台以外に何も無い佐賀関を舞台にしたどっちもどっちな話だと思うし乙君自身もそれを了解したうえで自らも含む笑い話として聞かせてくられたのであったが、お陰で一尺屋は私が知っている唯一の佐賀関市の大字である。今でも。
どだい人は多かれ少なかれそういう心の闇を持っているものなのだろう。それがあるからこそ田舎中傷譚---愛惜交々な笑話なのだから、中傷というのは適当でないかも知らぬが---が生まれたのに違いない。柳田翁も自身の例をあげてこんなことを書いている。
自分の生国でも々越知谷の話と云ふことを聞いて居る。たつた一枚の瓦を火取に用ゐている居る家から、父に連れられて川下の里に出た子供が、「おとうこゝらぢゃ皆十能で屋根を葺いとるなう」と謂つたと云ふ話などは、私には実は腹を抱えるほど可笑しかつた。(定本柳田国男集第七巻:強調筆者)
強調した辺りに言い尽くせない奇妙なポテンシャルを感じる。それが言いたかった。反省はしていない。
高校時代、毎朝英単語テストがあった。とある英単語帳の1ページに載っている英単語の中から意味を答えさせるもの5問、綴りを書かせるもの4問、慣用句の穴埋め1問みたいな感じの簡単なものを毎朝やらされた。8点を下回ると何か罰があったような記憶があるが定かではない(下回ったことがないとかゆう理由からではない。脳が劣化しているだけだ)。ともかく前の日の晩および登校時に英単語帳を見ながらぶつぶつ言うような高校生活を送っていた。
同級生に正太郎君がいた。正太郎君といってもリモコンを持ってビルの街や夜のハイウェイに現れたりはしない。しかし愉快な人だった。ある晩自室で翌日の英単語帳をめくっている時、窓の外、一階の庇の上を伝って、正太郎君がやってきた。そうして窓の外からこう宣った。
殺人犯は来たか?muderer 。
そうして正太郎君は庇伝いに帰っていった。
私はそれに驚くことも、笑うこともできなかった。何故なら私も同じことを考えていたからだ。
immortalityにポテンシャルを感じていた16の夏。
蒲江の人に「国東?行ったこともねーなあ(笑)」と言われた。<br>お互い様じゃあ!