nagajisの日不定記。
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部屋から一歩も出ず、寝て食って起きてpdf作って食って寝て食ってという生活を続けていると、言葉が枯れてくるというか、脳が味噌化するというか、ともかくそんな状況になっていくのが否応なくわかる。書くモチベーション も限りなく低下していって今や床面上1.1mm。カーペットの皺やLANケーブルに引っかかれば即墜落である。
直前に資料を大量に入手していたのは幸いだったと言えるのだが、じっくり読み込んでしまうとあれもこれも入れたくなってしまい、一方で頭は味噌だからまともにまとめられはしないので、強迫観念的フラストレーションが蓄積されていくばかりだ。入れたいあれこれが漠としたイメージでプカプカしていて、それをどう料理しようもない。まるで放り込まれた瓢箪を淵に引きずり込もうともがいている河童みたいだ。しかも取り込んだところで腹の下には既に瓢箪の山が築かれている。これ以上盛り込んだところで整理のしようも理解の助けになりもしないのだ。
足が2本まともに揃っていて歩けることがどんなに有り難いことであるか。陳腐だがそんなことばかり考えるサンコン。
柳田国男は当時流行り始めていた「○○的」という言い回しを、言葉が足りない間の応急処置であり、将来消えてなくなるものであると予想していた。それから約一世紀が経ったけれども、無くなるどころか誰もが疑うことなく使う表現技法?の一つになっている。悲しむべきなのか、予想を上回るポテンシャルを秘めていたのか。曖昧な表現に逃げがちな私は便利なので使っている。