nagajisの日不定記。
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「茶柱タツ」という純和風の人物名は、それはそれで悪くないと思う。青島幸男的老婆を連想させる表情も「ない」選択肢ではない。背後に何か物語がありそうな−−−例えば急須の茶葉を紅茶に変えて黙って置いておいたりだとか、茶こしを外して黙って置いておいたりだとかといった悪戯を好むお茶目なおばあちゃん(86)−−−を想起させる。事あるごとに「茶柱タツ・・・」と呟いてその存在を思い出したりしてみたくなるようなポテンシャルを秘めている。
ただし彼女だけでは「奇妙な」ポテンシャルにはならない。奇妙なポテンシャラーとして引っかかるのは相方と思しき老人「エコロじいさん」の存在である。老婆の相方ということはやはりつれあいであろうと思うのだが「茶柱」姓でないところにモヤモヤを感じる。仮につけてみたところで「茶柱エコロ」である。今どき流行りのキラキラネームなら有り得なくもないだろうが、平成の御代における爺さんの下の名前が「エコロ」というのはシチュエーション的に想像し難い。
そもそもつれあいではないのかも知れない。イタリアかフィンランド辺りからの移民エコロ・G・フェルナンド氏(78)であるかも知れない。日本茶に魅せられその栽培方法を学ぶため日本にやって来たエコロ氏。帰化を果たして三十有余年、茶柱タツ師匠のもとで日夜伊勢茶の栽培に励むエコロ氏。茶は急須で飲め。ソビエトロシアでは急須が茶を飲む。
柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
正岡子規の名句である。
先日、NHKのアナウンサーが
柿食えば 鐘が鳴る鳴る 法隆寺
と言い間違えそうになっていた。フリートーク的な場面であったから何という問題にもならず、むしろもう一人の「そんなに沢山鳴りません」というツッコミが秀逸だと思ったのでそれはよしとしたい。ごんごんごんごんと連打される梵鐘を想像して頬が緩んだのは私だけではないはずだ。
それが言いたいのではなくして、「鳴るなり」を「鳴る鳴る」と言い間違えそうになった根本原因は、きっと長崎堂のCMにあるのだと思う。
鐘が鳴る鳴る長崎堂 カステラふんわり夢の色
続けて書いてみると味わいが増す。
柿食えば 鐘が鳴る鳴る長崎堂 カステラふんわり夢の色
字足らずである。ソビエトロシアでは鐘があなたを撞く。
「茶柱が立つと幸せ」というのは、「恵方巻き」という売り方を考案したようなものだという来歴が無視されているのもまた一興。