nagajisの日不定記。
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一般に暖し。生徒監殿の御注意の如く、上級生の良きをとりて良き伝統を作り、悪点は真似ずに取り入れざるべからず。交換〔手偏抜け朱訂正〕駈足ありたれども、あれ程の鍛錬にては不足なりと思う。秋の今日過食のため下痢したり。人太るべき此の秋に、下痢するとは何事ぞ。遺憾とするのみならず恥とせざるべからず。契闊集合所へ行き、書を読みたのしみなり。
久方振りにて雨を呼び夕方急激に冷え風を加う。
終日学術練磨回にしていろヽ得たり。雄弁が己がものにしたき感せり。特に最後に於ける天然色の映画は驚意〔異〕の的なりき。雪にせよグライダーにせよ誠に好ましきものならずや。
我等はナチス党歌をなす。
明日に据えて二十時半消灯す。
我近日風流になりて俳句を好む如くなりぬ 入浴後朗かに食堂前を歩きつゝ
吹く風に あちらこちらに いてふの葉
を作りたり。
不達・・・。正確にいえばs23.coreserver.jpのIPがスパム認定されているようだ。どげんするかねぇ。。。
yahoo.co.jpで登録されている方、受付からのメールに御注意ください。次号発行までに別アドレスからお送りする設定に変えるかも知れませんがドタバタして忘れそう。
15日中には発光するよ。いや発行するよ。いつもの記事に加えて今回は寄稿が2本もっ!表紙画像の投稿もあるでよ!(<これは公開までひみつ)
碓氷峠 御巡幸道路 (前編)
超有名な峠に隠された明治新道を踏査します。明治天皇の巡幸のために開かれた道はいま・・・
旧橋紀行(32) 福島県・十綱橋
湯の町に残るブレースドリブタイドアーチ。そこに到るまでの変遷をたどる純TUKA風旧橋紀行。
有峰林道小見線(by 磯部さん)
いただいちゃいましたよ? 有峰林道の成立とその意義までわかる氏謹製pdf。グッとくる廃隧道写真多数!
JR山陰本線のラチスガーダー(by ホルモン焼きさん)
いつも小さなスペースで我慢していただいていたので、大写真の独立記事に。まず見ることのないラチスガーダーの、しかも裏側まで激写〜
いつもの。
問題は150ページもあることだな>東熊野
何とかここまで来た・・・。というかnagajis動き遅ッ!
最初はどうなることかと思ったが、ラインナップを見るとかなり洗練&充実のネタという感じがする。さあて、ここからがまた大変。執筆者の皆さん、来年4月の発行に向けて頑張りましょう(台割確定したわけではないけど)。
川上村(吉野)の木馬道は異常。
「人は自分よりも劣るものの存在に安心する」とは糸色先生の言であるが、その実例ともいうべき笑話の群が、日本全土に普遍的に存在していた。自分達の住む地域よりも辺鄙な場所の出の者が、世間知らずな言動をし、失敗をやらかすといった類の笑い話(あるいはそういう世間知らずな失敗譚を田舎者に仮託した話)である。柳田国男「吉右会記事」にその例が多く挙げられている。例えば上総の川津場話、信州佐久で言う所の川上話、高井郡の秋山話などなどなど。大分県では吉四六さんの話などもその典型であったらしい(そもそもこの一編は吉四六話を蒐集する会のために書かれたものであった)。ということを今Google日本語入力で入力したら「吉四六」が変換できずTab候補にさえ出て来ないマイノリティであることを知り愕然とした。それはまあ余話であるから深くは掘り下げない。野津とは無縁なはずのわが町の名産が吉四六漬でありε口な富永一郎画イラストであったこともこの際無視する。
辺鄙な地に住んでいることはそれだけで嘲笑の対象になる。佐賀関出身の友人乙君もよく「一尺屋」の話をしてくれた。一尺屋は佐賀関市の北東端、臼杵に隣る一大字で、佐賀関唯一の中学校・神崎中とは関崎を挟んで対極に位置している田舎(傍点)なうえ、臼杵に近い関係からみかん栽培が盛んだった。それで一尺屋出の者は「みかん臭ぇ」といって笑われたそうである。関サバ関アジと吉田会館と関崎灯台以外に何も無い佐賀関を舞台にしたどっちもどっちな話だと思うし乙君自身もそれを了解したうえで自らも含む笑い話として聞かせてくられたのであったが、お陰で一尺屋は私が知っている唯一の佐賀関市の大字である。今でも。
どだい人は多かれ少なかれそういう心の闇を持っているものなのだろう。それがあるからこそ田舎中傷譚---愛惜交々な笑話なのだから、中傷というのは適当でないかも知らぬが---が生まれたのに違いない。柳田翁も自身の例をあげてこんなことを書いている。
自分の生国でも々越知谷の話と云ふことを聞いて居る。たつた一枚の瓦を火取に用ゐている居る家から、父に連れられて川下の里に出た子供が、「おとうこゝらぢゃ皆十能で屋根を葺いとるなう」と謂つたと云ふ話などは、私には実は腹を抱えるほど可笑しかつた。(定本柳田国男集第七巻:強調筆者)
強調した辺りに言い尽くせない奇妙なポテンシャルを感じる。それが言いたかった。反省はしていない。
高校時代、毎朝英単語テストがあった。とある英単語帳の1ページに載っている英単語の中から意味を答えさせるもの5問、綴りを書かせるもの4問、慣用句の穴埋め1問みたいな感じの簡単なものを毎朝やらされた。8点を下回ると何か罰があったような記憶があるが定かではない(下回ったことがないとかゆう理由からではない。脳が劣化しているだけだ)。ともかく前の日の晩および登校時に英単語帳を見ながらぶつぶつ言うような高校生活を送っていた。
同級生に正太郎君がいた。正太郎君といってもリモコンを持ってビルの街や夜のハイウェイに現れたりはしない。しかし愉快な人だった。ある晩自室で翌日の英単語帳をめくっている時、窓の外、一階の庇の上を伝って、正太郎君がやってきた。そうして窓の外からこう宣った。
殺人犯は来たか?muderer 。
そうして正太郎君は庇伝いに帰っていった。
私はそれに驚くことも、笑うこともできなかった。何故なら私も同じことを考えていたからだ。
うしろのほうの日記で起こったことが表沙汰にならないのはちと考えものだ。さて、どうコメントを返したらいいものか。
張り切って早くに寝て早くに出たわりに無事終わった。蹴上発電所内部の写真が公開できないのは勿体無い。写真はいかにも嘘臭い中途半端な写真。無鄰菴にて。
講演の内容もたいへん刺激的だった。琵琶湖を世界遺産(産業遺産)にするためにはどうすればいいか、どのような問題があるのか。産業観光のあり方。地域を変えるのは3つのモノ。メモがどっかいって思い出せんが「よそ者」と「馬鹿者」だということ。
昨日連れていっていただいた川上村で、西河の銀杏がライトアップされているのを見つけた。周りが暗いので余計映える。いろいろ工夫してみたけれど結局これが一番しっくり来るのだった。
街路灯を廃して、すべてこのような街路樹のライトアップに切り替えてみてはどうだろう。返照で充分明るいし、寂しい感じも軽減される。
琵琶湖疏水、徳俊橋〜夷川発電所の間だったか。青一色。
'08の沢川林鉄探索のとき、盤台直下でmasaさんが見つけたコーヒーって、これじゃなかったっけか。色合いやデザインはまさにこんな感じだったし「カスタム」というのにも見覚えがある気がする。
一仕事終えたので弛んでいる。次にすることを考えないといけない。冬の間のネタとか。いい加減都計を何とかしないといけない気もする。亅拭かないままパンツ履いてしまっているような心地悪さがある。あれもこれも。
円安になる前にアレしとくこと。忘れないよう。
みゅっと眠りにおちかけて、夢のかけらを拾いもしたのだが、何かの拍子に目が覚めてしまって、以来眠気がどこかへ行ってしまった。困ったことだ。
どうしても起きていなければならない時、逆に10分程度の仮眠を取ると目が冴えるというけれども、それよりも短い睡眠もどきで同じ効果を得てしまった格好。今さらそんな技を身に付けてどうしようと言うのだろう>nagajis。とはいうものの、こういう眠り損ないは以前からよくあった。最近はあまりなかったのだが。久しぶりだ。
で、何かを書いて疲れようという目論みも上手く行かなさげ。書きたいと思うことが特にない。書かなければならないことがない。書いて楽しく思えるようなことがない。ゆく4やらOdysseyやらで書き尽くしたからだろうか。
Oさんが打ち合わせに来てくださった時、書く気力が薄れてきてるんですよと弱音を吐いたら、らしくないと励ましてくれた。そのうえで6+12ページも奢ってくださった。応えられただろうか? 自分は最善を尽くしたつもりでいるが。「道の変遷」も3人共著をものにすることができた(これは渡辺さんとのがなさんが良い記事を書いてくださったお陰)。額もここでは使い回し気味のネタだけれども、企画ページは自分のイメージしていたような盛りだくさん感を出せたんではないかと思っている。まあ、自分が思っているだけで評価は他人のする仕事だから。言うだけならば多田だし。
今回は何をしようか・・・檸檬ネタは前回やっちゃったしなあ。本編にはいろいろ爆弾を仕掛けておいたんだけどなあ。iso-2022-jpとか合わせ鏡的自己言及とか。
ふと「石垣が好きだ」の系列で「橋が好きだ」をやってみようかと思ったりした。かえって難しいかな。あのノリでやると。技術の塊を技術抜きで書き表すのは。いやいやあのノリでやってみることが即ち凝り固まったnagajisの頭を爆破解体して再構築することになり新紀元を画することになるんじゃないかしらん。最近は易い探索ルポばかりに流れてるしな。問題は「今さら橋がすきだー」と叫ぶこっぱずかしさに耐えられるかどうかだけだ。
ん、でもまあ、過去一年間に書いたものを振り返ると、それなりに幅が広がってるんじゃないかなと思う。年にひとつは徹底追求する記事を残すことが続けられている。それはいいことだ。受付とジスオも頑張ってくれてるしな。さて来年は何を追求するか。何の新しいことを始めるか。
○○研究家とか○○専門家って、よくまあそんな大それたことが臆面もなく名乗れるなあと思う。よほど自分のやっていること・考えたことが間違ってないという自信があるのだろう。早くそういう境地になりたいものだ(廃道研究家になりたいという訳ではない。そんな肩書きは願い下げだ)。
もっとじっくり道を歩いてみたい。何度も同じ道を歩いてみたい。人に話を聞いてみたい。そちらをメインにする方向に今後は移ってくんじゃなかろうか。いや移っていくべきなんじゃなかろうか。やっとまともに歩けるようになったんだから、次は自転車旅の練習だ。
他人を貶したり貶めたりするのは簡単なことで、そうやって自尊心を保つことはできるだろうが、それで保った「自分というもの」の価値がどれほどのものか、省みればすぐにわかる。故に貶したり貶めたりする気にはなれない。この論を突き詰めていくと他人に共感したりしてもらったりることも意味をなさなくなってしまう。賢く仲良く生き延びたところでタノシイ現世が待っているわけでもないしな。自分の興味はいつも明後日を向いていて、それを追求する限りにおいてはこの世はとりあえず用がない。社会に阿る必要もない。虚空に向かって空虚を叫んでいれば万事である。
書いたものを読み直していて「易い探索ルポ」を「易いポルノ」と空目した。良い傾向である。
ふだん人と話をする機会が少ないので、発話した情報の量よりも書いて出した情報量のほうがはるかに多い。けれども書いたものの絶対量なんてたかが知れているので略把握しているつもりでいる。話したことのほうが「そんなこと言ったっけ?」と思うことが多い。その点書いた情報は検索して確認することもできるので便利だ。閣雲堂の件っていつか書いたことがなかったっけ?と思って検索し、確認したり。チキン!
未提出の調査票おくる。天川村の動向をきく。できれば訪問日時のけってい。感電問い合わせ。一度奈良図に行く必要があるか。KNT。
いつものごとくのタイミングで記事up。何とか間に合ったようだ。あとは埋草など整えればOK。今号はアンケのコメントすらないので楽ちゃ楽。まあ回答がないこと自体は大昔から何度もあるのでどうということはない。粛々と作るのみである。
TUKAさんが自宅の水道工事をしなければならず、その間家を空けなければならないということだったのだが、それがこの土日に当たってしまったため最後のチェックをしていただけない。間違えないように発行し。
あ。
TUKAさんの編集後記、頂いてないや。
いつも全部終わってからもらってたものな・・・自分もそうだ。最後の最後に書いていた。すっかり忘れてた。
うーん。空欄にして発行するしかないか。先に言わなかった自分のせいだなぁ。部屋掃除も洗濯も食事も後回しにして作り続けてるっちゅうねん。
受付から「死ぬ気でやってる?」と電話があった。おそらくどこかで「nagajis死ぬ気でやれ」といっている連中がいるのだろう。やっとるっちゅうねん。
バルカン砲がちゃんと機能するか確認しておかないといけない。発行後に久しぶりに使わないといけない。返事があるかどうかはわからないが。
先に見たのは垂直ケーブルカー跡探索だが「また探索かよ」と思うので飛ばす。
テレビ番組のような展開。夕方5時6時のニュース番組でやっているような地域情報発信コーナーの模様。アナウンサー二人が喋っていて、背後のスクリーンには国道2号の舞子辺りと思われる歩道が映っている。子供を対象にした地域再発見ハイキングをやっていて、そのようすや舞台裏を報じているようだ。
はじめのほうははっきり思い出せないのだが、ともかく舞子の辺りから国道2号を通って東へ歩いていくというものらしい。最終目的地も喋っていて、目覚めた直後ははっきり覚えていたのだが、それから16時間経過した今では思い出すことができなくなってしまった。確か○○タイ山だったかタイ○○山だったか、タイの二文字が入っていた気がする。その四文字は実在する固有名詞と一緒なのだ---例えばタイヤキ山とか、シマタイ山とか、そんなの---が夢の中の私は二つをマージすることなくあくまで○○タイ山orタイ○○山という固有名詞として認識している。(ここはちょっと興味深い。ワナビーと聞けばピョンピョン跳びはねる動物を連想せずににられなかったり摩耶山とテクマクマヤコンが連動したりしがちな自分が夢の中ではそうならなかったということで、連想に関する回路の働きが夢の中では鈍ってしまうらしいということだ)
ハイキングの成り行きも報じられていたはずだが覚えていない。目的地と思われる山につき、案内の大人の話を聞いているシーンからははっきりとし始める。現地はあいにくの悪天候。しかもその山は岩山で、雨風を遮るようなものはない。吹きさらしの馬の背のごとくな山頂に子供らが20人ほど寄り添って立ち、こちらを向いている。その前に立って話をする大人が一人。霧がかかったようになっている周囲はどんどん暗く、寒々しくなっていく。
やがて雨が降り始め、我慢して聞いていた子どもたちがざわつき始める。うつむき、背を向け、寄り合ってギュウギュウになる。子供らはみな鮮やかな発色の服を着ていて、背景の底寒さとは対照的な活気を発散しているのだが、その服の背や肩がポツポツと濡れていくのを見ているといかにも冷たそうで気の毒になる。
やがて傘を差す子がでてきた。パッパッと開く傘の花もまたVividな色をしていてなんとも不思議な光景が現出する。もうその頃になると説明の大人も諦めて子どもたちの一団のなかへ混じり、自身も傘をさして風雨を凌ぎ始める。その一部始終がドキュメンタリー番組のごとくに放映されている(と見ている)のも妙な感じだった。こんな放送事故的なの流してええんかいな、みたいな憤り。
場面は変わって案内人の暮らしぶりのドキュメントになる。晴れた草原にさっき喋っていた男が一人で立っている。別の日の撮影なのだろう。男は何とかという大学の先生でもある。その仕事の傍ら地域再発見イベントをやっている。云々のナレーション。当の男は何やらカラフルなボールを取り出し、傘を一本差して、大道芸のようなことをやりはじめる。右手に高く掲げた傘からボールを落とし、頭で跳ね、肩で跳ね、肘で跳ね、手の甲で跳ね、というようにボールを階段状に跳ねて落としてゆく。地面に落ちたボールはどういう具合かわからないがひょいと跳ね上がってまた傘の上へ戻る。そうやって階段落としを繰り返すのだ。そのうちボールが2個になり、3個になり、終いにはどの段にも常に一個のボールがあるような状態になる。しかもそのボール操りが正確無比で、跳ねる高さも跳ねのタイミングも一緒。まるで本物の階段と機械仕掛けの揚玉機による繰り返し運動のように見えてくる。男が階段状の何か?を被っていて、その上ではねて落ちているかのような規則正しいボールの跳躍に、しばし見とれてしまう。
それを見て自分が連想しているのは、足にローラーのついた小さなペンギンがコースをぐるぐる回り続けるおもちゃだった。途中に氷山に擬した階段があって、そこをヘコんヘコんと登って行って、重力でコースを滑り降りていくやつだ。滑り降りた先はヘコヘコ階段の麓で、階段を上がって振り出しにもどる。商品名は忘れてしまったがネットで画像を見た気がする。ともかくそのおもちゃみたいだ、と思った。よく考えたら主体の進行方向が逆なんだけれどもな。
この場面でもボールの色のカラフルなことが目についた。緑の多い公園(いや、田の畦か休耕田といったほうがいいかも知れない、そんな草生した広場だ)に在ってなおその色が際立って見えた。私の見る夢はカラーであることが多いらしい。人によっては注目しているものにだけ色がついて見えるという人があるそうだが、そこまでピンポイントではないにせよ、それに近いほうかも知れない。岩山の場面も公園の場面も明らかにカラフルな色とりどりのほうに注目していた。
_ iso [immortalityにポテンシャルを感じていた16の夏。]
_ TEC [蒲江の人に「国東?行ったこともねーなあ(笑)」と言われた。 お互い様じゃあ!]