nagajisの日不定記。
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べつに偉人伝の続編を書こうというわけではない.前々からやりたかったことに取り掛かりたいのでその下準備をしようというだけである.そして明日すぐ行くつもりもない多分.
道路以外の文献.
●土木学会誌第20巻第9号(昭和9年9月)『天神橋改築工事概要』
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00034/20-09/20-9-12236.pdf
●土木学会誌第23巻第7号(昭和12年7月)『欧米の橋梁を見て』
http://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00034/23-07.html
○土木学会誌第71巻第2号(1986年2月)『故名誉会員 堀威夫氏のご逝去をいたむ』
リンクは会員専用.市立中央にあり.
○堀威夫編『思い出の後藤憲一』ガリバー印刷(1975年)
おーいえ,L-libraryにあるぞ.
●工事画報第14巻第1号(昭和13年1月)『安治川河底隧道工事』
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/14-01/14-01-2582.pdf
●『世界の橋(1)』
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/14-01/14-01-2588.pdf
●工事画報第14巻第2号(昭和13年2月)『世界の橋(2)』
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/14-02/14-02-2594.pdf
●工事画報第14巻第3号(昭和13年3月)『世界の橋(3)』
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/14-03/14-03-2608.pdf
土木学会誌報とあわせてよむとしあわせになれる.堀アングル!
●土木人物事典
には非収録なのだな...どうりで知らないわけだ>ジスオ
●設計橋梁
堂島大橋(昭和2年)
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/A5-065.htm
典拠『大阪市都市計画事業橋梁総攬』.どうせ市立にあるんだろ・・・と思ったらなかった.
丸一橋(昭和10年)
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/G7-028.htm
堀式突桁橋の第一号かつ唯一現存.その後茂左衛門橋(昭和13年)、助右衛門橋(昭和14年)で工費削減を実現.
田島治身が似たような片持梁橋梁を氷見線跨線橋(中川跨線橋)でやってるが多分シンクロ.被跨対象の行き交いを阻害しないで架けようというところなどは同じ発想.真ん中の吊り桁,地味に左右非対称なんだよな.そしてRC.いくら別建てで作れるといってもいろいろチャレンジング.すげえ>橋の小天才.
東京の十間橋も堀式?
http://homepage1.nifty.com/KISHINO-H/fukkou/kitajukken/jukken.htm
スカイツリーのビューポイントになってるみたいやけど,それが堀式だなんで誰が見向きするだろう? すげえ.
大江橋(昭和10年)
極秘裏に?設計されたというメタリックの図面,ないよなー.公文書館には工事記録が大量にあるが.いちばん古いので大正15年~昭和5年の工事書類/昭和2年~5年の図面.公募は大正13年.橋梁課配属は12年.
天神橋?(昭和9年)
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/A5-047.htm
歴鋼集覧では川上暢雄設計.大阪市役所『第一次大阪都市計画事業誌』pp.392 昭和19年4月.そして市立中央にある.
平野橋(昭和10年)
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/A5-051.htm
「むしろ橘君の」.
安治川河底隧道(S8~S19)
たぶん.一部関与.確かS16からは橋梁課長として.
●助役時代
ネットには詳細なし.昭和31年8月3日~昭和38年5月29日.
●ひと
田中豊 先生
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%B1%8A
言わずと知れた田中賞.
福留並喜 土木部長
橋梁屋に仕立てた.投稿記事多数.
大村,元良 先輩
平井敦 新淀川新橋が元で吊橋のprofessionalになっちゃった人
http://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00127/1964/mg01.htm
橘善雄 後に合成桁のprofessionalになっちゃった人
http://www.google.co.jp/search?ix=hcb&sourceid=chrome&ie=UTF-8&q=%E6%A9%98%E5%96%84%E9%9B%84
近藤和夫 聞き手・後輩・大阪市助役.千本松大橋の設計者.
その他たくさん.
http://www.waseda.jp/sem-yoh/temp/02/06ueda.pdfが参考になる?
●そのた
・大大阪橋梁選集 全三巻揃9まんえん!!! 市立中央にあるのでがまんしろ.
・大阪市+マルク債
大阪港については、1952年に大阪市が同港の港湾管理者となっている。大阪市は、大阪北港の修築と大阪南港を中心とする臨海工業地帯の開発を進めた。ただし、後者については工場の誘致に失敗したこともあり、1960年代半ばになって神戸港の開発や、次節で紹介する外貿埠頭公団の設立にあわせて、コンテナ埠頭の整備を中心としたものに変更されることになった。1962年には、大阪市が当時、堺泉北コンビナートを開発中であった大阪府と共同で西ドイツ・マルク債を発行している。これは、戦後初の地方自治体による外債発行であり、吉田茂元首相が西ドイツ政府にあっせんして実現したものである。それから、外債の発行にあたって運輸省や大蔵省などには事後承諾であったことも注目に値する18)。
18) 1962年から1965年までの4年間に4億ドイツマルク(約360億円)が発行された。大阪市・大阪府によるマルク債発行の経緯については、大阪市港湾局[1999]240-248頁、大阪府企業局[1982]176-177頁に詳しい。・大阪市港湾局[1999]『大阪築港100年史 中巻』大阪市港湾局
・大阪府企業局編[1982]『新都市の創造 ニュータウンと臨海工業地帯』大 阪府企業局林昌宏,瀬田史彦『港湾整備事業における行政体制の実態と戦略的方向性についての研究』平成22年度国土政策関係研究支援事業 研究成果報告書 http://www.mlit.go.jp/common/000140768.pdf
へぇへぇへぇへぇ.正しい名称は『大阪築港100年 -海からのまちづくり』.どちらも市立中央にあり.宝箱やでぇ>市立中央
地方債の共同発行は、地方財政法第5条の7に規定されており、特に新しい制度ではなく、かつて1962年から1965年にかけて大阪府と大阪市によりマルク債を発行した実績はある。
http://www1.ubc.ne.jp/~jichisoken/movement/2003/move200302.htm
そのころ外国からの借入金といえば世銀が存在していたが、こちらはダムなど国家的な事業に限られていた。そこで市が考え出したのがマルク債である。東京都と大阪市で借り入れの実績があり、宮崎辰雄助役 (当時) がこれを強力に推進した。あらゆる手づるを求めて打診を重ねたが、西独側も神戸市の埋め立て事業に理解を示し、43年5月、約1億マルク (90億円) の起債調印にこぎつける事が出来た。つごう四階の折衝で神戸が借り入れたマルク債は400億円 (2億7千マルク) 。ポートアイランドを推進する上で、強力な支えになったことはいうまでもない。
http://singetu.ddo.jp/uminaritamazu/port_pia.htm
五時侭.当時の流行だったわけですな>丸臭い.
神戸大学新聞記事文庫が腐っとーる・・・はよ直してくれ.www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/
とかいいながら行ってしまったnagajisを解決不能の謎が待ち構えていたのだった.<完>
終わるな.大阪市営地下鉄のこのマーク,「Osaka」のOと「コウソクテツドウ」のコを組み合わせたものという.以前は何とも思わずに見ていたが,今日車内でこのシールを見て以来,「コ」の位置がずれているような気がしてならなくなった.円の中心と「コ」の中心の高さがずれてないか.若干上に「コ」の中心が来てないか.「コ」で切り落とされる蜜柑房形,下のほうが大きくないか.
上の写真は車内に貼ってたやつで,車体の外に描かれてるやつ(右)はちゃんと中心で重なってるように見えた.んで撮った写真を見ているうちに,なあんか微妙にずれてるような気がしてきた.きっちり撮って測りたい衝動に駆られている.
とはいい条,単なる目の錯覚なのかも知れぬ.例えばフォントなんかでは等間隔で横棒が何段も並ぶような漢字(例えば王や目等)では最下段の空白を他よりもわずかに広くしている.そのほうが安定して見えるからだ.
王 目
それと同様の目の錯覚ではないかと.等間隔なはずなものがそうでないように見えると.
…いやまて,その逆というのもあり得るぞ.安定して見せるためにわざと広く取ってあるとか.
真相を知っている人はあからさまに教えていただきたい.
猫は時々ワープします。(でなきゃ家の猫達の行動が説明できない・・・)<br> そうで無くても猫の道は立体構造のうえに時々空中に作られていますので、人間が行けない場所でも普通に行けます。
なるほど! だから橋軸方向の反力が小さくて固定支承一つで済んだのですね!(人の話を聞け>jis<br><br>うちの猫は木とカーテンに登るのが得意でした.まさにワープ.猫の高上りって本当ですね.