トップ «前の日記(2012-01-12) 最新 次の日記(2012-01-14)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2012-01-13 堀威夫氏のことども [長年日記]

[ネタ][] 略歴

? 大阪市中央区曽根崎に生まれる

T12.3 *東京帝大工学部土木工学科卒

T12.4 大阪市技手(都市計画部)

S12.7 土木部橋梁課長

S17.6 大阪市理事

S20.8 大阪市土木局施設部長

? *技監室計画部長(昭和15頃技監室)

S20.9 復興局次長

S21.2 大阪市港湾部長

S22.7 大阪市港湾局長

S30.9 大阪市退職

S31.8 大阪市助役(大阪市初の技術系助役)

S36.11 藍綬褒章

S37.12 日本港湾協会の港湾功労者として表彰

S38.5 退職

S38.8 大阪埠頭倉庫株式会社取締役会長

S42.9 退職

S42.10 阪神外資埠頭公団理事長

S47.10 日本港湾協会の特別功労者として表彰

S47.11 第20回交通文化賞

S49.9 大阪市港湾審議会委員

S50.10 阪神外資埠頭公団理事長退任,顧問に

S50.11 勲二等瑞宝章

S52.5 神戸港功労賞

S52.5 昭和51年度土木学会功績賞

S52.10 *大阪港功労賞

S60.11.23 逝去

何が驚いたかって,最後に住んでいた家が編集部事務局から徒歩20分のところにあるらしいということ.メタル食品株式会社が豊中市庄内幸町にあったことを知った時以上村田鶴が豊能郡秦野村才田に住んでいた事実以下(限りなく後者寄り)の驚きである.橋梁よりも港湾に長く関わって功績も大きかったことも意外っちゃ意外.

[ネタ][] キャスト

三高時代

金森乾次 兄友 金森又一郎(大軌社長)の息子

影佐拙郎 兄友 影佐禎昭(陸軍中将・谷垣禎一の母方祖父)の弟

東京帝大時代

広瀬孝太郎 一高卒・級友 東大名誉教授
安藤秀夫 一高卒・級友 宮内庁林野局
野坂和如野坂相如 一高卒・級友 新潟県副知事 野坂昭如実父
後藤憲一 二高卒・級友 運輸省港湾局長,大阪埠頭倉庫KK社長
井関正雄 二高卒・級友 (株)熊谷組非常勤顧問

都市計画部

直木倫太郎 都市計画部部長 帝都復興院技監,満州に渡り科学・土木の発展に尽力
清水熙 都市計画部技術課長兼電気局技師長 淀屋橋駅にレリーフ
花井又太郎 係長 後に名古屋市助役
大村四郎 技師 翌年係長
岩田成実 都市計画部次長兼土木部長
辻井富之助 土木部で橋梁担当 後の交通局長
松浦不二雄 電気局技術部長,運輸部長
平井敦 同僚 後に東大名誉教授,瀬戸大橋の初案
元良勲 同僚,京大建築出身,大阪市土木部(都市計画部橋梁の意匠監修),後に大阪工大教授

土木部橋梁課時代

福留並喜 土木部長 “堀学校”形成に尽力 後に土木技監
今俊三 北海道出身・福留のモーションで入庁 後に東海大工学部教授(構造力学)
[金+夷]靖司 土木局河川課長 後にセントラルコンサルタント顧問
遠藤又吾 土木局河川課長
橘善雄 土木部 のちに大阪市立大教授
(近藤和夫 S34~橋梁課長 天神橋橋台下を掘る)
三浦文次郎 土木部橋梁課? 餓鬼大将 新潟地方建設局長,高田機工KK
江戸良三 土木部橋梁課・専門学校卒 江戸良夫(阪神外資埠頭公団大阪建設部長)の父

土木学会関西支部

高西敬義 当時支部長 天津築港で事務員とともに大陸に渡る
福留並喜 かわって支部長 幹事任される
中川辰夫 大阪市庶務課 事務を頼む 橋梁本購入 後に土木局次長
平野正雄 京大名誉教授 支部長
橋本敬之 運輸通信省第三港湾建設部長 支部長
大島太郎 運輸通信省第三港湾建設部長 幹事長
大塩政次郎 内務省大阪土木出張所長 幹事長

技監室計画課/都市計画部長時代

高津俊久 部下 後に大阪市計画局長,阪神高速道路協会理事長
太田栄次 部下 下水道育ち 他局との折衝
森下政一,三宅正三,中井光次(第一) 技監室時代の助役
中馬馨 民生局課長 後の大阪市長
福山真三郎 同期の助役 後に?港湾局長・総合計画局長・大阪南港複合ターミナル社長
桐本楠雅 建築局長 千本松隧道計画で議論 

港湾局長時代

鮫島茂 顧問・三高先輩 内務省港湾局長・(株)日本港湾コンサルタント会長

後藤憲一 当時運輸省港湾局長 比田正 運輸省港湾局長 日本テトラポッド社長
佐藤肇 運輸省港湾局長 日本テトラポッド社長.日本港湾協会会長
東寿 運輸省第三港湾建設局長 大阪港復興計画書の作成
栗本順三 助役 (株)栗本鉄工所会長,阪神高速道路公団理事長
四宮忠蔵 (株)辰巳商会創業者・会長 南港埋立を推進?
中井馨 この頃市長,南港埋立を推進
顕谷(あらや) 大阪市港湾局・同和対策部長
橘好茂 当時技術部長 大阪市港湾局長.後に鴻池組顧問
和達清夫 気象庁長官 大阪港湾地盤沈下の原因調査

助役時代

広瀬孝六郎 通産省の地盤沈下対策委員会? 後に?東大名誉教授
河村重俊 大阪市総合計画局長 大阪市街地(株)社長
中村市議会議員 民社党
次田虎雄 大阪市議会議長

阪神外資埠頭公団時代

佐藤肇 運輸省港湾局長
澤 官房長
佐藤光夫 次官
隅野源治郎 マルク債疑惑?を議会で質問 後に大阪市議会副議長

外野

田中豊 当時復興局橋梁課長 花井の知己
樺島正義 田中の紹介
高橋逸夫 京大教授 大正運河のバスキュール橋設計
(増田淳ェ・・・)
近藤泰夫 京大教授 アドバイザリ 外国文献
田原保二 (株)日本構造橋梁研究所社長 『橋梁美観論』
武田五一 京大工学部教授 橋梁意匠監修 元良を紹介
クリポシャイン 橋梁著述 スタープボーゲン
岡部三郎 東京市土木局橋梁課長 安治川隧道の素案,指導
吉田茂 マルク債
アデナウアー 西ドイツ首相 マルク債
デューイ 弁護士 アメリカ外資
米谷栄二 京大教授 築港深江線に反対
左藤義詮 大阪府知事 浜寺埋め立て 後に防衛庁長官
ワッデル(ワデル) 東大教授 「キャラクター」と[テクニック」不可分という話.
c.f.東京大学展 学問の過去・現在・未来 第一部「学問のアルケオロジー」http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Archaeology/03/31500.html

錚々たる人々である.こう見ると改めて安治トンの検討委員会in土木学会関西支部が身内ばかりだったとわかる.直木倫太郎,岩田成実,近藤泰夫(が抜けてる↑),他にもいそう.まあこれは仕方あるまい.実地知ってないとあんなん設計できひんわー.

[廃道本][宣伝] 藤井肇男さんより御礼状

画像の説明村田鶴探しの突破口を見つけて下さった忘れることのできない方.『土木人物事典』や土木学会附属図書館などでもお世話になっているはずなのだが,あくまでもいち利用者としてなので当然ながら住所等存じ上げていない.そのため非礼を承知で馬場先生にお願いし,先生経由で送っていただいていた.しかしその封筒に送信状とか名刺とかを入れ損ねる失態をnagajisはしたらしい.藤井さんからイカロスさんのほうへお尋ねの電話があったそうで昨年最後の冷や汗をかいた.

労書『土木人物事典』を著した方だけに,このような本を送りつけるのは釈迦に説法的な気恥ずかしさがあった.いろいろ覚悟していたが豈図らんや正月の間に読んで下さったとのことで,お褒め・励ましのお言葉まで頂いてしまった.有難く,そして背筋の正される思いがする.

なにより嬉しかったのは増田淳の墓碑の写真を同封して下さったこと.どこにあるかわからず&時間がなく5人のなかで唯一墓参ができていない.そのへんを把握されるほど,隅々まで読んで下さったということだ.

[独言][橋梁][][ふむ] 都計事業と橋梁

『第一次大阪都市計画事業誌』はもちっと早く読んでおけばおかったよ.なぜその橋梁形式にしたのかとか変更した理由とか書いてあるのもあって参考になるどころの話じゃない.個々の橋梁の話はあちこちにあって,そこで形式の採用理由を知ることができるけんども,全体を眺め渡してみることができるとずいぶん捗る.田蓑橋渡辺橋大江橋水晶橋に小さなアーチがついてた理由とか.とはいえ『技人一如』を読んだから理解が深まった面もある.順番がこうでよかったのかもしれん.

都市計画道路の橋梁は都市計画課で設計.そうでないやつ(戎橋とか)は土木部で.都市計画課が土木部に移って橋梁課が設けられてからはそちらで.なるほどなるほど,と(nagajisのなかでは)あれこれが繋がっていく.

本日のツッコミ(全6件) [ツッコミを入れる]
_ 高橋ま (2012-01-13 06:36)

野坂昭如の実父なら野坂相如だったかと。それとも改名?

_ nagajis (2012-01-13 20:10)

お、確かに仰る通りです。原本が間違ってますなー。

_ 高橋ま (2012-01-14 18:08)

子が昭如で親が和如なら、子と親で昭和になりますけど。ネタでしょうか。

_ nagajis (2012-01-14 22:19)

あり得ますよソレ!

_ 虫井けい (2014-07-27 20:32)

初ツッコミで失礼します。<br>鮫島茂氏に関しては本省局長に就いておらず、また内務省には<br>港湾局はなかったかと思います。(土木局→国土局の港湾課)<br>ご参考まで↓<br>//www.jportc.co.jp/modules/outline0/index.php?id=10<br>//www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/housei/sisi/sisi2/syozai.html

_ nagajis (2014-07-28 00:20)

あ,これは失礼しました.メモのメモのごとき覚え書きのままで放置していますので多々間違いがあろうかと思います.ご容赦下さい.


トップ «前の日記(2012-01-12) 最新 次の日記(2012-01-14)» 編集