nagajisの日不定記。
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剣術は連続斬撃を行う。随意運動時にては二千米コースを走る。冬に於ける運動は走ることに勝ることなしと思う。何となれば自熱を生じて温る以上、将来約立つ故なり。一日の行動が近日愉快になりたり。特に食事時・入浴時・日夕点呼後なり。今日は一週間振に太陽半日顔を出ししが、満天白雲に被われ、如何にも冬の気候をそのまま表したる日にふさわしき日なりき。
特に「ニュース」なし、マレーに活やくする将卒の武運長久を祝すのみ。
〔nagajis:「温る」は日偏に誤る。「約立つ」も訂正なし。〕
昨夜よりの雪は降ったりん止んだりにて終日降り続き五糎を越す。朝食事零下七度。強より十日間寒稽古、今日は柔道にて終段。相当に暖くなりぬ。特に腹に力を入れて正坐すれば暖くなるを体験したり。五人となす。入浴は寒き日に於て我等の最も好む所なり。良好なり。
年が明けて少しは楽になるかと思ったら全然進展(進歩)しない仕事に嫌気がさした。いいかげん始めないと自分の首が絞まる。ということでCD受注開始。
その前に、寄稿などでお世話になった方へCDを差し上げたく、昨日の晩に全員にメールをお送りした(まだ届いてないよ!という方はご連絡下さい)。住所を存じ上げている方には有無を言わせずお送りさせていただく旨了解を取り(取ったというのだろうか)、寄稿して下さった方で住所をお教えいただける方はご返事くださいと。すでにいくつかご返事を貰ったので、順次配送を予定。注文フォームをご利用された方はちょと待ってくださいね。
というわけで、
nagajisが〜
夜なべをして〜
発送作業をするよ〜。
カッコいいのと野暮なのとどちらか一方を取れと言われたら悩んだ挙句に野暮を取るようなnagajisである。今回の発送作業のツッコミ所を解説したい。
まず、封筒の裏。マナーとしても宛先不明で帰ってくることも考慮して発送者の住所氏名を入れる必要があった。最初はラベルに印刷して、と考えていたのだが結構馬鹿にならない額がかかることが判明し却下。代替案として浮かんだのが「ハンコを自作する」ことだった。
日本の廃道編集部、事務局住所入り。実は昨年のクリスマスイブ、nagajisは一人寂しくこのためのハンコを彫っていた。きっと今ごろ世界中で2人の愛が以下略などと考えつつ彫ったのが罰が当たったのだろう、その時作った第一号は見事に失敗したのだった。
その後、年末から年始にかけてゴム板から削り出しの第二号(写真)を作成。これが実戦投入される。こちらも言うほどきれいに仕上げられず、之繞の一画目を欠いてしまったりしていてちょっとどうかと思う仕上がりなのだが、まあ、ないよりはましだ。ちなみに柄の部分は炬燵の足にした2×4材の余り。
中には送信状が入っている。ただ入れるだけではつまらないので日本の廃道の公印を押している。送信状に公印なんて剛毅だなと思われるかも知れないがこれも自作だ。作れるものなら作ってみろな癖物なうえ、石材の模様の控えを取ってあるので偽造不可。局員さんにも覚えてもらってるもんね。
もう一つツッコミ所があるが、これは届いてからのお楽しみということで。たいそう回りくどいギャグなので解らないかも知らぬ。ここを見て下さっている方には解っていただけるかも知れない。
忙中閑あり。先日ふとしたきっかけで大学の後輩&同期の新年会?に顔を出した。場所は折箸の命題で知られるI氏宅。
みな電気系なので話がぶっ飛んでいる。しかもその中心はあのI氏である。どうにかならないほうがおかしい。
新年会なのにたこ焼きを焼いた。というか何故かたこ焼きメインの新年会である。タコを先に入れるかタネを先にするかで議論した。
I氏「タコを先に入れるか後に入れるかで悩むよな。」
Id氏「タコを先に入れないと旨くないらしいですよ。タコが焼けなくて。」
Op氏「タネを先に入れたらタコが埋没してしまうからタコを入れたかどうか解らなくなりますよ。」
Nagajis「待て。このタコも粒子であると同時に波であると考えることはできないだろうか。たこ焼き器の窪みはポテンシャルの井戸だ。」
I氏「トンネル効果によってある確率で隣の窪みにしみ出してくる。タコが入っていなくてもな。」
As氏「そうしてタコが入っているかどうかは食べる瞬間に決まる」
Nagajis「シュレジンガーのタコ」
Op氏「余りにも不確定性理論」
I氏「フロ・マンタン」
Id氏「じゃ(ぽ|ぱ)ーん」
そんな馬鹿話を延々と繰り返したこ焼きを焼き飲み続けた10時間。我々は無限ループを繰り返す。
while(愛){ eval " sh 畏怖 [非ユークリッド平面における箸=1本でものが挟める] 禅 do たこ焼き エロス畏怖 [たこ焼きの具としての大葉=刺身そのものより有益] 禅 do 関数(3本箸の普及促進) エロス do 新築祝いとしてのJenga 不意 不意"; sub 関数{ return 有意義; } 愛++; #必然性がない訳が無い }
折り箸に関する新たな知見と新命題も得られた。課題山積みのnagajisだがCDが5枚売れたのでよしとする。
地球滅亡完売まで、あと986枚。
_ 家猫 [股擦れ少し良くなったから再チャレンジじゃ! 今回は視点を変えてみようかいな、うむ、単純に行こう CD送付の文書作成の最後に注目。 送付状の後半は「ふじこ」に書かせたな(ふじこが何者か知らないのでど..]
_ 家猫 [マタマタよく見たら、今回の視点は「笑点」にする。 歌丸=nagajisau 、ふじこ=受付、山田=歌で登場と赤色と4角形、材料これだけあればいいかな? >言ってませんたら………… (歌丸)そんなこ..]
_ 家猫 [てーへんだ!てーへんだ!ご隠居、てーへんだ! 熊さん、何を慌てているんだい、まあゆっくり話してごらん聞いてあげるから 実はかくかくしかじかで、夜も眠れなくて困っているんですよ、何とかしてくださいよ..]
毎年この時期長浜で長浜盆梅展(ながはまぼんばいてん)が行なわれる。十日戎と同じくらいの確度でニュースになる。
聞くたびにいつも、もっと古風な催しにして、名前も「長浜盆梅会」にしたらいいのに、と思う。
長浜盆梅会 (ナガハマ・ボンバイエ)
だからどうした、という。やっちまえアリ。
旧臘中に注文された方へ発送終える。封を切る時に千切らないよう御注意されたし>皆様。あと手作業でカットしてあったり手作業で封詰めしたりしているので切り損ないとか数足りないとかあるかも知れない。その時はnagajisまでクレームをつけてください。
白抜き文字を旧旧旧旧世代のインクジェットプリンタで再現するのは無理。柱本も諦めていただくほうがいい。しかしここは間違うべきところじゃねーよなー。お陰で私の取り分無くなった。
恵まれないnagajisにもなにかください。
林業へのテコ入れ賛成です。
廃道に自身を重ね合わせてみたりするからいろいろ腹が立つのだろう。こんな自分でもなんか役に立つことがあるかも知れないと思うからそうならないことに苛立つのだろう。所詮は一時の息抜きのために求められているのだ。いくらやってもうだつの上がらない日陰者は不必要だから日陰者なのだといい加減気付きたまえ>njis
笑って、そして帰っていく家のあるやつは幸せなんだよ!
大杉谷直すつもりだったんだった。Mac落してしまった。また明日やるか。
序の序を1の頭へ持っていく。2度探索した〜の段は削除。概要―S9〜S40 まで、いやいやそこも変えるか、S9―S40まで・関西を代表する線の一つ・山深さとアプローチの難しさをさらりと―Wikipediaへ誘導。ここで序に誘導しない。「初めて探索したのは2009年のGW。その報告をする」。序は1の後ろに蹴り飛ばす。独立記事ということにして。んじゃ扉も変えんといかんのか。序のおわりも変えないといかんのか。面倒だ。
前々号からリンクの仕組みを変えた(ローカルにファイルがあるかどうか確認して、なければサイトへ誘導)ので結構面倒なことになっている。過去号へのリンクを貼るのはすぐにできるが、同じ号の他記事へのリンクは最後の最後でないと作れない。理由1.ファイル名が確定している必要があるから。理由2.どんな記事が来るのか最後までわからないから(統合版第○部にどの記事が入るか確定しないから)。理由3.リンク作成ツールがDLページ作成ツールと連動してるから。特に表紙のリンクが引っかかる。ということを毎回毎回最後の段階で気づいてあわてふためくのだ。どうもなあ。そんぐらい覚えとけよ。
あ、とすると大杉谷の1→序リンクも大変なことになったりするのだろうか。いやだなあ。やりたくないなあ。
東熊野形式にするか・・・冒頭§1か2に地図入れて。そのほうが経済的ではあるが。またあのリンク貼り直しせなあかんのかー。
次回アプローチと不動谷支線。次々回日浦杉線。次々々回不動線(1日目含む)と事業所跡。か。その頃には請取峠も片付いてるだろさ。許可が下りれば。
和歌山街道は明治11年に実地測量されてる。19年の議事録とかも見たいしなあ。また県庁に行かんとイカンのかなあ。あと〜19年になじょして変化したんか突き止められたら。と思ったら請取峠とは直接関係しないよなそれ。
県道1等が最後まで放置の助だった件はどこかに入れておこう。これは見逃していた。
導入の2002の日記は請取だけでいいのか。最小限入れ込む必要がある[must]のは2002年に請取峠を越えたということ(その時の写真)だけだからな。白髪と新道はあまり必要ない。けど勿体無いな。なんかうまい手立てはないか。
しんどい思いをした1日だから書いておきたく思うのはツマラナイな。もう2、3意味がないと。分水嶺つながりで興味を持って、登り比べてみた、という話なら高見峠をもう少し詳しく書いてやったほうがいい。
べつに偉人伝の続編を書こうというわけではない.前々からやりたかったことに取り掛かりたいのでその下準備をしようというだけである.そして明日すぐ行くつもりもない多分.
道路以外の文献.
●土木学会誌第20巻第9号(昭和9年9月)『天神橋改築工事概要』
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00034/20-09/20-9-12236.pdf
●土木学会誌第23巻第7号(昭和12年7月)『欧米の橋梁を見て』
http://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00034/23-07.html
○土木学会誌第71巻第2号(1986年2月)『故名誉会員 堀威夫氏のご逝去をいたむ』
リンクは会員専用.市立中央にあり.
○堀威夫編『思い出の後藤憲一』ガリバー印刷(1975年)
おーいえ,L-libraryにあるぞ.
●工事画報第14巻第1号(昭和13年1月)『安治川河底隧道工事』
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/14-01/14-01-2582.pdf
●『世界の橋(1)』
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/14-01/14-01-2588.pdf
●工事画報第14巻第2号(昭和13年2月)『世界の橋(2)』
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/14-02/14-02-2594.pdf
●工事画報第14巻第3号(昭和13年3月)『世界の橋(3)』
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/14-03/14-03-2608.pdf
土木学会誌報とあわせてよむとしあわせになれる.堀アングル!
●土木人物事典
には非収録なのだな...どうりで知らないわけだ>ジスオ
●設計橋梁
堂島大橋(昭和2年)
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/A5-065.htm
典拠『大阪市都市計画事業橋梁総攬』.どうせ市立にあるんだろ・・・と思ったらなかった.
丸一橋(昭和10年)
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/G7-028.htm
堀式突桁橋の第一号かつ唯一現存.その後茂左衛門橋(昭和13年)、助右衛門橋(昭和14年)で工費削減を実現.
田島治身が似たような片持梁橋梁を氷見線跨線橋(中川跨線橋)でやってるが多分シンクロ.被跨対象の行き交いを阻害しないで架けようというところなどは同じ発想.真ん中の吊り桁,地味に左右非対称なんだよな.そしてRC.いくら別建てで作れるといってもいろいろチャレンジング.すげえ>橋の小天才.
東京の十間橋も堀式?
http://homepage1.nifty.com/KISHINO-H/fukkou/kitajukken/jukken.htm
スカイツリーのビューポイントになってるみたいやけど,それが堀式だなんで誰が見向きするだろう? すげえ.
大江橋(昭和10年)
極秘裏に?設計されたというメタリックの図面,ないよなー.公文書館には工事記録が大量にあるが.いちばん古いので大正15年~昭和5年の工事書類/昭和2年~5年の図面.公募は大正13年.橋梁課配属は12年.
天神橋?(昭和9年)
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/A5-047.htm
歴鋼集覧では川上暢雄設計.大阪市役所『第一次大阪都市計画事業誌』pp.392 昭和19年4月.そして市立中央にある.
平野橋(昭和10年)
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/A5-051.htm
「むしろ橘君の」.
安治川河底隧道(S8~S19)
たぶん.一部関与.確かS16からは橋梁課長として.
●助役時代
ネットには詳細なし.昭和31年8月3日~昭和38年5月29日.
●ひと
田中豊 先生
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%B1%8A
言わずと知れた田中賞.
福留並喜 土木部長
橋梁屋に仕立てた.投稿記事多数.
大村,元良 先輩
平井敦 新淀川新橋が元で吊橋のprofessionalになっちゃった人
http://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00127/1964/mg01.htm
橘善雄 後に合成桁のprofessionalになっちゃった人
http://www.google.co.jp/search?ix=hcb&sourceid=chrome&ie=UTF-8&q=%E6%A9%98%E5%96%84%E9%9B%84
近藤和夫 聞き手・後輩・大阪市助役.千本松大橋の設計者.
その他たくさん.
http://www.waseda.jp/sem-yoh/temp/02/06ueda.pdfが参考になる?
●そのた
・大大阪橋梁選集 全三巻揃9まんえん!!! 市立中央にあるのでがまんしろ.
・大阪市+マルク債
大阪港については、1952年に大阪市が同港の港湾管理者となっている。大阪市は、大阪北港の修築と大阪南港を中心とする臨海工業地帯の開発を進めた。ただし、後者については工場の誘致に失敗したこともあり、1960年代半ばになって神戸港の開発や、次節で紹介する外貿埠頭公団の設立にあわせて、コンテナ埠頭の整備を中心としたものに変更されることになった。1962年には、大阪市が当時、堺泉北コンビナートを開発中であった大阪府と共同で西ドイツ・マルク債を発行している。これは、戦後初の地方自治体による外債発行であり、吉田茂元首相が西ドイツ政府にあっせんして実現したものである。それから、外債の発行にあたって運輸省や大蔵省などには事後承諾であったことも注目に値する18)。
18) 1962年から1965年までの4年間に4億ドイツマルク(約360億円)が発行された。大阪市・大阪府によるマルク債発行の経緯については、大阪市港湾局[1999]240-248頁、大阪府企業局[1982]176-177頁に詳しい。・大阪市港湾局[1999]『大阪築港100年史 中巻』大阪市港湾局
・大阪府企業局編[1982]『新都市の創造 ニュータウンと臨海工業地帯』大 阪府企業局林昌宏,瀬田史彦『港湾整備事業における行政体制の実態と戦略的方向性についての研究』平成22年度国土政策関係研究支援事業 研究成果報告書 http://www.mlit.go.jp/common/000140768.pdf
へぇへぇへぇへぇ.正しい名称は『大阪築港100年 -海からのまちづくり』.どちらも市立中央にあり.宝箱やでぇ>市立中央
地方債の共同発行は、地方財政法第5条の7に規定されており、特に新しい制度ではなく、かつて1962年から1965年にかけて大阪府と大阪市によりマルク債を発行した実績はある。
http://www1.ubc.ne.jp/~jichisoken/movement/2003/move200302.htm
そのころ外国からの借入金といえば世銀が存在していたが、こちらはダムなど国家的な事業に限られていた。そこで市が考え出したのがマルク債である。東京都と大阪市で借り入れの実績があり、宮崎辰雄助役 (当時) がこれを強力に推進した。あらゆる手づるを求めて打診を重ねたが、西独側も神戸市の埋め立て事業に理解を示し、43年5月、約1億マルク (90億円) の起債調印にこぎつける事が出来た。つごう四階の折衝で神戸が借り入れたマルク債は400億円 (2億7千マルク) 。ポートアイランドを推進する上で、強力な支えになったことはいうまでもない。
http://singetu.ddo.jp/uminaritamazu/port_pia.htm
五時侭.当時の流行だったわけですな>丸臭い.
神戸大学新聞記事文庫が腐っとーる・・・はよ直してくれ.www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/
とかいいながら行ってしまったnagajisを解決不能の謎が待ち構えていたのだった.<完>
終わるな.大阪市営地下鉄のこのマーク,「Osaka」のOと「コウソクテツドウ」のコを組み合わせたものという.以前は何とも思わずに見ていたが,今日車内でこのシールを見て以来,「コ」の位置がずれているような気がしてならなくなった.円の中心と「コ」の中心の高さがずれてないか.若干上に「コ」の中心が来てないか.「コ」で切り落とされる蜜柑房形,下のほうが大きくないか.
上の写真は車内に貼ってたやつで,車体の外に描かれてるやつ(右)はちゃんと中心で重なってるように見えた.んで撮った写真を見ているうちに,なあんか微妙にずれてるような気がしてきた.きっちり撮って測りたい衝動に駆られている.
とはいい条,単なる目の錯覚なのかも知れぬ.例えばフォントなんかでは等間隔で横棒が何段も並ぶような漢字(例えば王や目等)では最下段の空白を他よりもわずかに広くしている.そのほうが安定して見えるからだ.
王 目
それと同様の目の錯覚ではないかと.等間隔なはずなものがそうでないように見えると.
…いやまて,その逆というのもあり得るぞ.安定して見せるためにわざと広く取ってあるとか.
真相を知っている人はあからさまに教えていただきたい.
奈良県統計書 大正12年 第1編(T1-T10)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/973034/77
奈良県統計書 昭和4年 第1編(T13-S2)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448630/117
奈良県統計書 昭和5年(S3-S5)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448662/312
奈良県統計書 昭和9年(S5-S9)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448695/269
奈良県統計書 昭和14年(S10-14)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448602/110
第65号(1941)奈良國道コンクリート鋪裝調査
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140737/1
14.4調査
第19号 橋梁に就きて
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113667/9
第21号 聖天坂試験舗装
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113675/1
第23号 鋼橋 熊本県道路技師 佐藤文哉
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113694/28
トラス構造と静定不静定の説明
第23号 鉄筋コンクリート桁橋に就て
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113694/61
ゲルバー桁と突桁の違い(吊り桁を省略=突桁)
第26号 広島県道路講習会講演集 広島県の道路に就て
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113705/1
当時の広島県の道路について
第27号 六甲登山県道一部路面舗装工事報告 岩崎久作
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113709/1
麓からケーブルカー駅まで
第28号 橋面コンクリート舗装 河村協
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113710/2
府県道彦根八幡線宇曽川架設天満橋、犬上橋(残存)の鏡面舗装
第29号 経済的コンクリート舗装の研究 内務省大阪土木出張所 江守保平
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113714/3
国道15号舗装 第65号に続く
第37号 石川県の道路に就て 石川県土木課長 杉山宗次郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113752/24
石川県下隧道
[日本ポルトランドセメント同業会]パンフレット. 第36号
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142522/1
土木材料の代替品。
もはやobsoleteどころの話ではない旧規格、9ft/12ft円形井筒規格を読み解き直している。我ながら順序が逆だと思うけれども、実地に就いて考えたことでようやくわかったところも多い。
重要なことその1。前々から参照していた規程類聚 附録の図面は不親切。1912『鉄道法規類抄 第2編 附録 (工事図面)"』のほうが各煉瓦の配置を丁寧に図示してくれているのでわかりやすい。この図によってようやく、積み方や煉瓦形状に込められた意図を理解できそうである。なおこの資料では9ft Eの必要個数が600/ftになっているが前者は603/ftで1割の予備も同様に変わっている。これがerrataの結果なのかどうかはまだわからない。
この図をじっくり読み込めば気づかなったことをいろいろと知れる。例えば12ft Aは一段57個を積むことになっていた。円の両端に半分に割ったAを入れ、それが2箇所で奇数の1個になる。9ft Dなどは3/4個が4つ要る。A~Eを並べれば自然に井筒ができあがるわけではないのだ。(このへんの細かい指定をどうするかで配置図のほうだけ一年遅れたものと思われる)
ゆえに揖斐川橋梁の第4橋脚の積みの乱れはかえってその積み方のほうが後に正式なものになったことになる。上の方では問題なく積んでいるのだけれど、それは不整合な箇所を井筒間の壁体によって隠すことができるのでそう積んであるだけかも知れぬ。
図には1ft当たりの必要個数とその1割増(輸送中に破損することを考慮に入れた、実際に発注する個数の目安)が書かれてある。この1ft当たりというのが実は曲者で、厚2-1/4"の煉瓦に目地も入れて考えると1ftに整数段収まらない。収めようとすると目地厚が3/4"とかにならないといけない。そして1ft当たりの段数が非整数になるとAとCの必要個数の計算がしっくりしない。奇数段A、偶数段Cと仮定しても最後の非整数のAはどうするのか。次のCは。このへんいくら考えてもすっと解決しなくて困っている。Aの必要個数は113個/ftなどという素数になっていて、これはどう計算しても配置図から読み取れる一段57個と計算が合わぬ。二段だとしても114個なのだ。
12ftのCの位置と9ftのCの位置はざっくり考えると同じ位置になりそうで(だから同じ形状の煉瓦を使い回せるのだ)、配置図を読んでもどちらも一段36個のはずだが、しかし必要個数は36個の整数倍でないうえに12ftのほうが1個少ない。どういうことだ、ど叫びたくなる。しかし目地込みで考えると(煉瓦巻きの厚は1'11"とされているのでBの長手長とAやCの小口長とから目地厚を逆算できる。この目地厚が5/8インチとやや大きめに取られていて確かにそれくらい余裕がないと煉瓦同士が干渉するかも知れぬ)12ft Cのほうが9ft Cよりも1/2インチ内側に配置される計算になる。全く同じというわけではないのだ。1個の違いがそこに起因するものかどうかまだ理解できていないが、それが直ちに1個差になるというよりも、実際に作ってみたときに現れる不都合(例えば煉瓦の寸法が正確でないとかばバラツキがあることとか)のほうが関係していそうな気もする。
以上のようなことを考えると3インチ形の煉瓦が採用された意味がわかってくる。煉瓦厚が3インチ、あるいは目地込みで3インチだったら、高1ft当たり4段となってAもCも2段分を考えれば済むようになる。必要な個数がさくっと計算できる。煉瓦自身が3インチだと目地を加えるとはみ出てしまうことになるのだが、どうせ煉瓦は厚薄があって多少はそれで吸収できるのだし、1/4"目地であれば4段につき1インチ増すことになるわけだから、煉瓦厚と目地厚を分離して考えることもできなくもない。井筒の高さに12/13をかけてそれに1ftあたりの煉瓦個数をかければ全必要個数は出る。無視して煉瓦を余らせたとしても高々数段分が余るだけだ。
とにかくこの規格の読み解きは簡単なように見えて難しい。そしてわかれば煉瓦積みに関する深いところがわかりそうな気がする。
東洋組西尾工場:変性していない金雲母でキラキラ。径1mmほどの大型の結晶を多い。
西尾士族工場時代:溶融したものを多数含む。東洋組時代の製品ほど多くはない印象。それよりも表面付着の金雲母が多い(そこいらの砂に当たり前のように含まれているので転石にはそれが付着している)。
(上二枚)市古工場:黒雲母よりも白雲母の含有多い&径大きい。写真では石英にも見えるが薄く博陸したものが多い。溶融した雲母は写真ではくすんで見えるが携帯顕微鏡下ではそれなりに輝いて見える(右イラストのような感じ)。
根崎煉瓦”□イ二”:目につくような顕著な雲母は含まれていない。西尾の対岸といってもいい位置なのに、不思議なことだ。矢作川河岸ではなく北方安城の方の土を使っているのだろうか。
刈谷士族工場:微細な白雲母・黒雲母を比較的多く含む。黒雲母はおおかた溶融。写真中右白が白雲母、その左上の紫褐色(その左側のやや黄土色の部分も)溶融雲母。顕微鏡ではもっと鮮明に見えるのだが。
モルタル由来の黒雲母(金雲母)。火が通っていないので金色にキラキラ輝く。
琵琶湖疏水工場:微細な溶融雲母を多数含む。上写真の粒の半分~1/3。肉眼でもキラキラ輝く点を無数に見ることができる。これと”ソ二九”の含有の感じがほぼ同じ=疏水工場の製品。膳所監獄煉瓦は手持ちサンプルは焼けすぎていて判別が難しいがそう多くは含んでいないようだ。
膳所監獄煉瓦の再確認と”カ+漢数字”シリーズの表面確認されたし。
_ nagajis [×02_index.html → ◯02_index.pdf ×09_kamitaguchi.html →(ry 一人ボケ突っ込みszo]