nagajisの日不定記。
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アパートの目の前に駐車場がある.以前は建物基礎をそのまま使ったかというような凸凹したコンクリート床の駐車場だった.その一角に六畳ほどの大きさの家---家と呼んでいいのかどうか悩むような小さなやつ---に管理人のばあちゃんが住んでいた.時折デイケアセンターの入浴車が停まっていたから,かなりの高齢であったのだと思う.
駐車場には黒と白の斑猫がいて,よく日向ぼっこをしていた.そこへ近くの畳屋の猫が遊びに来ていることも多かった.共々遊ぼうと思って近寄っても逃げられてしまうのがいつものパターン.ばあちゃん家の壁に貼られた「子猫生まれました 誰か貰ってください」という手書きの張り紙を見て扼腕したこともある.
家の対面の角に電柱が建っていて,その根元に南天が育っていた.誰かが育てていたというようなものではない.溝に溜まった土を養分にして勝手に育っていたものだ.秋になるとそれなりにきれいな色に紅葉し,その赤い実をぼんやり眺めたこともあった.
その駐車場が,昨年の暮れに新しくなった.管理人さんの部屋が取り壊され,コンクリートがひっぺがされ,土がむき出しになった区画がトラロープで囲われてしまった頃までは,まだ南天が生きていた.そういやこの南天どうするんだろう,と思った翌日だったかにざっくり刈られ,他の産廃と一緒に何処かへ持って行かれてしまった.来年からはあの色が見られないんだろうか.そう思ったら急に惜しくなった.特に思い入れがあったわけではないのだが,無くなると急にその存在感が増すという,よくある話だ.
溝の株から1mほど離れたところに,コンクリートの隙間から育っていた20cmほどの一株が忘れられているのを見つけた.落ちていたワンカップの瓶に移し替え,持ち帰って水をやった.だんだん葉が枯れてきて,もっとちゃんと世話しなきゃと思い,腐葉土と植木鉢を買ってきて植え替えた.霧吹きかけたり日向に置いたりしてみたのだけれども,枯れる勢いは止まらなかった.折れた枝の先から少し芽が伸びたりはしたのだけれども,それも途中で枯れてしまった.
やっぱりダメか・・・.ちゃんと肥料をやらないといけなかったか.油粕とか赤土とか混ぜとくべきだった.そんな悔やみを覚える一方,鉢の処分に困った.枯れた枝が植わっているだけの鉢など,部屋の中に置いていても仕方ない.かといって土を捨てる場所もない.結局ベランダの隅に放置して,そのまま忘れてしまっていた.
そんな南天の株が,今日ふと見ると,こんなに元気になっていた.最初は雑草が茂ったのかと思ったほどだった.南天は強い植物だと聞いていたが……放置したほうがよく育つとはね.そしてその成長の早いこと.記憶が正しければ4月の半ば頃には以前のままの枯れ枝だったはずだ.
自分の住む街の小さな小さな変化を記憶した南天.誰も覚えてはいない,記録されることもないに違いない変化を生き残った南天.ここからどれだけ成長するだろうか.楽しみなようでもあるし,そのうちわっさわっさになってまた困るような気がしないでもない.
いつのまにか近デジがMacOS9非対応になっていた.辛い.銀高重い.