nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
休時間にキャッチボールを行う。十三時より十四時二十分まで自習をす。十四時二十分より接種。後、直ちに就寝す。十六時より校門に整列して江口の霊を見送る。すでに十七時四十分。食堂へ行く。亦就寝す。二十時頃眠る。熱出でたり。
日曜日には持てこいの春日和なりき。
接種にて午前中は休養し、午後外出許可せられたり。行事は平常通りあり。昼食前に、二時間勉強し、午後は十六時まで集会所に遊ぶ。以後勉強す。予定は休養・運動となしたれど接種の為胸はれて、腕上らぬ故中止したり。体の自由を失われたる為なるか、今日の我は以外に、真面目に勉学に、いそしみたり。後日も、日曜は鍛錬に、勉強に、計画立てヽ一日を有意義に過さんと思う。
今日より夏衣袴となる。歴史考査あり。国漢乙の思想難かしくなりたり。柔道作業、目測が不十分なり。望練習。愛校作業にて防空壕を掘る 今週は第一自習に必ず数学をなすこととなれり。それと共に補備あり。緊張の一日なるも午後に活気少し。良好なり。生徒監殿は今日より三日陸大試験なり。
〔nagajis:5月7日の終わり頃よりこの日まで文字乱れがち〕
江浪峠の峠道で見かけた石垣は、やはり製鉄に関するもののよう。採取した土を水で流して比重でふるい分け砂鉄を取り出す「鉄穴流し」の遺構である可能性大。鉄穴流しをキーワードに検索するとそっくりな写真がいくつか出て来る(江浪のは少し小規模?)。もう一度、千種の教育委員会に聞いてみようか。製鉄はいつ頃まで行なわれていたのか確認。あと峰越、大通峠の開通年。
旧千種町の辺りは播磨風土記にも鉄が採れるという記述があるほどの場所。花崗岩に含まれる鉄(砂鉄)を採取したらしい。確かに峠道には花崗岩質の岩がごろごろしていたし、どこかで風化花崗岩の白茶色っぽい崖を見た覚えもある。それを考えると峠直下のナルい谷や北側の不自然な地形も、実は土砂を掘り出し山を崩した成れの果てなのかも知れない。自然地形に見えて実は土工の跡だったとしたら、ちょっと面白い。
花崗岩には鉄分を多く含む山陰型の花崗岩と、鉄分の少ない山陽型の花崗岩とがあるという。山陽側でも千種から波賀にかけて分布するものは山陰型に近いもの。この山陵にはかつて「カナゴ乢」という峠があって、若桜から砂鉄を運んだルートとされているが、もっと昔は千種でも豊富に採れたのだろう(西河内天児屋には大規模なたたら場・屋敷跡が残されている。資料館もあり)。
江浪峠は元禄の頃に製鉄業者によって開かれた道。製鉄に使う木炭を運び入れるためのものだったとか。それまで千種から鳥取(若桜)方面に出るには大通峠やその西隣の中江乢が利用されていたが、江浪峠の開削で荷役や交通も江浪峠が主流になった。若桜からの荷が江浪ばかりを通るようになって、西河内と東河内の馬追の間で諍いも発生している。明治20年代半ばに幅員6尺に広げられ、一応、県道若桜南光線。ただし松波さんの大正県道表には載っていないから、それ以降の指定らしい。いつ頃まで使われていたのか。。。MAZDAのB360がヒント。つーか天児屋国有林から当たれ?
島根県の主要道は明治20年頃に計画が建てられ改修されたものが多い。それが大部分残されているのも面白い。戸倉峠しかり、志戸坂・黒尾峠しかり、明智・四十曲然り。面白いことに、当時の国道(東京と鳥取を結ぶもの)は戸倉峠経由の道=若桜街道で、当時の県令も真っ先にこの道を改修しようとしたようだけれども(元々は山県有朋の案。それを山田県令が頑なに守り通し、県議会の反発を受けながらも改修を強行)、実際には智頭から志戸坂峠(駒返坂)を経由して姫路に出る智頭街道のほうが圧倒的によく利用された。この傾向は1900年代(以降)まで続く。輸出品の金額でいえば2倍近い差がある。
戸倉峠は昭和18年5月20日に改修工事に着手。しかし旧隧道は昭和30年に完成とあるから、戦争による中断があったものと思える(戸倉に隧道を抜く必要性は明治の改修直後から認められていた。というか、山田県令自ら「隧道を作らないことには十分な効果を引き出すことはできない」(明治21年・土木政策の引継書)などとカミングアウトしている)。http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/htm/25-06.html
昼間のマクドで最後構成を練って、昨夕方から書き始めて、思いがけず徹夜してしまいつつすでに15000Wを越えたが終わる気配がない。目鼻をつけるのは今日中だとしても、その後尾ひれをつけるのに2日、pdfも早くて1日。終わるのか。他が進められるのか。
アパートの目の前に駐車場がある.以前は建物基礎をそのまま使ったかというような凸凹したコンクリート床の駐車場だった.その一角に六畳ほどの大きさの家---家と呼んでいいのかどうか悩むような小さなやつ---に管理人のばあちゃんが住んでいた.時折デイケアセンターの入浴車が停まっていたから,かなりの高齢であったのだと思う.
駐車場には黒と白の斑猫がいて,よく日向ぼっこをしていた.そこへ近くの畳屋の猫が遊びに来ていることも多かった.共々遊ぼうと思って近寄っても逃げられてしまうのがいつものパターン.ばあちゃん家の壁に貼られた「子猫生まれました 誰か貰ってください」という手書きの張り紙を見て扼腕したこともある.
家の対面の角に電柱が建っていて,その根元に南天が育っていた.誰かが育てていたというようなものではない.溝に溜まった土を養分にして勝手に育っていたものだ.秋になるとそれなりにきれいな色に紅葉し,その赤い実をぼんやり眺めたこともあった.
その駐車場が,昨年の暮れに新しくなった.管理人さんの部屋が取り壊され,コンクリートがひっぺがされ,土がむき出しになった区画がトラロープで囲われてしまった頃までは,まだ南天が生きていた.そういやこの南天どうするんだろう,と思った翌日だったかにざっくり刈られ,他の産廃と一緒に何処かへ持って行かれてしまった.来年からはあの色が見られないんだろうか.そう思ったら急に惜しくなった.特に思い入れがあったわけではないのだが,無くなると急にその存在感が増すという,よくある話だ.
溝の株から1mほど離れたところに,コンクリートの隙間から育っていた20cmほどの一株が忘れられているのを見つけた.落ちていたワンカップの瓶に移し替え,持ち帰って水をやった.だんだん葉が枯れてきて,もっとちゃんと世話しなきゃと思い,腐葉土と植木鉢を買ってきて植え替えた.霧吹きかけたり日向に置いたりしてみたのだけれども,枯れる勢いは止まらなかった.折れた枝の先から少し芽が伸びたりはしたのだけれども,それも途中で枯れてしまった.
やっぱりダメか・・・.ちゃんと肥料をやらないといけなかったか.油粕とか赤土とか混ぜとくべきだった.そんな悔やみを覚える一方,鉢の処分に困った.枯れた枝が植わっているだけの鉢など,部屋の中に置いていても仕方ない.かといって土を捨てる場所もない.結局ベランダの隅に放置して,そのまま忘れてしまっていた.
そんな南天の株が,今日ふと見ると,こんなに元気になっていた.最初は雑草が茂ったのかと思ったほどだった.南天は強い植物だと聞いていたが……放置したほうがよく育つとはね.そしてその成長の早いこと.記憶が正しければ4月の半ば頃には以前のままの枯れ枝だったはずだ.
自分の住む街の小さな小さな変化を記憶した南天.誰も覚えてはいない,記録されることもないに違いない変化を生き残った南天.ここからどれだけ成長するだろうか.楽しみなようでもあるし,そのうちわっさわっさになってまた困るような気がしないでもない.
いつのまにか近デジがMacOS9非対応になっていた.辛い.銀高重い.
Oさんからデータを頂くわbdbを見た方からご連絡を頂くわ滋賀県Uさんから身の縮み上がるようなご提案を頂くわでなんとも慌ただしい。4月末から含めたらやましろ投稿もそうじゃないか。降り続けだ。そうして指先のしびれが手首にまで及んできていてこちらも大変だ。
4月の終わり頃にクレカの更新が届いていたらしいのだが、ドアポストに不在通知が投函されていたために全然気付かなかった(いやドアポスト投函が正しいやり方なんだろうけれど。わたしゃ滅多に見ないのよドアポストは)。GW過ぎてようやくそれを発見した時には保管期限などとうの昔に切れていた。しかも2行ぶんだ。
電話で問い合わせたところ、一行はすごく丁寧に対応してくれ、すでに再送中であると教えてくれた。ご不便をおかけしてまことに申し訳ありません、てさ。いえいえ別にカード無くても困っちゃないんですけどね機能さえしてくれれば。楽天の方も多分再送中だと踏んで問い合わせはしなかった。さっき届いていたメッセージを見てみたら、やはり再送したとの連絡。「必ず受け取れよゴルァ」と言わんばかりの高圧的文面で、こういう所にも品の差が出るのだなあと思ったことだった。さすがは楽天である。
通勤中にふと「情報の価値はdivで測られるべきではないか」的なことを考えた。
貴金属や貨幣、不動産といった「モノ」は、それがそこにあるだけで価値を有している。1000えん持っているというただそれだけで私は幸せになれる。ダイアモンドは例え自分のものでないとしてもそれ自身に価値があることがわかる。それがモノの価値である。
昨今は「情報」にも価値があるという。しかし「情報の価値」と「モノの価値」はちょっと違うように思われる。情報は持っているだけでは価値がない。そこにあるだけでは価値がない。例えば私が「勢陽組の煉瓦が米原まで進出していた」という情報を持っていたとしても、誰にも言わずにニヤニヤ笑って反芻しているだけでは何の価値も生じない。どこかに書いて誰かに知らせ、そのことに興味を持ってくれる人に伝わらなければ無価値である(刻印煉瓦自体はまあ、あればあったでなんらかの価値があるかも知れぬが、それはモノの価値だろう)。村田鶴の履歴書が滋賀県庁に保管されていてもアクセス不可能であれば全く無意味で価値も有さない。それが公開され、中身が私に伝わった時に私にとってかけがえのない価値が生まれた。ただの古レールと思っていたものが、実は貴重な1本であるということがわかり、その情報が加わったことで価値が増したというのもそうだ。貴重だという情報が加わらなかったらだの鉄の塊であり続けていただろう。加わった後のレールには価値がでたとしても、それを可能にした情報にも価値を認めなければならないのではないか。お金だってそうか。日本銀行が価値を保証してくれるという情報が加わっているから価値があるのであって、その情報が伝わってない世捨て人とかコロポックルとかにとっちゃあただの紙切れであるだろう。ケツ拭くのにもチラ裏を書くにも使えない難儀な紙切れである。
要するに、情報は「伝わる」「加わる」時に価値が生まれるのではないか。情報は「移動する」際のなにか(速度?加速度?単位時間量?)によって価値が測られるべきできはないか。と、そういうようなことを思いついたのだった。
んで、電磁気学かろうじて可だった脳みそが「divで考えろ」と宣っている。発散とか∇とかでてくるやつだ。しかしどう適用すればいいのかよくわからない。そもそも情報は三次元のベクトルでよいのか。スカラーでgradでも構わないのではないか。
それはまあ脇に置いといて、情報を「動かす」のであれば、そこにやっぱりエネルギーが必要となる。文字を書くとか写真を撮るとか能動的な行動を必要とする。情報に価値を与えるためにはエネルギーが要る。それが代償である。位まで考えたところで頭がショートした。惜しいな。
土功の部に国県里道の別あり
因幡街道 浜坂~湯島
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807352/174
(豊岡街道が湯島まで延長、因幡街道が豊岡まで延長、湯島豊岡間が重複)
全図 土生を経由するが美濃坂は越えない
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807361/21
県道一覧復活
自鳥取経湯島至豊岡 平均幅員1.6間 坂道の平均勾配13.1分
自豊岡経香住至浜坂港
自鳥取経宮田至舞鶴 M37のを見よ
県道に番号付与
(2)自豊岡達津居山線
(9)自鳥取経湯島達豊岡
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807363/241
(74)自豊岡経香住達浜坂港 坊岡経由 橋の位置によるか(M35の全図では本見塚は経由しない)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807363/244
64号 竹野浜坂線
66号 豊岡竹野線
68号 豊岡城崎線
69号 香住豊岡線
123号 香住停車場線
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972563/6
またコアサーバーが勝手にアップデートしてHyperestraierが使えなくなった。今回は本格的にダメっぽい。ここに書いた内容が検索できないと業務に大いに差し障る……。
結局Google検索に投げて急場を凌ぐことにした。検索を他人に委ねることになるのは何か悔しい。うえに糞泥臭い。
復旧に時間を取られて焦っている。予定では今日中に仕上げるはずだった原稿がまだできていない。しかもPCのPRO KEYBOARDがまた死んだ……。↓とテンキーの2が効かないという謎現象でイライラが募る。どういうことやねん(怒 と叫んで暴れたいがそんな時間すら惜しい。不貞腐れて寝るほうが数倍ましな気がする。しかし覚めても糞な状況は復旧していないはずで結局は真っ向から対処しなければならぬのだ。しかしそれができると思えない現状。泣きたい。