nagajisの日不定記。
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バカjisめ。
関東の番組に関西人は洋梨なのだ。いやそのまえにnagajisだから用無しなのか。
NHKラジオ第一の6時台のニュース。よくわからない感情的な怒りを一方的にぶつけられて視聴者が困惑しただけではないのか。これまで経験してきた苦労はわかる。これで万事解決という策がないのも理解する。だからといってその苦労だったり文句だったり行き詰まり感ばかりを投げられても「じゃあどうしたらいいの」に繋がらないだろう。一方的に腹を立てている姿が全国放送されて悪い印象を与えただけだ。自分としてはほげふががぴげなみょーん問題を語る姿を彷彿とさせ、ひどく反感を感じた。
ああいう態度に反感を感じるのはなぜだろう。自分が正しいと思うことを主張するのは憲法でも保障された権利なのだけれども、それを「ふりかざして」いるように見えたり、主張を他人に押し付けようとしているように思え、腹を立ててしまうのはなぜだろう。
権利は義務を果たしてこそ得られるもの、何の義務を果たしてその権利を主張しているのか、それがわからないから(こちらがよく理解していないから)違和感を感じるのかも知れない。要するに「どこの馬の骨が」的な直感的嫌悪感。それはちょうど廃道のなんたるかを知らないnagajisがグダグダ言っているのと似ている。はたから見ればああなんだなあと思うことしきり。かといって権利を笠に着て何かをするつもりはない。
「節操のなさ」に反感を感じるのか。しかし節操のあるなしなんてそれこそ個人的感情による判断しかしようがないじゃないか。節操ばかり気にしていたら、それこそJAPの具現じゃないか。
主張と主張がぶつかり合い、軋轢を生じるのが、社会のあるべき姿だと考えるべきかも知れない。すべてが自分の思い通りに運ぶなんてあり得ない。個の集まりであるがゆえに集団内部では価値観の衝突が起こる。当然の帰結。それに一喜一憂する必要などなく、一喜一憂するほうが可笑しいのかも知れぬ。
権利<>義務の関係は適当。多分違う。「生きる権利」には義務が必要ないはずだから(納税の義務とか国民としてのキンジはあるだろうけど)。
7/31~8/1の篠原籠り、2日の十津川訪問の調査物件を一次調査票に落とす。篠原索道・沼田原軌道は記事のおかげで圧縮が効いた。逆に長殿発電所の調票が手薄な感じさえする。栗平土工森林組合・山五林業関連は未着手(あ、吊り橋だけ先にあげたんだっけ)。そういや蔭地橋どうしような。東吉野村のあの橋とよく似た作りの下路ガーダーなので戦後のものである可能性が高いが。
16日の最大の成果はI先生にお任せするのである。
西河橋と小倉橋の追加訂正も忘れずに・・・。3ページとかいう中途半端なものになりそうな気がするが、どうせファイルはA4なんだから構うものかと思ったり。
時間をかけて回った割に成果が出てないなあ。仕方ないよなあ。
蔭地橋は十津川村に問い合わせてから処理。ついでに聞いておくべきことはないか?
軌道の写真が行くかも知れない件、野迫川村役場に伝えておかんでよかったかのう。しかし小辺路が軌道だったなんて。大丈夫なんかな>世界遺産指定。
そして明日明後日は留守にしなければならない。私用だ。