nagajisの日不定記。
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資料読み込む暇がねえ。長殿1修正する暇もねえ。ていうか表紙に誰も突っ込まねえ。あっKINIASの議事録も作ってねえ・・・。
紀和索道と弓手原索道のコピーを忘れるな。今月後半・来月前半が勝負。
新カテゴリ。コアダンプほど明確な考えでないが捨てるにおしいもの。奇ポテみたいなもん。
AKBとSKBの演技力の違いを考えていて「役を演じる」のと「役になりきる」の違いを考えた。素をさらけだしているから上手いor人気が出るんじゃないよな。お約束をお約束として演じられるかどうか。人そのものの人気と役の人気の違い。歌舞伎の役と役者みたいなものか。市川団十郎が普段の生活で見栄切ったりしない。助六が白血病になったりしない。
記事書くのも似たようなところがある。中途半端だよなー。演じるわけでも晒すわけでもなくで書いてきた、多分後者のつもりだけれども、よっぽどの人格者か他人の見本になるような人間性を持ち合わせてなきゃ参考にされることもないだろうさ。表向きには役者だといいながら自分の感性を売り込もうとして必死なのだから、そりゃ違うわ。
せっかく気合いを入れてゴーヤーチャンプルーをしばいたろうと思ったのに豆腐を忘れた。これではただの野菜炒めの卵とじではないか。
しかし何げに入れたキュウリのぶつ切りがいい味を出している。これは新基軸。
とさも新発見のごとくに書いてしまったが、よう考えたらキュウリもゴーヤーも同じ仲間じゃん。キャベツの千切りに赤キャベツ混ぜたようなもんじゃん。ちぇ。
「本を書かせていただきました」「料理を作らせていただきました」。その卑屈は確か近江商人が発祥だと聞いた覚えがある。悪くはない。悪くはないが、時おり鼻につく。そんなに卑屈になるなら最初から作るな。お前は近江商人か。近江商人ほど慎み深い暮らしをしてきた上でのその発言か。そう思う瞬間がないでもない。そうしてこれが大事なのだが、自分自身そういう物言いをすることが多い。自分自身に感じる情けなさの裏返しの八つ当たりなんだろうと思う。
自分の所作を素直に表現できるようになるには、あと何歳年を重ねたらいいのだろう。いつになったら池シャアシャアな境地になれるのだろう。死ぬまで無理だろうなこの生き物は。生物(ナマモノ)でも可。