nagajisの日不定記。
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今月号長殿破のアレ。
ひょっとして、これじゃねえの?
写真のは横に太いが三国木材=北山索道=玉村工務店受注なので若干つくりが違うのかも知れぬ。少なくとも大和索道の絵葉書に見える滑車はこんなつむじ型をしてる。
おれには3日前に作ったゴーヤーチャンプルーを消費し尽くすというミッションが課せられていたのだった。前回のはうっかり放置して華美させてしまった。今日こそは食わなければならぬ。
ただいま加熱中なう。などと余計なことを書いているから焦がしたりするのだ。
ふと「サッカロミセスセレビセハンセンとルプリンケルナ」というワードが思い出されて検索して確認してみたりなどしている。サッカロミセス属セレビシエの間違いであったらしい。ルプリンケルナのほうは無視。
焦がすことなく第二フェーズ・ご飯温めに入る。ここで油断してはいけない。火にかけていたのを忘れて容器の底を焦がしてしまった前科持ちである。
建築の分野の人がうらやましい。地方では確実に建物のほうが残っている。由来も比較的はっきりしている。見ればすぐわかるし資料の調べようもある。
交通不便な地方では各在所に一つの勢いで小学校が建設された。その費用は在所がもつのが普通で、廃校になったあとで返還され、区の所有物になっているもの(それが今日まで大切に遺されているところ)が多い。十津川村はそのへん徹底していて「学林」という制度まであったという。学校の建て替えやその他の費用を捻出するために学校所有の山を用意するというもの。そうしてその森の手入れは学校の生徒が行う。子供の頃から植林育林に関わることにもなり、ある意味英才教育のような性質のものだった。今でも学林が残っているところは多いと聞いた(それが吉野郡のアタリマエだと信じていたということも。他では聞いたことのない独特の制度だと私は理解している)。山が財産になった昔は一石二鳥で良かっただろうが、一山いくらでも売れない今日では教育という以上の成果がないのは残念なことだ。
などと余計事を書いて自分を追い込んでみたがフツーに炊き上がり美味しく頂けている。そのままでも充分旨い。旨いがしかし、戸村本店の焼き肉タレを垂らしたりしようものならなおさらヘブンである。なおさらへヴン。自分で書いといていい響きだと思う。
そうした僻地の小学校には必ずといっていいほど小住宅が付随していた。学校の先生が泊まり込んで暮らす建物だ。野迫川村今井の小学校でもその跡地だという広場があった(たまたま出会った村の方が親切にも案内して教えてくださったのだ。有り難いことだ)。自分の父親もそういう僻地中学校ばかり選んで?赴任していたから、親近感のような小理解を覚える。この「小」は小理屈・小賢しいの「小」ね。
そうして校庭がびっくりするほど広い。山に張り付くようにして広がっていて、前の家の軒先の高さに我が家の庭があるような在所であっても、校庭だけは潤沢に広い面積が用意されている。大人でも広いと感じるくらいだから、すべてが大きく見えた子供達の目には如何程に映ったことだろう。田舎は土地が余ってるから広いのだ、などという輩がもし居たら、首根っこ掴んで吉野まで引きずってってこの校庭を見せたい。そうして「ゴメンナサイ」言うまで校庭を周回させたうえで草むしりを命じたい。って何仮想敵と戦ってるんだ>nagajis
mission complete! ああ旨かった。
あえてORJカテにはしない。nagajis個人の感想である。用語集つくってほしいという要望を頂いているのだが、あまり乗り気じゃない。理由1、本人がちゃんと理解して書いているわけじゃないから。理由2、A・ビアスの「悪魔の辞典」の辞書編纂者の項目をかなり本気で正しいと思っているから。理由3、言葉なんてナマモノなのだし、間違いだと思ったら間違えた奴を間違えて使ってやんのプギャーAA略してればよい(陰で)と考えているから。誤字脱字誤用を指摘して下さるのはありがたいことなんだけど、それよりも内容についてだとか自分の説に対する反論反証を寄せていただくほうが嬉しい。誤字脱字しか指摘してもらえない程度のショボイ原稿だからしゃーないんだろうけどな。
国道に「線」をつけるか否かなんて正直どうでもいい話だと思っている。どうでもいい話だから突っ込んで考えて見せて「無駄なことだなあ」と思わせたいと思っている。コンセンサスの得られない言葉を使ってはならない、なんてことは絶対にないわけで、そうやって変な言葉遣いを繰り返しているうちに見えてくるものだってあるだろう。新しい言葉、新しい表現の生まれる余地もあるだろう。日本全国が標準語になって「こんにちは今日はいい天気ですね」「ええそうですね」しか言わないようになるよりも「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」が成立している世界がある(と錯覚している人々をあげつらって笑う世界がある)ほうがなんぼか健全なんじゃないかしらんと思う。獣道をウサギミチと呼んでいたところもあればシシバシリといっていた地方もある。多様な表現の中からその時その時の感じたイメージをもとに直感的に使い分けているに過ぎない(あるいは勝手に作り出したりもする)。自分だけに限らず世の中にはそんな曖昧な表現が溢れ返っている。その中から、自分がもっともしっくり行く解釈なり使いやすい言葉なりを見つけてきて自分のものにすることが「学ぶ」ってことじゃないかしらん。勉強なんて小賢しい言葉は使わなくてもいいだろう。
話の流れ的に関西弁を例にあげたが別にどこの方言だっていい。それをキモいと思っている人がいることを重々承知の上でわざと使っている。ことばの多様性を守るためにな。そして茶柱タツは伊勢茶のイメージキャラクター。エコロじいさんのことも忘れないで。
ここにぐだぐだ書いている時はたいてい眠れないで困っている時であり本当はさっさと寝てしまいたいと思っている。頭を使って疲労して眠ろうという魂胆である。して特に翌朝早く起きたい時だったり明日しなければならないことがあったりする。そういう時に限って頭が冴える。お前は遠足前日の小学生か、と思う。思ったからといって眠れるわけでもない。どうにかしたい。どうにかしたいけれどもどうにもならないのでぐだぐだ書いている。面白いことを書いているという自覚も誰かに読んでもらって共感してもらいたいとも思っていない。その点では最も気楽で、書いていて楽しい一時と言えなくもない。
いくら自由の身だといっても、探索前日とかおでかけ前日とか 生活リズムが崩れて困ることはある。非常時にはアルコールを摂取して強制終了させるが明日はそれほどの大事でもない。うまく眠れてうまく起きれれば行こうという程度の気安い予定である。
九州生まれだが酒に弱い。好んで酒を呑んだり浴びるほど何杯も飲める人の気が知れない。父親や兄貴は酒に強かったが、自分はチューハイ一缶程度で充分だ。そうして飲めばすぐに眠くなる。寝ると2、3時間後には勝手に目が覚める。結構便利である。ただし過信すると失敗する。その失敗のせいで目覚まし時計なんていう二律背反なものを買わなければいけない羽目になった。羽目なんて書いたら叱られるな。起きない自分が悪いのだから。
新しく買った安物の目覚まし時計は鳴る時刻をセットするツマミが異常に固い。脂ぎった手だとうまく回せずとてもイライラする。必死になって回しているうちに目が覚めてしまったこともある。ちょっとどうかと思うが便利なものに買い換えるほどの余裕はなくそこまで切羽詰まった困惑でもない。貧乏なのだからそれくらい我慢しろとも思う。お金持ちはこういう時に後腐れもなく買い換えることのできる人のことを言うのだろうと思ってみたりして、そんな貧相な発想にモッソウ幻滅したりもしている。あまり書くと今度は目覚まし時計が送りつけられる危険性を招来してしまいそうなのでこの辺でやめる。
昔から寝るのが下手だった。さっさと眠りたいのに眠れず、いろいろ考えているうちに目が冴えてきて、これまでしでかした数々の愚行が甦ってきて赤面したり、的外れな批評を思い出してイライラしたりし始めることが多い。そうなるともう手がつけられない。あとで思い返すと何でそんなことにそんなに一生懸命になれたんだろうと思うくらいにそのことしか考えられなくなる。答えのない、あるいは答えが解りきっていることをただひたすらにグルグル考え、嫌になるほど疲れる。そうしてやっと眠ることができる。グルコースの無駄遣いだと思う。
弓手原索道の起終点を特定したうえに記録にない軌道まで発見したったと思ってホクホクしてたらこのザマだ。でかい花火打ち上げ杉>北今西施業森林組合。ここにある「軌道五哩五五」はたぶん高野竜神スカイライン。そして索道動かせよ。
しかし製材所は出来てたんだろ?>復命書。大正4年から昭和10年まで全部追えってのは余りにもあんまりだ。
僕の伯父が通っていた小学校の分校には、分校専用の「ワラビ山」が有りました。集落の人々が手入れをしていたそうです。<br>ここで分校の子供たちが収穫したワラビを山菜門屋へ売却して、運動会や遠足等の学校行事の費用に充てていたそうです。
似たような話は各地にあるのですね。街ナカの学校をのほほんと出た私にはとても新鮮なことに思えます。<br>そういえば、区が学校を建てるお金を出すのは都市部でも同じで、立派なものを競い合って作って、それが区のステータスシンボルのようになってましたね。大阪市の戦前の小学校なんかは特にそうでした。精華小学校とか・・・。
はじめまして!<br>「本日のツッコミ」という欄ですので、ささやかなツッコミを・・・<br>上から2枚目の写真は「三国木材=北山索道=玉村工務店」北山索道ではなくて白川又索道ですね!<br>尾鷲市史には北山索道と書いてありますが、原本の絵葉書には白川又索道とありますです、ハイ。<br>白川又索道のツムジは4本で、大和索道のツムジは6本かと・・・
あ、確かにそうですね。風袋に「三国木材と北山索道」とあるので、当初から高木道之介が両者の社長をやっていて、北山索道も白川又索道もひとつながりのもんだと理解していました。厳密にはわけるべきでしょうな。