nagajisの日不定記。
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恒例の行事を恒例に執り行う。三年連続で同じのだったら動詞様とビクついていたが、今年は吉だった。「旅行 良い出会いあり」だけでも有り難し。争事は負けておくほうが利ありとか。そして今年も太鼓判の安産である。
頂き物を詰めた御節を頂きつつ雑煮を食う。子供の頃は三が日後半の肉とか刺身とかが底をついてゴマメ煮付け黒豆の類ばかりになった御節が侘しくてたまらなかったのだが、いまになって考えればそれこそ正月らしいものだったのではないかと思う。うえに普段の食事は一汁一菜だ。いろいろなものが一度に食べられる有り難さを身に染みて感じつつ頂く。こんな贅沢な正月でよいのだろうか。後ろからナイフを突き立てられたりしないだろうか。
午後からは誘われて大神神社へ。今年も奈良にお世話になりそうなことと、巳年であることを掛けての行動。同じことを考えた人々が波のように押し掛けていた。三輪駅から出るのさえ困難だったほどだ。
参道に着いても、あと一歩というところで入場制限に引っ掛かってしまった。しかしこれがこの日最初の制限であったらしく、 1度の通せんぼで済んだのだから、どちらかといえば運が良かったほうだろう。帰る頃には参拝人渋滞が参道入り口まで伸びていてまんじりともしていなかった。
そして正月早々調査である。取得し損ねていた2標を回収。いずれもT11or12の設置。参道の踏み切り脇にも興味深いものを発見した。
帰ってみると・・・ISOさんからの年賀状に加え、なんとお年玉がッ!!! JIS男にもッ!!! かみさまありがとう!!!
そうして今に至るの助。乾麺蕎麦を茹でて昨晩とほぼ同じ食事をした。至って平和な一年の始まりである。
昔は正月三が日なんてどの店も閉まっていて(うちの田舎にはコンビニすらなかったからな)、世界がパタッと止まってしまったかのような違和感を感じることができた。その静けさが正月の象徴のように思っていた。今はいろんな店が開き、賑やかしい都会の正月を味わえるようになっている。有り難いことであるが、その反動で静かさが足りないようにも感じていた。
帰ってきて、駅前の閑散ぶりを見て満足した。求めるものがあるなら工夫して求めればよいのさ。
小中学校時代の同級生の千原君通称ちゃーちと小学校の時に引っ越していったみかじり君が登場する夢。結構奇妙なストーリーのある夢であり起きた直後には覚えていたのだが雑煮を作って食っているうちに忘れてしまった。なぜこの二人であったのか、およびどのような役柄であったのか(ちゃーちがちゃーちとして出てきたのか、それとも違う配役の役者としてだったのか)、その他の出演の有無、もろもろを忘れてしまった。そもそも二人ともそれほど親密な仲ではなかったし卒業後に会ったこともない(そもそも^2同窓会に呼ばれたことすらねえ)。後者だったようなおぼろげな記憶があるのだが。して自分は何をしたのだっけ。若干苦手だったちゃーちを相手に四苦八苦しているのをみかじり君にたしけてもらった気がする。肩が凝っていたのはそのせいかも知れぬ。
もうちょっと愉快で、ネタにできるような夢が初夢であってほしかったようにも思うが、この時間帯の夢は正確には初夢と言わないらしいので、今夜に期待しておこう。またいつもの通りの四苦八苦夢だろうが。苦しいのはわかっとるんだ、夢で再認識させんでもええやろうに、と毎回思うのだがこればかりは仕方ない。夢は自分の責任範囲外だからな。
1/1 の正月の日記に今さら突っ込むのも無粋ですが・・・。<br>関東?では 1/3 に「とろろ(山芋)飯」を食べるのですが、関西ではそういう習慣はないのですかね。<br>割と良いアクセントでした。
うーん、うちだけかも知れませんが、正月はお汁粉が定番だったことを思い出しました。雑煮+御節、雑煮に飽きたらお汁粉。粒が残っていたからぜんざいといったほうがいいんですかね。特になんという言われもなかった気がする元大分県民です。