nagajisの日不定記。
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なぜかこの構図が琴線に触れた。理由はわからない。
以前作っておいた奈良県府県道変遷を補完した。T9>T12の変化はさほど大きくない。勢野新庄線が停車場線と一緒になって若干短くなったのと、ちょうど天辻隧道が完成したことで五条本宮線ができたくらいで、残りは郡道から繰り上がったものばかりだ。T12は告示を確認したわけではなく統計書のデータ(起終点のみ)から引っ張って来たものなので経由地の微妙な変化はあるかも知れない。奈良県議会史の郡制廃止頃のをもう一度読むべし。
松波さんのところにある大正府県道の告示はどこかで改正された結果物であるらしい。T12以降ではなさげ。全体的に路線数が少ないし、路線自体は一緒で名称が違うものが多数ある状態(奈良大阪線が奈良国府大阪線という名称になっていたりする。下市東熊野線とか)。一体いつのだろう・・・。大正9年4月1日告示になってるんだけれどもなあ。
T12のデータが載った統計書以降は個々の府県道のデータが載らなくなってしまい、府県道名すらわからなくなってしまうので、それと突き合わせることもできない。T以降の県報全部見れっていうことか。大変だがいつかやらなきゃいかんのだろうな(やったとしても成果があるかどうか・・・道路関係のは欠落が多いみたいだし。 何でだろう?三重県もそうだったが、 まとまった数府県道認定がされていたはずの告示は収録漏れしていることが多い。使い手があるから誰かが持ってったんだろうか?)
地方の道路網発達を考えるとき、府県道の変遷を踏まえたほうがいいんじゃないかと思うのだが、体系だって調べた人はいないようだ。福井県の県議会史巻末にあるような変遷表がどこの府県にもあってしかるべきなのに。。。
T15の最初の指定は第8巻第11号。国立国会図書館蔵。複写申請したほうが早いのか。
先日のぽかぽか陽気の頃から急に芽が伸び出して、以前の葉を追い越すくらいに成長したのだが、寒さがぶり返したせいなのか、それとも暖房を使わなくなったせいか、その新葉がしなびて落ちるようになってしまった。
そこいらに育っている南天は肥料をやったりすることもないだろうにわしわし育っている。 あんまり構うとよくないように思いつつ、霧吹きかけてみたりなどしている。土が悪いのかなあ。腐葉土じゃいかんのだろうなあ。
いま時点で自分の興味が向かっている方向をジャストに表す言葉がないので勝手に「道路考古学」とかいうワードを考えている。産業考古学の網で道路を捕まえてもいいんだろうけど若干ハミ出そう&思った以上に捉え所がないぬめぬめずるりんとしたもののような気がする>道路。
要するに戦前の道路を体系的に考えてみたい。戦前の道路ってどんなものだったのか。どう変化して現代に繋がっているか。旧廃道の探索はそれを調べるためのフィールドワーク。その検証のためのデスクワーク。両輪体制。今あるものから過去を振り返り顕かにするという意味でarcheology。発掘するだけが考古学じゃないからね。
箸の使い方が下手になった気がしてならない。つまんだものを滑らせて落とす・掬ったご飯粒をこぼす・椀に載せた箸が転げ落ちる等々を経験することが多くなった。運動神経が鈍くなっているのはこれまでも何度か認識したがそれが箸使いにも現れたのかと思うとゾッとする。
最も強くそう思ったのは
開封したてのいか味付け缶詰から最初の一つをつまみ出せなかった
時だった。パッ缶になった蓋の縁のところに引っ掛かってつまみ出せなかったのだ。 先がささくれ立った割り箸でですら失敗した。 これはマルハニチロにも罪の一端を担ってほしい。封入するほうは楽だろうが、 もう少し改善の余地があるのではないか。
茹でたブロッコリーを菜箸で掴んで取り出せなかった
というのもあった。摘まめば摘まむほど崩れていって、同じ形状のより小さいブロッコリー群になってしまい。マンデルブロー・プロットを際限なく降下していく気分を味わった。火を通しすぎたんだよ、どうせカレーに入れるんだからいいじゃんと、誰かに慰めてほしかった。嗚呼独り身の憂き事辛き事哉。