nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
「道路の改良」第19巻第5号(昭和12年5月発行)「最近内務省に於ける路政関係行政処分例」に,3月31日付で上水道溜池建設費の起債が認められている.起債額10000円.籠池の建設に関係するものだろう.
このコーナーには国道の改修開始・終了の告示,指定府県道の改修の告示なんかもあったりする.この頃の国道改修を厳密に追いたい場合は役に立ちそうだ.
新潟県土木季鑑. 昭和14年版より.新潟県の例.
(その一)指定府県道改良事業
(前略)然るに政府は昭和十一年度に於て,国家的見地から全国主要府県道の改良を企画し,地方産業の開発並に軍事上其の他特殊の事由に依り,其の新設改築を必要とするものに対し工事費の三分の一を補助するの計画を樹て,本県には二十七万六千円の事業費が割当られたのである.而して之が改良の標準としては一,指定府県道の改良なること,二地方更生産業振興上有効適切なる工事なること,三,一連の工事費三万円以上のものなること,四,改良規格は道路構造令の規程に該当するものなることの要件を必要としたのである.
以上の採択標準に則り計画せられたものは,新津,新発田線外五線で引続き昭和十二年度七線十三年度には四線と政府補助のもとに順次改良工事を施しつつある.而して高速度交通機関の発達に因り要求せらるる道路改良の急に応じ其機能を十分に発揚せしめ,之を産業方向の進展に利用することによって,県民経済の発達を阻止している現下の状況を排除することは最も緊要の事項と思慮せらるるのである.
「道路法の田中か、田中の道路法か」と言われたほど(旧)道路法成案に深く関わった田中好による解説を発見。「道路法」道路改良会刊、大正14年発行である。
要するに田中の考えていた道路元標は国・府県道の起終点を明確にするためのものだった。府県庁等の所在地を国・府県道の起終点とする場合、その起終点を道路元標に採るべきことは道路法施行令第八条で定められているが、T8の公布時には郡道もそれに準じる扱いになっていて、なおかつ郡道は町村役場を起終点とすることが予想されたから、同令第九条で「各市町村に一個を置く」と定めていたのである。
けれどもT11に郡道が廃止されたことで町村役場を起終点とする郡道が無くなってしまった(あるものは府県道になったが、あるものは町村道に格下げされた)。なおかつ府県道は町村役場を起終点とすることを想定していなかった(府県道の資格標準にないからな)。結局、各市町村に設置したとしても国・府県道の起終点を示す用途に使われない道路元標が生じてしまうことになり、そういうところにわざわざ元標を設置するのは無駄なことであるから「第九条はそのうち改正するべきだ」とまで言っている。あの田中が。
(ニ)道路元標 府県庁,師団司令部,鎮守府又は郡市役所の所在地を国道又は府県道の起点終点と為すときには其の道路の起点又は終点は其の市町村の道路元標の位置に依らなければならぬ(道路法施行令第八条)其の道路の起点たり又は終点たる位置を表示するに必要な設備である,従て府県庁,師団司令部,鎮守府又は郡市役所の所在地に達する,国道又は府県道は必ずしも府県庁,師団司令部,鎮守府又は郡市役所の存在する地点に達するものでなく道路元標のある位置に達すればよいのである,而して道路元標の位置は,路線の位置を示すものなるが故に,道路の中心に之を定むることを要し其の位置は府県知事に於て指定するものである,唯だ東京市に於ける道路元標は日本橋の中央を以て其位置とするのである(道路法施行令第八条)
道路法施行令第九条は各市町村に道路元標一箇を置くことを規定したるも,各市町村に必ず設置する必要あるや否やは大に攻究を要する問題である,府県庁,師団司令部,鎮守府又は郡市役所の所在地を,国道又は府県道の起終点と為したる場合に於て設置するのは格別であるが,然らざる場合には畢竟 形式行政の便宜の為に設けられたものであって,町村役場の所在地を起点又は終点とする郡道の廃止せられたる今日に在りては,多額の費用を投じて之を設置するの必要がない何れ是等は改正あるべきことと信ずる.
道路元標の様式は,大正十一年内務省令第二十号を以て規定され,石材其の他耐久性材料を以て築造することを要しその様式を示して居る,其の元標は道路の起点又は終点たる位置を表示する為,道路に面し道路中心線の最近距離に於て路端に建設することになって居る,道路元標は之を必要とする道路管理者に於て建設するを原則とし,等級を異にする道路が,その元標を併用する場合に於ては,上級道路の管理者が之を建設することを要するのである,従て建設したる道路管理者の管理する道路の附属物となるのである.
道路法を起案した本人が「要らんかも」と言っているくらいだから、設置が遅れてもとやかく言われなかっただろうし、全市町村漏れることなく設置されたわけでもなかろう。そうして第九条は改正されることなく戦後を迎え、国・府県道に関与することのなかった道路元標の多くは設置されないままで終わったに違いない。
国・府県道の起終点を示すことが道路元標のレゾンデートルと目されていたなら、橿原道路元標の存在も自然と納得される。橿原神宮を起終点とする府県道が一度に複数生まれたため、その起終点を示すために元標が必要だった。というよりも、府県道を橿原神宮に結びつけたいがために橿原元標を設置したのだ。法の曲解ではなくガッチガチに遵守するための落とし所だったわけである。