nagajisの日不定記。
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十三で見つけていた、T刻印だと思っていた刻印。もう一度確認しに行き「山」だと確認した。下のセリフがない。廃毒書き直さなきゃいかんなあ。
鶴橋で見つけていた「山」刻印も山陽のだとすると、大正6年創業、末期には分裂という割に大阪市場を侵蝕していたことになる(といってもまだ2つしか見つかってないが)。大正2〜4頃の煉瓦不況を経て、大正6の急激な需要増加の頃(この年T8に生産量が最大値を記録する)、大阪の煉瓦会社だけでは需要を賄い切れない事態が発生したのかも知れない。
「役員録」を眺めてみても大正6に成立した新会社が多いことに気づかされる。大阪煉瓦然り、和泉煉瓦(二代目)然り、泉州泉陽煉瓦然り。それだけ煉瓦需要が急増し「旨い仕事」と考えられたということだろう。それなのになぜ堺煉瓦が脱落してしまったのだろう。新聞記事を検索したらヒントが得られるのだろうか。
十三に寄ったのはこの煉瓦を撮りに行くためでもあった。以前歩いた時に見かけていたものだが、バッテリーが切れて撮れなかったというやつだ。
会社名不明。★印が二つと「*RROSIST」と刻まれている。商標大全に「★」と「H.S.FIREBRICK」という組み合わせが登録されていて、それだとばかり思ってたのだが、記憶違いだった。要するに無駄足の記録である。
「H.S.FIREBRICK」は榊原鶴吉桜井鹿蔵が登録していて、彼は「堺煉瓦石」マークも登録していたりしているから、このへんの謎を解く鍵を握っていそうな感じがする。馬鹿の一つ覚えで「H」=「Hyougo」と読んでもいいのだが、次の「S」がわからない。
なるほど、そっちか!
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/119/8/2006_honbunP121-140.pdf
全く同じものが奄美大島で見つかっているそうだ。全体を復元すると「CORROSIST/STAR-BRICK」。H.S.耐火煉瓦製造所として大正5年に創業、昭和5年8月に三石星煉瓦製造所、昭和40年10月にホシレンガ株式会社。
『窯業銘鑑』大正14年版に大阪支所の記載あり。西区西道頓堀1-1。
T10工場通覧では櫻井猛秀氏が工場を所有。