nagajisの日不定記。
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担当原稿が終わった気安さで大日本窯業協会雑誌のコピーを見ていたら面白いことを発見した。大阪狭山市の大阪煉瓦株式会社の取締役に林信一郎の名前がある。例えば大正12年の『日本全国諸会社役員録』。
日本全国諸会社役員録 第31回大阪煉瓦株式会社 南河内郡狭山村 設立大正6年10月、資本金15万円、一株50円、払込高60000円 取締役 中村豊雄 東、下味原 同 林十五郎 同 林要五郎 同 林信一郎 右北、中之島六佳 監査役 山田正義 西成郡津守村
ただし大正6年の設立時にはいなかったらしく大正7年版にはない。でこの林信一郎、どうも津守煉瓦の設立者の林尚五郎と関係があるらしい。大正14年『窯業銘鑑』では林信一郎が津守煉瓦を所有してたことになってる(確かこの頃林尚五郎は中之島で林商会をやってなかったけか>Yes。大正15年『大阪市商工銘鑑>』、煉瓦珪藻土珪砂セメント販売業)。上のquoteで監査役の山田正義が津守村在となっているのも意味深じゃないか。
廃読39では川南村炭屋の大阪煉化石が津守煉瓦になったんじゃ?と想像していたけれども、両者の役員には接点が見いだせなかった。そうじゃなくて大正6年に成立した大阪煉瓦のほうと関係があったわけだ。&、廃毒では明治の大阪煉瓦石=★刻印と想像していた。むしろ大正の大阪煉瓦が★印であると考えるべきかも知れぬ。地域によってはけっこう頻繁に見られる刻印だから、明治20~30年代に存在した会社のものと考えるより大正6~昭和5のこの会社のほうが相応しかろうて。もっとサンプルを集めないといけないなぁ>★。