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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2007-07-15 (胸を張って)作業報告 この日を編集

と言いたい所なのだが予定通りにこなせず。TUKA氏旧橋修正と自分の旧橋をupした迄。朝7時からかかってた割に何で時間食ったんだろうな。。。ちょっと一休みのつもりでここを書く。

[橋梁] 荒神橋の大正桁は根本の2連だけです

まず自分のは大きな勘違いが一つ。掲載しようと思っていた荒神橋、最後の最後まで撮った写真が大正のRC桁だと思っていた。そうではなくて、河川敷の所に架かる短い桁が大正2年のRC Iビーム桁なのだった。何しろ行くつもりではなかったのに、道を間違えて行ってしまった橋だから。下調べがちゃんとできていなかった。まあ、それでも残り2つで鞍馬街道のRC橋としてまとめられただけ運がいいと思わないと。と言った時点で完全ネタバレ。

[] 猪苗代第一発電所は近年全面改修されました

TUKA氏のほうも自分が勘違いしていて、初代の発電所が(外部改修のみで)内部は昔のままだと思っていたのだった(だから取り出して云々は無理と言っていた)。そこに生じる理論の穴を塞ごうとしてかなりの時間を資料探しに費した。結果、工学会誌に良いほうの知らせが載っていて事無きを得たのだった。つうか最初に見れ>nagajis

[独言] 「工手学校」読む

気晴らしに昼から本屋に行ったのもアレか。中公新書ラクレに工手学校というものがあることを知り、いても立ってもいられず。創立前夜のことや直後のことは詳しかったが、いちばん知りたい明治40年代のことはわすかしか書かれていず。とはいえ日露戦争の終結で(一転して)人材過多な買い手市場になっていたらしいことを知ったし、What it was 工手学校、特にその気風が良く判ったので満足している。

卒業から入庁までに数年のブランクがあるのもそのせいだろうか。あと、大正15年時点で勲八等。勤続で貰ったとは(直感的に)思えないので、ブランクのことも考え合わせたら、山東省辺りに出兵していたのかも知れない。

[懐古] 2002年7月12日

前回あんなことを書いてしまったが、ちょうど5年前の今ごろも台風が接近してきて朝鳥キャンプ場に封入されてしまっていたのだった。ここ2、3日は食っちゃ寝の腹痛痒いを繰り返している(いや、旅で初めて病院に行ったな。気圧変化に伴う自立神経の失調云々。薬を貰って気分だけ楽になった)。それでは余りに振り返ることがないので7月12日、鳥越・品又方面へ行った日を振り返って懐古したい。

朝鳥公園に荷を置いて、空身になって出発したのが朝10時。√417を北上して坂内村を目指す。前前日の雨の影響はここでも顕著でまっ茶色に濁った揖斐川を見ながら遡った記憶がある。藤橋村中深部横山から先は一度通ったことのある道。少し懐かしかった。

そういえばこの旅の目的は書いたっけ? 以前から「分水嶺の峠」に興味があって、分水嶺の峠ばかりを巡ってきた。どんなにマイナーだっていい、分水嶺の峠であればいいというようなコレクターマニヤな心持ちで走ってきた。この旅では行き残していた地域を重点的に回ろうと計画し、だから大阪を出発して和歌山奈良三重と大回りして今ここにいるのだった。瀬戸内〜太平洋分水界の峠をずっと辿ってきた訳だ。

中央分水嶺の峠だからといって別段特別なことはない。峠に立った途端に雨が降る事もなければ株価が大暴落したりすることもない。数ある峠の中のいくつかに過ぎない、といい切ってしまうと語弊があるが、ともかくそんな峠ばかり知っていてもちっとも偉くはない。だから分水嶺の峠が好き。この日もそんな捻れた嗜好に従って、瀬戸内〜太平洋分水界の最北端にある峠を目指したのだった(厳密には違うけど)。

その前に寄り道。日坂峠に立ち寄った。何もなかった。続いて新穂峠。上部はひどく廃道になっていて(ホハレ林道と同じ西建産業(株)の作)それなりに面白かった。峠もこの林道でざっくり削られている。越える方向とは垂直に。正面の崖の上に見える看板が新穂峠の看板。

新穂峠から藤橋村方面。眺めはたいそう良い。ひょっとしたらホハレ峠(林道の峠)から見えるかも知れない。

南側へ下る道はほぼ純正な登山道。半分くらしか乗って下れない。倒木も多くてほとんど使われていないように感じた(ああ、何かこの道とそっくりな道を見て「あの道はどこだっけか」と悩んでいたことがあったような記憶が。こっちは思い出したのに。。。悔しい)が、道半ばにはお地蔵様もおられる由緒正しい道。

滋賀に入ってから、今度は奥伊吹スキー場のてっぺんにある品又峠へ。ゲレンデには何故か四角い穴の開いた滝があって魅了される。まさか天然のものではないと思うが。

品又峠。今はスキー用リフトの降乗車場があるばかり(写真は横から。峠道は左右に越えていた)。昔の姿を見る事はできなかったが、正面に伸びるリフトの鉄塔から「この稜線の先には自分の見知った峠が一本の線で連なっている」ことを思って少し嬉しくなった。半フル装備で滑落した五僧峠。土石流翌日の沢登り・白瀬峠。治田峠。桜青山白髪請取芋風の森七越紀見大川。ぶっ飛ばしてもまだ追い付かない、越えてきた峠の数々。走馬灯ってこれだろうな、と思った。

面白い事に峠の北側はすぐそこまで車道が来ていた上、何故かロータリー(径10m)になっていた。のっけの薮で「こりゃきついかも」と思ったのがぬるぬるヌルベーの如くすっぽ抜けた。その抜け具合は下りで動画を撮っていることからも伺える。得てして意味の無い、自分も見返すことのない動画。記念にYoutubeに揚げておく。先に断っておくが期待するような出来事は起こらない。

帰りの√303では旧徳山村に向かった日の思い出が甦るが、ブレーキシューがひどい片利きになってしまった上に修復に必要な工具を忘れて来た。行きがけにひどく漏水していた久瀬トンネルはショートしたのか真っ暗に。帰ってあさりのクリームスープを食い、過去最大の蕁麻疹。


2008-07-15 作業中 この日を編集

[ORJ] 力尽きる前に

しとろんさん、MKさん、multiさん、原稿チェックしてくださってありがとう。ご指摘反映しました。いいものになってるといいな...

それだけ告げて。続きはまたあとで。

あ、いけない、バックナンバー御注文いただいた方、遅くなります申し訳ありません。そして自転車乗り@福岡さん、メール届いてます、意外ですねあるもんですね。一人ケ塔も別所に残ってたりしたら面白いでしょうね。


2011-07-15 この日を編集

[ph.] (レンズの突き出た雪だるまを連想しつつ)むーん

L:光学ズームのみ。
画像の説明

M:デジタルズーム併用。
画像の説明

どちらも原寸切り出し、圧縮無し。一応はズームになっているのだな。しかしこれだと上を2倍にしたほうが綺麗な肝摺る。

画像の説明

[ORJ][web] 簡単杉ワロタ

ちょこちょこやってたら通販サイトが出来てしまった。そのうえダウンロード販売もできる。クッソワロタ

今までの苦労はなんやったんや・・・

[独言] いろいろオワタ

超脱力。最初によくよんどけって>ばかじす

これが、限界なんかなあ。疲れたなあ。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ iso [いま7月14日23時過ぎですが、15日の日記が読めるのはジャンプだけ!]

_ nagajis [いつものことですよアハハ]


2013-07-15 この日を編集

[ORJ] あとちょっと

もう少しで発行できます@PM10:00

[煉瓦刻印] T刻印山刻印=山陽窯業刻印

画像の説明十三で見つけていた、T刻印だと思っていた刻印。もう一度確認しに行き「山」だと確認した。下のセリフがない。廃毒書き直さなきゃいかんなあ。

鶴橋で見つけていた「山」刻印も山陽のだとすると、大正6年創業、末期には分裂という割に大阪市場を侵蝕していたことになる(といってもまだ2つしか見つかってないが)。大正2〜4頃の煉瓦不況を経て、大正6の急激な需要増加の頃(この年T8に生産量が最大値を記録する)、大阪の煉瓦会社だけでは需要を賄い切れない事態が発生したのかも知れない。

「役員録」を眺めてみても大正6に成立した新会社が多いことに気づかされる。大阪煉瓦然り、和泉煉瓦(二代目)然り、泉州泉陽煉瓦然り。それだけ煉瓦需要が急増し「旨い仕事」と考えられたということだろう。それなのになぜ堺煉瓦が脱落してしまったのだろう。新聞記事を検索したらヒントが得られるのだろうか。

[煉瓦刻印] 会社不明「★★」「*RROSIST」ホシレンガ株式会社耐火煉瓦

画像の説明

十三に寄ったのはこの煉瓦を撮りに行くためでもあった。以前歩いた時に見かけていたものだが、バッテリーが切れて撮れなかったというやつだ。

会社名不明。★印が二つと「*RROSIST」と刻まれている。商標大全に「★」と「H.S.FIREBRICK」という組み合わせが登録されていて、それだとばかり思ってたのだが、記憶違いだった。要するに無駄足の記録である。

「H.S.FIREBRICK」は榊原鶴吉桜井鹿蔵が登録していて、彼は「堺煉瓦石」マークも登録していたりしているから、このへんの謎を解く鍵を握っていそうな感じがする。馬鹿の一つ覚えで「H」=「Hyougo」と読んでもいいのだが、次の「S」がわからない。

なるほど、そっちか!

http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/119/8/2006_honbunP121-140.pdf

全く同じものが奄美大島で見つかっているそうだ。全体を復元すると「CORROSIST/STAR-BRICK」。H.S.耐火煉瓦製造所として大正5年に創業、昭和5年8月に三石星煉瓦製造所、昭和40年10月にホシレンガ株式会社。

『窯業銘鑑』大正14年版に大阪支所の記載あり。西区西道頓堀1-1。

T10工場通覧では櫻井猛秀氏が工場を所有。


2014-07-15 この日を編集

いい加減503が止まらない、と書いて「ロマンチックも止まらない」と蛇足しそうになったのを理性で押しとどめた午後10時。何事もなかったかのように準備万端である。

[KINIAS] 福井県が近代化遺産を巡るバスツアーを計画

合間にそんな記事を書く余裕をかましつつ。

----------ここから

■福井県が近代化遺産を巡るバスツアーを企画

 福井県の公式サイトで表題のようなバスツアーの告知が行なわれています.ツアーは敦賀駅を出発し,旧北陸本線のトンネル群や旧駅の跡を散策,若狭街道の宿場町として栄えた今庄宿を見学したあと,日本海沿岸の河野浦に出て北前船で繁栄した右近家に立ち寄ります.最後に敦賀港に戻り,敦賀鉄道資料館にて鉄道や港の発展史を学ぶという内容です.
 各施設は歴史に詳しい地元ボランティアが解説,昼食も北陸本線の駅弁を再現した復刻弁当が振る舞われるという徹底ぶり.またお土産として「旧北陸本線の歴史にまつわるものをご用意します」とのこと.
 ツアーの申し込みは京都新聞旅行センター(電話075-256-2233 )へ.参加費は京都・滋賀からの乗車の場合5980円,敦賀からの乗車は4980円となっています.運行は7月から10月まで,月2回から4回実施されるようです.詳しくは参考リンクのpdfをご覧下さい.

・参考リンク
福井県公式サイト
http://www.pref.fukui.jp/doc/kankou/kindaika.html

----------ここまで


2016-07-15 この日を編集

[独言] ふう

発行した。。。と書くのも考えてみれば久しぶり哉。

今回は15日ではなく14日を休みにした。前日にほぼ完成させておいて15日は最終調整という魂胆。個人的には上手いこと行ったと思っているが、いつもどおり23時過ぎ発行になったので結果的には「いつもどおり」である。進歩がない。

明日はいろいろやらなければならぬ。土曜18時30分〆の件と19日までに用意しておきたい件を片付けねばならぬ。

[] 馬渕浩一「IT時代の産業技術博物館構想」(玉川大学出版部)

書かれてあることは至極ごもっともなことで、うんうんとうなづきながら一気に1/3ほど読んだのだけれども、そういう入ってきやすい文章ほど眉にツバして読まなければならないと思っている。別に何かに/誰かに楯突こうとか、内容がどうのという話でなく。じゃないと「読んだ」という記憶しか残らない気がする。

産業技術博物館=技術者の卵を育成するために必要。科学知識を理解するためのものでなくて。自然科学の原理を模型で理解することは、科学教育には必要だがモノづくりへの興味には結びつかない、という説。そうだろうか? と考えてみた。ラジオの仕組みを模型や解説で理解することと、実際にラジオを組立ててみることと、どっちがエンジニアリング道へ入るきっかけになるか。人それぞれなんじゃなかろうか。実際に自分で作ってみることは理解の第一歩であり王道である。それを面白いと思い続けていこうと思うかどうかは、やっぱり人それぞれなんじゃないかな。技術が複雑化し深まってあらゆるものがブラックボックス化している。そのブラックボックスを理解するためには、例えば私が小学校の間に学んだことよりもはるかに多くのことを知らなければならない。それ考えると仕組みを手っ取り早く理解し、それの応用とか組み合わせとかをしやすくすることって大事なんじゃないか。まあ、そういうやり方の博物館が行き詰まっているのだから同じ轍を踏んだところで上手く行くわけないか。

思い切って「モノ作り=尊い」という構図をぶっ壊してみてはどうか。モノづくりにのみ依存してきて立ち行かないのなら他への転換を図ってもいいんでないか。それこそIT技術とかさ。あれは資源を必要としないのだから。モノづくりを生業とし続ける限り、原料を買ってくる手間とか製造コストとか人件費ガーとか続けなければならない。今外国で始まっている「Pokemon Go」とかすごくいい線行ってると思う。

この手の話では必ずアイアンブリッジ峡谷が出てくるけれども、日本があれをお手本にすることはできるんだろうか? ドイツの製鉄ミュージアムもそう。そういう場所がないというのもあるし、見て「すげえ」と思う心が、風土が日本にあるんかな。なんだろう、日本はこんなに素晴らしい国なんだ! っていう話を見たり聞いたりした時に、そうそうと納得する思いがある一方、自分のことではないような、こっ恥ずかしくて直視できないような感覚、がどこかにある(少なくとも自分には)。外国人が日本の良さを褒めて、それを聞いて「いいことだったんだ」と知るような感じ。知ったところでそれを宣伝してみようとは思わない、自分自身を褒めようとは思わない、そんなふう。アメリカ人がアメリカに対して抱いている愛国心のような愛国心は日本にはない。日本に住んでいながら政府のやること役所のやることに反感ばかり抱いていて、そのくせアクションは起こさない。そんな無関心。

日本人がアイアンブリッジ峡谷のミュージアムを見て、イギリスの産業革命を知り、その偉大な足跡に陶酔することはたぶんできる。けれども石見銀山や富岡製糸場などを見て、陶酔し、日本の過去に尊敬の念を覚えたりするかな。「すごいね」っていってお終いなのが関の山なんじゃないかしらん。そこで素直に誇りに思えるような、そういう風土をまず醸成する必要があったんじゃないだろーか。

てなことを、読みながら考えた。出版は2000年。それからもう16年も経過しているのにほとんど変わってない世界。


2018-07-15 この日を編集

[ORJ] 146号

淡々他端胆立たんと作る。これでもうしばらくは背伸びして書かなくて済みそうなので、それだけでもホッとしている。

[煉瓦] 桂川橋梁再訪

画像の説明

以前お教えいただいたことにつき、大きな勘違いをしていたことを悟って、近々再訪したいものだと考えていた。そうして行ってきた。この酷暑の中。確か前回もそんな暑さの最中だったと思う。溶けはしなかったが帰りがきつかった。

胡乱な記憶を整理して、現場状況を確認して、また煉瓦を掘り繰り返して、結果あれやこれやがストレートに繋がった。そうなのだ。この橋台が「建て増し」されたものであるとせば、刻印の違いも厚さの違いも説明できるのだ。而して実際ケロヨン君のいるほうは厚56mm、そうでないほうは厚54mmという違いがある。目地の仕上げも違うのだよ。

……あれ。よく見たら右と左でアーチの大きさ違うじゃん。

探しものは、最初に手に取った一個で自摸和了。地和ってやつか。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/796879/115

[鉄道作業局]規程類聚. 附録 明治三十四年九月現行。桂川橋梁の橋脚跡はたしかに12フィートだった。


2019-07-15 この日を編集

[ORJ]発行

作成している最中にキーボードが変になっていることに気づく。Indesignで縦中横しようと思って左Alt+ctrl+Hしたら反応しない。右Alt+ctrl+Hしたらちゃんと反応する。Hか左Altが変なんかと思ったらそうでもないようなのだ。ctrl+左Alt+Rでルビとか出るもの。

んでたったいま、shift+yで大文字のYが出ないことを発見する。yは出るのだ、shiftと組み合わせると出ない。ううむ。どういうことだ。

Y。右shiftでは出るんだよな…。ていうことはなんか左のコントロール系がおかしいようだ。

もう一回全部分解せなあかんのか・・・。めんどくせえ。


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