nagajisの日不定記。
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京都市中で最も長く操業していたのは深草フチ町の煉瓦工場。大正7年から「竹村煉瓦石製造所」の名で載るようになり、その名で終戦まで続いている。休止間際の「工場通覧」では「深草フチ町19」に所在し、経営者は山田重三郎となっている。丹後の竹村煉瓦工場(今もホフマン窯が残っているあの煉瓦工場だ)も山田重三郎の名で登録されているから、同じ人物が京都府の南北で煉瓦工場を営み、府下の煉瓦を供給していたようだ。
そうして戦後に同じ住所で「中島窯業㈱」が載るようになる。この工場はS34頃まで存在した。京都の煉瓦というと琵琶湖疏水事務所のものばかりを連想してしまうが、他にもちゃんと?煉瓦工場は存在したのだ。そうしてどんな刻印を使っていたのかわかっていない。
地下鉄竹田駅から深草フチ町を目指して歩いた。道すがらは全面的典型的な郊外住宅地。一戸建て住宅が軒を連ね、幹線道には大型チェーン店が切れ間なく続いている。そんな街だということは航空写真やストビューで確認できることだが、行ってみなければわからないことは多い(行ったからといってわからないことも、同じくらいに多いのだが)。
例えばそう、こんなところで「セ」煉瓦に遭遇するなんて、出かけてみなければわからないし、想像すらしていなかった。姫路の西播煉瓦のそばで見かけた「セ」刻印と寸分違わぬ「セ」刻印だ。一画目の最後を明瞭に描き、二画目の縦棒との間でループを作ってるところなんかはそっくり。イロハニホヘトのセでないことは明らかだ。
この煉瓦は深草フチ町に到達する前に発見した。名神高速道の高架下を通っている下道の脇だ。さっそく刻印が見つかったのはいいが……「セ」=西播煉瓦の仮説を揺るがす発見で、幸先のいいスタートとは言い難い。
現在の深草フチ町の区域は徹頭徹尾な住宅街。どの住宅もここ30年内外に建てられたものに見え、軒先に煉瓦が転がっていることも稀だった。あったとしても、こんな機械成形煉瓦だ……。縁が歪んでいたり長手に凹凸があったりして、それなりに古そうななりをしていたが、刻印が押されているようなことはなかった。
むしろ……これが戦後の中島窯業㈱の製品なのかも知れない。そう思わせるほどに数多くの似た質の歪んだ機械成形煉瓦を見た。
そんな深草フチ町ではあったが、手成形煉瓦が全くなかったわけでもなかった。とある住宅の脇、用水路に面した石垣の上にこんな刻印煉瓦を発見。1cm四方くらいの小さな四角に「レ」の文字が刻まれている。
国道側の隣町の畑でも似たパターンの刻印を発見した。地衣類に覆われてわかりづらいが□にへである。大阪市外では見かけないものだが……実は豊中市で「□イ」を見つけていたりする。この世のどこかにこのパターンを使っていた煉瓦工場が存在していたことは確かなのだ。
それが即ち竹村煉瓦だと有難いのだが、そう断定するにはサンプル数が少なすぎる。無刻印手成形の煉瓦もなかったわけではないし(刻印煉瓦よりも数は多い)、何より京都はほとんど歩いていない。他の工場の煉瓦が流れ込んでいた可能性は十二分に高いのである。
何しろ京都は大阪と滋賀の間だ。どちらからも煉瓦が流入しているはず。その証拠に江州煉瓦の見本のような刻印煉瓦を発見した。滋賀県守山市に本社があった江州煉瓦、○にGの刻印だ。
そうして「セ」刻印も一つだけじゃない。深草フチ町の真ん中で一つ、西隣の町の畑でも一つ。都合3個の「セ」がこの付近に分布している。「セ」分布の重心が一気に東へ寄った格好だ。
少なくとも京都に「セ」のつく煉瓦工場はなかったから、他所から流入してきたもののはずだが、従前説の=西播煉瓦は再考の余地がある。西播跡地では1つしか見つかっていないし、西播くんだりから京都洛外まで運ばれたとも思いにくい。せめて考えるなら鉄道輸送の実績がある関野だろう。
他にも一つ出所不明な刻印煉瓦を見つけた。薄くてわかりづらいが漢数字の1に小さな点が添えられている。打刻に失敗して二度打ちしているものの、拓本でそうだと判断される(それはまた今度掲げる)。こういう家紋があったような気もするのだが。。。これは転石で1つだけだった。
その拓本。横線はもうちょっと太いようにも思うのだが、うまく再現できなかった。漢数字の一のようでもあるし、上のチョボと合わせて「∴」のような記号を(楷書で)書いたような感じもする。
あちこちで見かける「ATR」刻印の耐火煉瓦。深草フチ町でも目撃した。この煉瓦の製造者はわかるようでわからない。福岡の荒木窯業株式会社であるように思うのだが確証なし。「TAR」とかもあるもんな。
何の変哲もない大阪窯業刻印。そう言えばまだ挙げてなかったな、と思い掲げてみた。とか言いながら以前「改」つきのをupした気もするな。
大阪窯業や岸和田煉瓦のような大工場の刻印は、ぞんないな押され方をしたものが多いように思う。きれいな拓本が取れそうなやつは案外見かけない。マスプロダクションの精神?が浸透していて、そこまで丁寧な仕事をしようと思わなかったのかも知れない。あるいは単に、数が多くてよく見かける(上手いのも下手なのも)だけで、母数が多いせいでぞんざいと感じるだけなのか。