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旧道倶樂部録"

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2013-08-15 [長年日記]

[煉瓦工場] 旭商社@堺市柳ノ町

このクソ忙しいのに何やってんだと思われもしないだろうが過去の訪問記録を片付けておく。

画像の説明

古い地形図で窯業窯マークが連なっている内川のほとり。旭商社の窯もこの付近にあった。左手に見えるのが柳ノ町の住宅街(内川に降りて南を向いて撮影)。工場跡はすっかり住宅地になり切っていて、堀川も丁寧に整備され遊歩道と化している。この一帯に古煉瓦を見ることはできなかった。そもそもあれか…明治30年代に消滅した工場の刻印が見つかるのはかなり稀なことで、住宅地が掘り返されているところに遭遇するとかいう邂逅がなければまず無理だろう。

[煉瓦工場] 日本煉瓦@舳松村(堺市大仙西町)

画像の説明

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大阪窯業、岸和田煉瓦に次いで大きかった日本煉瓦の工場。いまその場所は堺市営住宅が占拠している。わずかに残る痕跡は敷地北西隅の煉瓦壁。北隣にある自動車工場との境界をなしているが、ここに日本煉瓦の刻印が見られることから、同社の築いたものと想像される。市街地でよく見られる数字入りのではなく、社章そのもののやつだ。

[煉瓦工場] 大阪窯業堺工場@堺市大浜

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西の横綱・大阪窯業の繁栄の基礎を築いた堺工場。明治31年に操業を開始し大正13年まで赤煉瓦を製造した。いまの大浜公園の北半分と、南海鉄道(当時は阪堺)の線路際までの広大な敷地を工場としていたようだ。今この場所には「大阪窯業煉瓦工場之跡」の碑が立つだけになっている。線路際には大きなマンションが林立し、古煉瓦の一つも落ちていない。いや、公園隣の空き地にはカケラが落ちてたか。

大阪窯業が越してくる以前、この辺りに堺附洲煉瓦があったはずなのだが、それを買収して敷地を得たわけではないらしい。『大阪窯業五十年史』にはただ土地を得て開業したと書かれてあるだけだ。 画像の説明

[煉瓦工場] 丹治煉瓦工場@舳松村(堺市永代町)

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堺にあった無数の煉瓦工場のなかで、唯一わかりやすい痕跡が残っているのが丹治煉瓦。明治30年代に作られたという会社事務所が残っている。いまは有志が手入れをして、事務所跡を中心とする街並み作りが進められているそうだ。ステンドグラスが使われていたりもする洒脱な煉瓦建築である。

大写真はその事務所。小は向かいにある民家の壁。他にも近くの佃煮屋さんが煉瓦建築で営業している。全く同じ煉瓦ワークが採用されており、関連する建物だったかも知れない(どれにも丸丹刻印が入っている)。ちなみに刻印を観察するには、透かし積みになった煉瓦の裏側を見るとよい。表側は砂埃が覆っていて見にくい。

[煉瓦工場] 樽井煉瓦@泉南市樽井

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樽井煉瓦の跡地は空地のまま残されている。南東隅に残るのは工場主だった矢代氏の住宅だろうか? さまざまな色の釉薬がけをした煉瓦が壁に使われている。煉瓦でもこんな鮮やかな色が出るのだ。

[煉瓦工場] 堺煉瓦@堺市吾妻橋通

画像の説明

老舗の一つ・堺煉瓦の工場があった辺りを堅川の対岸から見る。いまは完全なる工場地帯である。もう少し厳密に言えば、いま国道26号が貫いている辺り(確かこの道はあとでできたものじゃなかったっけか)や、その東側のリーガロイヤルホテルの辺りまで広がっていたようだ。大正末の市街地図では長崎紡績所になっているが、この会社、堺煉瓦の社長・太田貞一がちゃっかり副社長に収まっていたりする。

画像の説明国道26号堅川橋から南海堺駅方向を眺める。手前の大きなビルがリーガロイヤルである。

[煉瓦工場] 原口忠太郎工場@堺市住吉橋通

画像の説明

関西地方で最初に商業的に煉瓦製造を始めた原口煉瓦工場は、住吉橋通2丁目(新町)にあったという。それから約140年経過した今日、そこで煉瓦を探すのは、関ヶ原で甲冑や鏃を探すのと同じくらいに無駄なことである。歩き回ってみたけれども手成形煉瓦すら見つからなかった。

写真は新榮橋から北を向いて撮影。昔はここから北西方向に流れる堀川があって、住吉橋通は洲のようになっていた。

明治20年代の地形図を見るとここに3つの窯マークがある。全部原口工場のものだろう。原口工場はM25頃から記載されなくなり、かわりに子師工場、岩井工場(紀谷工場)、石井工場が登場する。敷地を分割し3つの個人工場が興ったのではないかと想像するのだが、裏付けとなる資料は見つかっていない。というよりもドコを当たればいいかもわからない。堺市に資料があったらこんな苦労はしないのだ。

[煉瓦工場] 墨江村周辺@大阪市住之江区

旧墨江村・千体村の周辺には明治20年代から30年代にかけていくつかの工場が興った。盛秀舘(M19-25)、三栄社(M20-34)、千躰煉瓦製造所(M20-26)、東洋煉化製造所(M27-30:創業はM19となっているがM27が初出)、など。この頃の資料には番地まで書かれていないので、資料だけではどの会社がどの工場を継承したのか特定することはできない。

一度だけこの辺りを歩いたことがある。古い民家はそこそこあって、手成形煉瓦や刻印煉瓦も見られたのだけれども、ここ特有の刻印というのは見つけられなかった。探した場所が悪いのかも知れない。旧版地形図を持っていくのを忘れ、どの辺りが中心街なのか把握できないまま闇雲に歩き回っただけだ。

画像の説明

町を東西に横切る川のほとり、取り壊しが済んだ住宅の跡(マーカーの位置)で、ちょっと面白い煉瓦を見つけている。上の小さな煉瓦がそう。下は東京形の煉瓦である。サイズ的には泉布観に使われている「YEGAWA」刻印の煉瓦と同じ。サイズだけで言えばずいぶん古そうなものである。残念ながら刻印はない。

[独言] どくげん

↑うん、片付けといてよかった。姑息もいいところだが。結果的にnagajisしか書いてない号になったが自分の責任ではない。そうしてまた売り上げが半減するんだろうな(乾いた笑い)

書かないと言って書くのもある意味有言不実行だな。

煉瓦工場の件、少し追記しておこう。


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