nagajisの日不定記。
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謹慎もせず資料を取りに行く@府立図書館。そうして新聞記事を検索していて積年の疑問を晴らす記事を見つけた。隧道という言葉が使われなくなったきっかけかも知れない記事だ。
ものは読売新聞昭和38年1月6日の「気流」欄。よくある読者投稿欄である。
「隧道」は新しい呼び名に
▽伊豆地方をバスで旅行して気がついたことは「××隧道(すいどう)」と呼ばれる山をくり抜いて作った道路の多かったことです。「隧道」とは、もともと棺を埋めるために地上より斜めに墓穴に通じた道、すなわち墓道の意味であり、転じて地中を通ずる道、トンネルとなったもので、汽車の通るトンネルと区別するために「隧道」と名づけたと思われますが、交通事故の多い現在のこととて、私はそこを通るたびにいやなことを連想しました。
▽この漢字は当用漢字にはいっていません。他に適切なことばがないために使っているのだと思いますが、当用漢字制定の意義を生かすために私はこの際、新しい呼び名に改めたらと思います。なお、ガイドさんはこれを「ずいどう」と呼んでいましたし世間でもそう読む人が多いようですが、正しい読み方は「すいどう」です。(茨城県・中学校教員・K生 35)読売新聞 昭和38年1月6日朝刊「気流」
何このnagajisみたような物言い。いかにも日本人的潔癖症的俺は正しいこと知ってるんだぜへヘン的な投稿で、自説とそんなに変わらないにも関わらず鼻白んでしまった。とはいえこの欄、本来そういう率直素朴な意見を交わすコーナーなのだから何の問題もない。上記投稿を読んで「上から目線」というワードが思い浮かんでしまったほうが卑しいのだ。
正しい対応はこう。記事が載った6日後に反論の意見が寄せられている。同月12日「潮流」欄より引用。
「隧道」は「トンネル」でよい
▽六日の本欄-「隧道」は新しい呼び名に-という意見に対して異議がある。私はしいて新しい呼び名を付ける必要はなく、今日では完全な日本語になりきっているトンネルでいいと思う。K氏は汽車の通るトンネルと区別して、人や自動車の通るのを「隧道」と呼んでいるように解釈していられるが「隧道」という文字がわが国で一般に使用されるようになったのは、明治以後鉄道が山地の地下を貫通するようになったころからのことで、トンネルと同義語にほかならない。「隧道」の本来の意味が隧道であるということは別に気にするほどのことはないと思うが、当用漢字にない文字を使うことはやめた方がよいと思う。トンネルの原語は英語のTunnelであるが、決して汽車だけの通る地下道の意味ではなく、坑道のようなもをも意味しているし一様にトンネルと呼んでさしつかえない。(栃木県・自由業・荒江啓郎 73)
読売新聞 昭和38年1月12日朝刊「気流」
要するに、隧道は昔からトンネルなのだからトンネルと言えばよい、ということ。至極穏当な意見である。
この読者投稿欄がきっかけとなって「トンネル」と呼ばれるようになった、かどうかはわからない。所詮一新聞の一読子の意見であるし、そもそも自分が覚えている記事はこんなんじゃなかったような気もする。「隧道」を「すいどう」と読むべしという下りは特に覚えがない(それは隧道詳説を書いていた頃に私が勝手に言い出したものだ)。
けれども、自分が記憶している記事(確か書籍の文章だったと思う)でも「隧道=墓穴のことだからヤメロという話が出てトンネルになった」という流れだったし、昭和38年のというのが妙にしっくりくる。この頃を境に道路隧道を○○トンネルと命名し始めるような超漠然とした印象がある。
「隧」の文字が当用漢字に採用されなかったことが衰退理由の一つであることは確かだろう。当用漢字は国語の簡素化を目的にGHQの指導のもと昭和21年に制定された。昭和31年には当用漢字表にない文字を使った熟語を別の漢字で書き換える指針「同音の漢字による書きかえ」が国語審議会から出されている。「沈澱」を「沈殿」と書くとか何とか。使用できる漢字を制限するなんてことは立国以来の大変革であったから、その実施についてはさまざま議論が巻き起こったけれども、結局いつのまにかスタンダードになって今みたいになった。そんな当用漢字が浸透しつつある時代の投稿で、件の誌上論戦(てほどでもないか)が中学校先生によって始められているのも当世風か。
おまけ。明治15年10月15日付朝日新聞大阪版、伊勢本街道の田口の隧道開鑿を報じる記事では「隧道」と書いて「トン子ル」とルビが振られている。読売新聞明治11年(1878)11月20日読売新聞、和歌山県の熊野街道に3つのトンネルを穿つ計画が民間から持ち上がったという報では「墜道」に「ほらみち」。同新聞明治16年(1883)10月13日、鐘ヶ坂隧道の完成を報じる記事では隧道に「とんねる」である。この頃の他の記事をもっと見ておけばよかった。鉄道トンネルの工事の話が良く出てくるから。田辺朔郎が書いた隧道工学の教科書も、題はまんま「とんねる」であったが、大正11年刊なのでちょっと毛色が違うか。
個人的はコンピュータ等で隧のつくりのてっぺんが何故「八」なのか気になっています。歴史的経緯なんでしょうか...<br><br><br>まあコンピュータ的にはユニコードの異体字セレクタというものが出来て選択可能になったのでいいといえばいいのですが(よくないか)