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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1942-01-17 この日を編集

[陸幼日記]一月十七日 土曜日 晴

雪解けにて校庭は一層悪し。今日も池田教官殿休まれ鹿島教官殿の所謂線なしの話あり。午後は一時間自習あり、後河野軍曹殿の竹刀に付きての諸件の注意あり、後剣道具の検査ありたり。竹刀を予には二本まで竹を交〔代〕えたり。夕食後は運動班会あり。柔道場に於て実施さる。面白からざるも、後期に於ける第三運動班の団結はわずかにてもあり、結ばれたり。


1943-01-17 この日を編集

[陸幼日記]一月十七日 日 曇

今朝は日曜なる故特に五十分剣術あり。外出禁止なる故面白からずして、校内に留り、午前は勉強し午後は徹底的〔「徹」字朱訂正〕に怠る。今反省すれば誠に遺憾なり。自習時間は図画に全く之を用う。動〔稍〕風邪気味にて、鼻水多し。


2008-01-17 この日を編集

[独言] 風邪ダウンより復帰

溜った仕事を片付けてます。すまぬ>各位


2010-01-17 この日を編集

[廃道本] 1UP

1ページものにも地図がいるのだった・・・      

[廃道本] 1P了

地図作製って結構手間取る・・・って相番孵卵で良かったのかorz。写真手配は明日、とりあえず未入で提出しておく。

野又あげられるかな?

[独言] オーブントースター希望

誰か私にオーブントースターを恵んでください・・・点けばオンボロでも錆錆でも構いません。


2011-01-17 この日を編集

[] 三重県統計書

●明治10年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807408/18

※項目名「道路」

●明治11年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807409/10

1里31町6間6分

項目名「道路」

●明治12年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807410/12

項目名「道路」

扉書「明治12年3月調」

●明治13年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807411/14

項目名「道路」

●明治14年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807412/17

項目名「道路」

●明治15年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807413/123

15年調

表記変わる

項目名「街道の里程」

道幅最広最狭里程 
自七日市駅 至波瀬駅 1.51.02.20.58.57
自波瀬駅 至大阪府境 1.20.91.31.06.06

●明治16年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807414/134

項目名「街道の里程」

表記変わるが「15年調」

自七日市 至波瀬2.20.58.57
自波瀬 至大阪府境2.18.26.06(車の通ぜざる)

●明治17年

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807415/144

16年調

内容は明治16年に同じ

●明治19年

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807417/144

欄外空欄(扉書き「年次年度の欄なき者は即ち19年中の計数」)

国県道明示される

自波瀬 至舟戸(大阪府境)1.31.06.06

●明治20年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807418/132

明治19年調

●明治21年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807419/144

明治20年調

●明治22年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807420/117

明治20年調

●明治23年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807421/117

明治20年調

●明治24年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807422/131

明治20年調

●明治25年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807423/143

明治20年調

●明治26年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807424/158

明治26年12月末現在

和歌山街道土木費

26年度25年度24年度23年度
道路費2305337348425926
橋梁費8682955391
c.f.熊野街道
道路費3503490777907655
橋梁費1353978629902849
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807424/174

高見道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807424/161

「飯高郡波瀬村大字波瀬より同村大字舟戸にて大和国吉野郡高見村界に至る 1.31.06」

●明治27

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807425/184

明治27年12末現在

高見道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807425/184

里道注釈「2等=市町村費主担にして地方税を以て補助するもの」

●明治28年 欠

●明治29年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807427/114

明治29年12月末現在

高見道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807427/116

●明治30年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807428/135

明治30年12月末現在

和歌山波瀬県境 1.18.34

高見道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807428/137

●明治31年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807429/125

明治31年12月末現在

五ヶ所街道、吉野道ほか追加

一等道路 ○△

和歌山街道土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807429/139

31年度30年度29年度28年度27年度
道路費23373043183113681833
橋梁費624516502519513
c.f.熊野街道
道路費43315367454833274249
橋梁費281823663899705866

高見道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807429/127

●明治32年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807430/125

明治32年12月末

●明治33 欠

●明治34年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807432/170

明治34年12月31日現在

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807432/173 六軒鉄道停車場道ほか追加

●明治35

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807433/171

「飯南郡松阪より大石宮前七日市波瀬太良木を経て奈良県界まで 16.04.18 1.7 16分の1」

高見道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807433/174

「飯南郡波瀬村大字波瀬より同村大字船戸にて大和国高見村界に至る 1.31.06 1.0 1.00.05 20分1

●明治36

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807434/171

「仮定県道」

高見道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807434/174

●明治37年

和歌山街道 路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807435/211

「飯南郡松阪より大石宮前七日市波瀬太良木を経て奈良県界まで 16.04.18 1.7 16分の1」

明治35年12月31日調

土木費掲載

和歌山街道土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807435/236 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807435/236

36年度35年度33年度32年度
道路費15967691312321926615
橋梁費2871914193683648

高見道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807435/215

高見道土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807435/239

35年 計10円36年 計180円

●明治38年

和歌山街道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807436/140

明治35年12月31日末現在

和歌山街道 土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807436/154

37年度36年度35年度33年度
道路費21881596769131232192
橋梁費11802871914196683
合計33681883960533192871

高見道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807436/143

高見道土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807436/157

明治37年度郡市費町村費県税補助郡費補助寄付協議費
道路費-33602---635
橋梁費--522---522

●明治39年

和歌山街道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807437/139

明治35年12月31日現在

和歌山街道土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807437/154

明治38年度
道路費 3062橋梁費 2408

高見道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807437/141

高見道土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807437/157

明治38年度郡市費町村費県税補助郡費補助寄付協議費
道路費--422-10-52
橋梁費-------

●明治40年

和歌山街道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807439/148

「飯南郡松阪町大字松阪字日野町にて伊勢街道より分岐し波瀬村大字太良木(奈良県宇陀郡御杖村界)に至る 16.07.20.5 1.8 11.1」

和歌山街道土木費 明治39年度

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807439/161

道路費 7862 橋梁費 1794

高見道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807439/151

「飯南郡波瀬村大字波瀬にて和歌山街道より分岐し大字舟戸にて奈良県吉野郡高見村界に至る 1.31.06.4 1.0 20.1」

高見道土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807439/164

明治39年度郡市費町村費県税補助郡費補助寄付協議費
道路費-20----20
橋梁費-------

c.f.街道橋梁数

1-1010-3030-6060-100100-
和歌山街道1132---115
熊野街道25712122-283

(明治40年12月末現在)

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807439/154

●明治41年

和歌山街道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807441/168

明治40年12月末現在

和歌山街道 土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807441/178

明治40年度
道路費 4237橋梁費 2104

高見道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807441/170

高見道土木費 明治40年度

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807441/180

高見道 なし

●明治42年

和歌山街道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807443/174

明治40年12月末現在

明治41年度土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807443/185

道路費 11168 橋梁費 2190

高見道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807443/177

明治41年度土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807443/188

郡市費町村費県税補助郡費補助寄付協議費
道路費-13178---191
橋梁費-2383---108

●明治43年

和歌山街道路線

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807444/319

和歌山街道明治42年度土木費

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807444/330

道路費 3680 橋梁費 2770

c.f.熊野街道
明治42年度明治41年度明治40年度明治39年度明治38年度
道路費3980323012232851534498655637
橋梁費44618841453249980264544067630

高見道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807444/322

掲載省略

●明治44年

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/973835/25

「和歌山街道 飯南郡松阪町大字松阪字日野町にて伊勢街道より分岐し波瀬村大字舟戸(奈良県界)に至る 16.17.08.2 1.7 11.1」

大正元年末現在

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/973835/25

○明治43年度土木費

和歌山街道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/973835/30

道路費 3026 橋梁費 2633

熊野街道 50427 5121

高見道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/973835/25

郡市町村費支弁里道 掲載なし


2012-01-17 この日を編集

俺,この報告書が終わったら蓮根峠に行きたいなあ(希望フラグ)

ちっとも要約にならねえ.


2013-01-17 この日を編集

[独言][近遺調] 方々にTEL

問い合わせTELをする時、何というかこう、覚悟を決めてからかからないといけないので、ひとつ上手くいくと調子に乗って、一度に何ヵ所もかけてしまう。そうしてどんどん身動きできなくなっていくのだ。阿呆也。

あの方面へ行くのは経験済みだから、場所さえわかれば日帰りも可能・・・のはず!


2014-01-17 この日を編集

[独言][] 隧道がトンネルになるきっかけ?

謹慎もせず資料を取りに行く@府立図書館。そうして新聞記事を検索していて積年の疑問を晴らす記事を見つけた。隧道という言葉が使われなくなったきっかけかも知れない記事だ。

ものは読売新聞昭和38年1月6日の「気流」欄。よくある読者投稿欄である。

「隧道」は新しい呼び名に

▽伊豆地方をバスで旅行して気がついたことは「××隧道(すいどう)」と呼ばれる山をくり抜いて作った道路の多かったことです。「隧道」とは、もともと棺を埋めるために地上より斜めに墓穴に通じた道、すなわち墓道の意味であり、転じて地中を通ずる道、トンネルとなったもので、汽車の通るトンネルと区別するために「隧道」と名づけたと思われますが、交通事故の多い現在のこととて、私はそこを通るたびにいやなことを連想しました。
▽この漢字は当用漢字にはいっていません。他に適切なことばがないために使っているのだと思いますが、当用漢字制定の意義を生かすために私はこの際、新しい呼び名に改めたらと思います。なお、ガイドさんはこれを「ずいどう」と呼んでいましたし世間でもそう読む人が多いようですが、正しい読み方は「すいどう」です。(茨城県・中学校教員・K生 35)

読売新聞 昭和38年1月6日朝刊「気流」

何このnagajisみたような物言い。いかにも日本人的潔癖症的俺は正しいこと知ってるんだぜへヘン的な投稿で、自説とそんなに変わらないにも関わらず鼻白んでしまった。とはいえこの欄、本来そういう率直素朴な意見を交わすコーナーなのだから何の問題もない。上記投稿を読んで「上から目線」というワードが思い浮かんでしまったほうが卑しいのだ。

正しい対応はこう。記事が載った6日後に反論の意見が寄せられている。同月12日「潮流」欄より引用。

「隧道」は「トンネル」でよい

▽六日の本欄-「隧道」は新しい呼び名に-という意見に対して異議がある。私はしいて新しい呼び名を付ける必要はなく、今日では完全な日本語になりきっているトンネルでいいと思う。K氏は汽車の通るトンネルと区別して、人や自動車の通るのを「隧道」と呼んでいるように解釈していられるが「隧道」という文字がわが国で一般に使用されるようになったのは、明治以後鉄道が山地の地下を貫通するようになったころからのことで、トンネルと同義語にほかならない。「隧道」の本来の意味が隧道であるということは別に気にするほどのことはないと思うが、当用漢字にない文字を使うことはやめた方がよいと思う。トンネルの原語は英語のTunnelであるが、決して汽車だけの通る地下道の意味ではなく、坑道のようなもをも意味しているし一様にトンネルと呼んでさしつかえない。(栃木県・自由業・荒江啓郎 73)

読売新聞 昭和38年1月12日朝刊「気流」

要するに、隧道は昔からトンネルなのだからトンネルと言えばよい、ということ。至極穏当な意見である。

この読者投稿欄がきっかけとなって「トンネル」と呼ばれるようになった、かどうかはわからない。所詮一新聞の一読子の意見であるし、そもそも自分が覚えている記事はこんなんじゃなかったような気もする。「隧道」を「すいどう」と読むべしという下りは特に覚えがない(それは隧道詳説を書いていた頃に私が勝手に言い出したものだ)。

けれども、自分が記憶している記事(確か書籍の文章だったと思う)でも「隧道=墓穴のことだからヤメロという話が出てトンネルになった」という流れだったし、昭和38年のというのが妙にしっくりくる。この頃を境に道路隧道を○○トンネルと命名し始めるような超漠然とした印象がある。

「隧」の文字が当用漢字に採用されなかったことが衰退理由の一つであることは確かだろう。当用漢字は国語の簡素化を目的にGHQの指導のもと昭和21年に制定された。昭和31年には当用漢字表にない文字を使った熟語を別の漢字で書き換える指針「同音の漢字による書きかえ」が国語審議会から出されている。「沈澱」を「沈殿」と書くとか何とか。使用できる漢字を制限するなんてことは立国以来の大変革であったから、その実施についてはさまざま議論が巻き起こったけれども、結局いつのまにかスタンダードになって今みたいになった。そんな当用漢字が浸透しつつある時代の投稿で、件の誌上論戦(てほどでもないか)が中学校先生によって始められているのも当世風か。

おまけ。明治15年10月15日付朝日新聞大阪版、伊勢本街道の田口の隧道開鑿を報じる記事では「隧道」と書いて「トン子ル」とルビが振られている。読売新聞明治11年(1878)11月20日読売新聞、和歌山県の熊野街道に3つのトンネルを穿つ計画が民間から持ち上がったという報では「墜道」に「ほらみち」。同新聞明治16年(1883)10月13日、鐘ヶ坂隧道の完成を報じる記事では隧道に「とんねる」である。この頃の他の記事をもっと見ておけばよかった。鉄道トンネルの工事の話が良く出てくるから。田辺朔郎が書いた隧道工学の教科書も、題はまんま「とんねる」であったが、大正11年刊なのでちょっと毛色が違うか。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 随道が正しいです by 国土交通省 [個人的はコンピュータ等で隧のつくりのてっぺんが何故「八」なのか気になっています。歴史的経緯なんでしょうか... まあコンピュータ的にはユニコードの異体字セレクタというものが出来て選択可能になっ..]


2015-01-17 この日を編集

[煉瓦刻印] 川崎炉材株式会社耐火煉瓦「KAWARO」

川崎炉材株式会社耐火煉瓦「KAWARO」煉瓦刻印

この辺りでKAWAROというと川崎炉材株式会社しかない。戦前の工場通覧には出てこないが、昭和22年版に児島(昭和13創業)、日生(昭和10)、三石(昭和13)、三石東(大正11)の4工場が現れる。最後の三石東工場はおそらく三石窯業を継承したもの。川炉のオシリは調べられていない。

川崎炉材はたぶん川崎製鉄と関係がある。印南の和田煉瓦もこの頃川崎重工業株式会社製鋼工場炉材工場になっていた。

[煉瓦刻印] 三石耐火煉瓦株式會社耐火煉瓦

三石耐火煉瓦株式會社耐火煉瓦刻印これがたぶん一番古いやつ。三石の老舗工場・三石耐火煉瓦株式会社のもの。「チ」の添印がある。ディンプルのあるこのタイプは灘の酒蔵跡や神奈川県旧加藤邸でも見つかっている。後者は昭和10年以降とあるが、はて、そんなに新しいかな。新しいかも。市街のあちこちにこのタイプが転がってからな。

三石耐火煉瓦株式會社耐火煉瓦刻印これはKAWAROの近くにあったもの。上半分が欠けていてディンプルがない。左側の刻印は「ニドヤキ」かも知れない。三石耐火煉瓦のニドヤキは縦書き時代からあった(汐留遺跡出土)。

三石耐火煉瓦株式會社耐火煉瓦刻印@京都

京都の某所に転がっていたのも縦書の「三石耐火煉瓦株式會社」だったがディンプルなしタイプ。というか判断困難なほどに風化している。

[煉瓦刻印] MTK耐火煉瓦

MTK耐火煉瓦刻印

三石神社の境内にぽつんと転がっていた。Mitsuishi−Taikarenga−Kabusikigaishaか。断定しにくいなと思っていたが三石窯業か三石耐火煉瓦かホシレンガ系かだから案外絞り込めるのかも知れぬ。上の38−10という番号が謎。

[煉瓦刻印] H.S.FIREBRICK(H.S.耐火煉瓦株式会社)耐火煉瓦

H.S.FIREBRICK耐火煉瓦刻印2日の玉造逍遥でこれを見つけていたのを思い出した。ホシレンガの起源であるH.S.耐火煉瓦(大正5)のもの。H.S.FIREBRICKは櫻井鹿蔵により商標取得済み。

H.S.耐火煉瓦製造所は昭和5年に社名を変更し、戦後にホシレンガになった。そのホシレンガも三石耐火煉瓦に吸収されて今日に至る。元ホシレンガ東工場。が三石窯業か。わけわかぞうや。

H.S.FIREBRICKは★〜★★★まであった。のちに星四こまで拡張。しかし星の数が多いほどよいのか、少ないほどよいのかわからない。ま、普通に考えたら★多いほうがグレード高そうだな。これは星一個。

[奇妙なポテンシャル] 豆腐屋のラッパ=あーげー説

服務後帰宅途中にラッパを吹きながら巡航している移動豆腐屋に遭遇した。そういえば寮生活中にもこの音を聞いたなと思って懐かしく思ったのだが、それはさておき、道端で雑談していたおっちゃん二人がそのラッパ音をもとに議論を始めた。一方は「とーふー」と表現しているとする従来説をとり、もう一人が「あーげー」ではないかと宣う。後者の発想はなかったのでちょっと瞠目した。音階もあがるし揚げも揚がるしでいいと思う。

ということは「どんどんどん、ぱふぱふ」のぱふぱふも「あげあげ」であり得るな。あの囃しはテンションをアゲアゲしたい時に無理やり挿入されることが多いからその点においても揚げ説は理に適っているぞ。おれはおっちゃん2のあげ説を支持するぞ。そんなことを考えながら議論の場を後にした。

今思えば「まめ」でもよかった。豆腐もお揚げさんも豆製品だからな。それ以外にも豆乳とかおからとかも売ることができるし、なんなら小豆とかひよこ豆とか売っても構わない。世間がどう言おうが私が支持する。

関西限定であれば箸でもよい。移動箸屋というのはなかなか斬新で良い商売じゃないか。思わぬところで重宝がられるに違いない。

奥様A「まあ、お箸折れちゃったわ。なんて不吉なこと」

移動箸屋「ぱ〜ふ〜」

奥様A「ちょうどいい所へ移動箸屋がきたわ。箸屋さぁーん」

↑どうでもよいことを描写するつまらなさを表現してみた。

コゲをカリカリして箸を折ってしまい「あ〜〜あ〜〜あ〜〜折〜れ〜た〜」と叫んだE氏などはその瞬間に箸屋が通りかかっていればあんなにも語り草にならなくて済んだだろう。惜しまれてならない。

「ラッパ音」と「ラップ音」は似ている。真夜中に家のあちこちから笑点のオープニングテーマの最後のような「パフ♪」が聞こえる。想像するだけで怖い。


2019-01-17 この日を編集

[煉瓦工場] 青森県

統計書を掘りくり返したら結構な期間工場が掲載されているのを発見。工場全体は最初期から、煉瓦工場は増子煉瓦工場が明治32年から現れる。んで大正13年版まで掲載が続く。この丁寧さは福島県統計書以上かも知れぬ。お陰でまたまる一晩潰れた。

従業員数は常に5人~10人。基本的に雇用は少なく日雇で半分以上を賄っている工場が多い。また15才以下の子どもの就業も目につく。そういう厳しい経営ながら少なくともM30からT13まで続いていたのは偉いと思った。煉瓦専業ではなく瓦や土管との兼業だったからだろうか。なんしか東日本の工場は瓦・土管兼業が多い。西の方は煉瓦専業らしい工場が多い。でも多分記録に出て来ないだけでどの工場も基本的には瓦や土管との兼業だったんじゃないだろうか。

[煉瓦工場] 岩手県

えー、岩手県もあるの…この調子じゃ山形にもありそうだな。一回調べたはずだけど。

岩手県もM20台から掲載がある。煉瓦工場が出てくるのは日露戦争後。製糸場がめっさ増えるのと、和賀郡あたりに製鉄所ができて耐火煉瓦も作られ始め。上閉伊郡の生産高が初期から多いけれども実際に工場名が出てくるのはかなり後だ(釜石製鉄所での製造)。おそらく最初期から製造はやっていて、それを工場として申請するのが遅かったか、外部にも販売するようになって変わってきたんではないか。

岩手県の統計書は同じフォーマットで長くやってくれているので追いやすい。製造戸数・生産数も通年あるが戸数については煉瓦・瓦・土管がいっしょくたになっているので厳密には分けられない模様(そもそも工場の形態がそうだったんだろう。煉瓦も作るし瓦も作るし。これは盛岡の木村瓦工場→木村窯業(有)が適例。ただそこに純粋な瓦生産者も入っているはずで、それを切り分けることはできない。しなくてもいいのかも知らんが)。

煉瓦製造が統計に載る頃には年間20,000本とかいった数だが日露戦争後は一郡で数十万単位になる。大正前半には40〜30戸で推移している。どの府県にもそれくらいの煉瓦工場はあったんだと思う。


2020-01-17 この日を編集

[大日本窯業協会雑誌] 岡山県下煉瓦製造所の概況(第9巻第100号)(明治33年)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/9/100/9_100_130/_pdf/-char/ja

うーん。耐火煉瓦なのか建築用煉瓦なのか、話がごっちゃになっている気がする。天瀬稲垣耐火製造所?

[大日本窯業協会雑誌] 土管煉瓦及瓦商況(第9巻第101号)(明治33年)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/9/101/9_101_166/_pdf/-char/ja

京浜煉瓦製造の組合たる『煉瓦業組合』が標準価格を改正。関東では組合が機能していたのだな。

[大日本窯業協会雑誌] 堺の煉瓦業(第9巻第105号)(明治33年

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/9/105/9_105_312/_pdf/-char/ja

大阪毎日の記事から。堺に3箇所、堺煉瓦、日本煉瓦の2つしか名前が出てこないのは何故だ。あと1つは大阪窯業のはずなんだけどさ。

[大日本窯業協会雑誌][煉瓦] 煉瓦の風化物

田村典瑞「煉瓦ノ風化物附バナヂユムニ就テ」正続。明治27年のこの報文では小菅集治監製煉瓦に発生するものを分析して多量のバナジウムを検出している。他の建物の風化物(産地いろいろ)は炭酸曹達主体でバナジウムは痕跡。バナジウムの定量が困難というのもあるらしいが。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/2/23/2_23_291/_pdf/-char/ja

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/2/24/2_24_323/_pdf/-char/ja

そもそも風化物といったときにいろいろな種類があるようだ。例の白色のものだけでなく、黄色とか青とか緑とかもあったらしい。そういう色付きのはバナジウム塩が関係しているのかも知れぬ。

大正7年の長屋修吉「煉瓦の風化物に就て」では白色のものを分析して硫酸曹達→炭酸曹達→硫酸曹達→炭酸石灰の順に出てくると言っている。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/26/306/26_306_157/_pdf/-char/ja

[大日本窯業協会雑誌] 堺市煉瓦の盛衰(第10巻第112号)(明治34年)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/10/112/10_112_151/_pdf/-char/ja

堺周報のアレ。

[独言] 深川・碍子・香蘭社

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/10/115/10_115_270/_pdf/-char/ja

以前Mさんに教えていただいた、国産碍子第一号を製造した香蘭社。明治34年に(たぶんカッセル窯に似た構造の)改良窯を築造して生産を向上。この記事にはその窯の構造が妙に詳しく書かれてある。新聞記事の引用のはずだけど。

[大日本窯業協会雑誌] 東京煉瓦商況

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/10/117/10_117_368/_pdf/-char/ja

そうか。高さ三尺しか積み上げられないのだとしたらそれこそすごい広さがいる。東京の煉瓦製造業者は川運に依存していてその運賃のことなどあり。需要はあるけれど価格が見合わない。