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2016-09-15 [長年日記]

[ORJ] いちよう発行を終えたことになっている@22:00

503祭の裏でデータだけアップしておいた。はて大丈夫か。.htaccess二箇所はチェックしたしライブラリも書き換えた保存した。ヘッドラインだっとも21:50のタイムスタンプであげておいた。あとでもう一度確認すべし。

一陽と想夫恋、どっちかといえば一陽のほうが好きだったように記憶するがどうして好きだったかおよび味は覚えていない。想夫恋の麺はやけにパリッパリでそれが本来の焼きそばなんだろうけれども子供の自分には食いにくいだけだった。口の裏に刺さる刺さる。そのへんは一応覚えている。一様におしなべて昔の記憶である。

24:00確認したがトップ画像を読み込むところで503になってもた。ちゃんと貼れてるんかな。

[独言] どうしろと

検索で引っかかったから買ったら違うセットだった、って、そこまで責任追わなあかんもん南海。あんだけ状態コメントに書いてるのによく見ないで買えるもんだ。福井晴敏+人類資金で検索したら終戦のローレライが出てきたんで買ったら終戦のローレライだったって言ってるようなもんじゃんか。とかくこの世は住みにくい。

それよか亡国のイージスのタイトル化け、いい加減直してほしい。確たる影響はないが見るたびにモヤモヤする。

[煉瓦] 耐火煉瓦

別冊付録を作っていてこの際手持ちの耐火煉瓦写真をかたしてしまおうと思い立ち恐らく全部を突っ込んだ。ホシレンガのH.S.FIREBRICK★一個とか金屋淵のBYKとか。どれも中途半端ではあるが。

コメント書いている時に気づいたのだが現行のJIS(粘土質耐火れんが JIS R 2304)ではSK番号の記載が認められてないのだな。そうじゃなくてN1とかN2とかの略号もしくは製品名、製造者名およびその略号が記載可能。1952年に制定されたときにはSKの記載が認められたか必須だったかしてたんじゃないか。でないとSK表記の耐火煉瓦があんなにあるわけがない。もしくは現行の三石耐火の製品のように製品番号=SKグレードみたいな感じか。これだってSK廃止の後を受けての窮余策に見ゆるんだが。

お恥ずかしいことに耐火れんがと耐火断熱れんがが異なるものだとか粘土質/高アルミナ質/マグネシア/クロムで違う規格が作られていることだとかを初めて知った。そのへんの規格の変遷をきちんと整理すれば耐火煉瓦の刻印から一層多くの情報を読み取れるようになるかも知れない。しかし古いJISハンドブックを所蔵している図書館がなく旧JIS規格票は国会図書館関西館まで行かないといけない。コピー取り寄せでもいいんかも知らんが著作権云々で全コピー出来ないらしいし。

画像の説明そもそも耐火煉瓦まで逸れていいんだろうかという逡巡もある。普通煉瓦と違って耐火煉瓦は工業製品として全国各地に流通した気配があり(ライオンの歯磨粉が鹿児島でも北海道でも売ってるようなもので)なおかつ廃棄品はガーデニングや舗装用によくリサイクルされているため1次の移動(製造工場→使用工場)や2次移動(工場→解体で近傍に転石)だけでなく3次の移動(解体後リサイクル材として他所に転用)が結構頻繁に起こっているように思われる。事実伊保の友田神経内科の建物には愛知産と岡山産と九州産が混じって使われている(集成には入れなかったが九州耐火煉瓦KTRも使われている)。さらに言えば耐火物工場は各地に分工場があった。同じ黒崎窯業でも産出場所が異なるかも知れない。こうなってくると煉瓦刻印の分布とか建造物の年代推定に使いたいとかいう発願は成就できない。調べてもあんま意味が無い。

ただ、ようわからんことがようわからんまま放置されている状態を整理したいとは思う。単に耐火煉瓦だとわかるだけより、三石耐火の耐火断熱れんが横せり1型やとかわかったほうが面白い。SKグレード表記はいつ頃からいつ頃まで、みたいなことがわかったら面白い。面白いと思うことをやりたい。

なのでいずれ関西館に足を運んでみようと思う。それと豆腐町遺跡2。兵庫県立図書館にしかないかと思ってたけど関西館にも所蔵あるんだな。しかしあそこはとてつもなく不便なところにあるんだよなあ。車以外でどうやって行けと仰るか。岡町駅から検索したら関空行ってリムジンバスで向かえと出た(笑)。なんぼかかんねんっちゅう話や。

耐火煉瓦の製造史については大日本窯業会による窯業史のなかで章立てて取り上げられているし、近年でも「耐火煉瓦の歴史」という好著があって新刊入手可だ。素人が無理してまとめる必要はない。ただ刻印から何をどう読み取ることができるのか教えてくれる文献はなさげ。その時々の専門家がその当時の読み方を知っていて、生産家もその需要と要求に答えられればそれで良かったのだから、誰も必要としていなかったものであって、存在しないのは当然だ。

[独言][文芸] 中傷の名月

薄曇りの隙間から拝むことができた。多少雲があったほうが風流に思う。もうちょっとで全部見えそうだ、あ、また翳った、ていう感じでいつまでも眺めていたくなる。

しかしこの状況(地球上の観測者ー雲ー月の位置関係)をスケールダウンして例えると

目ヤニで曇ってディスプレイが見えにくい

ていう感じなんだろう、と気づいてしまって一瞬で興ざめした。この印象を文芸してみたかったのだが断念した。

ハロさえも説明できてしまう科学の無粋

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