nagajisの日不定記。
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切羽詰まってもいないのに図書館へゆく。思っていた以上に混んでいた>毎索@中之島。そしてガン見していると1ヶ月/hも進まないことを知る。
堺煉化石が思っていた以上に活発な動きをしていたものだから、共立煉瓦を経てという話が間違いで、堺煉化石→堺煉瓦(株)と直結するのかも知れないと思っていたりしたのだが、わずが数行のこの記事により否定された。やはり共立煉瓦を源としていた。
●堺煉瓦株式会社 堺市戎島附洲新田に設立しある共立煉瓦会社の資産を購入し其名称を改めて大阪西区新町南通五丁目百八十九番屋敷高木嘉兵衛氏より発起人総代として昨日出願せり且つ此は既設の会社にして已に事業に着手しあれば至急認可ありたき旨を申添えたり会社資本金は十万円大阪毎日新聞明治26年6月17日第2面)
というわけで共立の創業時期(明治22年7月)の記事をガン見していったが結局見つけられなかった。そのかわりに22年7月始めの頃の煉瓦業態をゲッツ。ここでは堺煉化石が存在している。
●堺市に於ける煉化石 府下堺市にては近来煉化石の製造所は追々増加し最早や本年に至りては都合九ヶ所に及び紙が同市に於ける昨二十一年中煉化石の製造販売高は凡そ二千万個にて千枚に付き代価金五円の平均とし総代価十万円に超え又其販路先きは大抵大阪、神戸の鉄道、紡績等諸会社の新築に用いし者なりとぞ尤も本年は春来雨天打続き為めに充分の製造の出来ざりし際九州鉄道讃岐鉄道の両会社より多くの注文ありしにより毎年梅雨中は休業するの例なるに昨今職工を増加し専ら製造に従事なし居れり又同業組合は堺煉化石会社、佐藤煉化製造所、附洲商社、花岡組、丹次製造所、原口製造所の六ヶ所にて此の他に旭会社、若井製造所、青山商会の三ヶ所都合九ヶ所にて之れに使用し居る職工請負人は目下百四十人、下職工人五百六十人ありて其製造の盛んなるは毎年六、七、八、九、十の五ヶ月にて此の間は他の月より職工五倍を増すと云えり且つ又原口製造所は去る五月上旬より耐火煉化石を製造し六月中に神戸小野浜海軍造船所の試験を得て今度二万個を大阪電灯会社へ売り渡せし処至極の好評を得たるにより明年開かるる第三回内国勧業博覧会へ出品せんと目下手筈中のよし(大阪毎日新聞M22.7.3朝刊2面)
ということは明治23年以降26年5月までの間に共立煉瓦が存在していなければならないことになるだが、確かにまあ府統計書には載っておるのだ。・・・あれ、8月ちゅう記録もあんのな・・・。7月ガン見+8月公告流し読みで見つからなかったということは8月の本文なのか。
ともかく年単位で見ると堺煉化石の消滅→共立煉瓦成立→堺煉瓦成立に重複はないのだった。ただ工場場所がちがう。堺煉化石は南附洲新田、共立は戎島附洲新田=住吉橋通なのである。この地名周りの不分明もクリアにしておきたいなあ。