nagajisの日不定記。
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調子に乗るからだ……。
斑入りの煉瓦とそうでない均質な煉瓦が存在する。前者は捏ねが足りなかったもの、後者はよく練ったものあるいは土質によるものと想像していて、それは工場によって違うんじゃないか、即ち斑入りか否かが生産地特定に使えるのではないかと考えていたりしたのだが、平岡窯跡ではどちらの煉瓦も存在した。上記のようなことは単純には言い切れないらしい。
構造物に使われているものについても同様。区別できるのだったらいろいろとヒントになりそうなんだけどなあ……。
もっとも平岡窯はM25-T8頃までやっていたみたいなので同じ工場の製品でも優劣があるだろう。製法の改善があったであろう。そこで見つかった煉瓦に差異があるのは当然かも知らぬ。
間違えて入り込んだ赤田川橋梁。現関西本線の隣にもう一つ橋台が隣接している。これも大仏線の遺構なんじゃねえかと思うんだけど、あんだけ詳細ば解説看板には記載されておらぬ。違うのか。境目をちゃんと確認しておくべきだった。
大仏線の解説看板は橋梁と隧道が混用されている。鉄道にとっての架道橋を道路の視点で隧道と呼んでるものが混じっている。それに加えて黒髪山隧道も黒髪山隧道跡と紹介されているからなおさら混乱を招く。M先生だったら激おこ案件。重箱の隅といえばそうかも知れないがあそこまで持ちあげるんだったらどっちかに統一してほしい気はする。
鉄道橋梁で石梁桁って実は非常に稀なのだけれども誰も気にしていないらしい。「日本の近代土木遺産」初版のリストには新潟の西越第二橋梁と三重の小田カルバートの2件しかなく、どちらも大正期のもの(それはそれでレアかも知らんな)。
もっとも、近代化遺産調査や土木遺産調査の時にそれが珍しいと知ってて拾った調査員はいないだろうから、単に忘れられているだけという可能性も大。櫟本駅下の通路だって石梁天井だったしな。赤橋の梁だって最初からこうだったとゆう保証はない。他の橋梁跡には梁が残っていない(桁の高さは赤橋のと同じだったようだが)。