nagajisの日不定記。
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[独言]タグは独り言とか見栄を切ったくせに該投稿にはついてねーじゃねーか。ばーかばーか>nagajis
取り掛かっている。原稿はすでに8割方できてるんだから楽勝楽勝……などと余裕をぶっこいていたら案の定遅々として進まない。十数回にわたって撮影した写真の山から該当場面を探し出すのに時間がかかる。残り2割の書き足しに手間を取られる。できあがっているはずの8割に手を加えたくなる(なんか根本的なところを間違ってるし)。相変わらずの体たらくである。これに関連リンクとかつけはじめたらそれだけで一晩潰れそうな塩梅だ。
6月末締め切りの原稿2本を上げたところで半分燃え尽きた模様である。音水を断念した残念を叩き込んだしな。そして上述の通り原稿の粗筋はできていたという気安さもある。しかし案の定たることが案の定判明して案の定の焦り中。あと落合川橋梁も書かなあかんのよ君。
だいたいさぁ、調査のキモだった大879−2を間違えるなんて、どーよ。他人事みたようなじゃないか。え。これからはKINIAS投稿を最終版として重要なデータはそっからとってくるように>nagajis。
ようやく感覚として理解されるようになった気がする。日本史世界史を暗記するように、あるいは数学の定理のように、「そういうものとして理解する」んではなくて、省悟として。&、取って返さないと死人禅だということも。だってそれこそ無法地帯だものな、自分も他人も同一物なら手当り次第にぬっ殺しても金品を奪ってもお咎めなしってことになる。そうじゃない。同じだからこそ大切にせよってゆう話。だし勝手に帰ってくるもののはず。
多少見え方は変わるけれどもモノは以前通りのモノであり続けているはずで。あ。仏陀はモノまで言及してねえか。でもまあ人に優しくする理由にはなるだろうなあ、それが自分自身でもあるのなら大事にしなきゃあ。いや違うか、「自分自身」というものもないのだなあ。巨大な一つの集合知みたいなもんか。
あれ、自己嫌悪ってどこに落ち着くんだろう? 自分が嫌いだったらこの感覚は生まれない。齢をとって自己嫌悪に飽きちゃったということかしらんねぇ。
https://archive.org/stream/steelrailstheir02sellgoog#page/n28/mode/2up/search/A.S.C.E+rail+standard
1893年8月2日に提出された。明治26年。じゃあ日本がM30に採用したっていうのは何なんだ。
上記資料は結構おもしろい。ASCEの重レールが製造業者に受け入れられなかったのはベースのエッジが薄すぎて作るのが難しかったためだという。んでARAがARAためて1907年10月に提出した規格の重レールができる。ARA-AとARA-Bの2シェイプ。これもいろいろ問題があったっぽくて、これとは別にPennsylvania Railroad systemのjoint comitte(東西ピッツバーグの機械・土木技術者の集まり)が85ポンドと100ポンドを再設計している。1907年9月のこと。してそれも多少修正が加えられて現在?に至る。そんな感じのことが事細かく書かれてある。