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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-07-05 この日を編集

[陸幼日記]七月五日 土曜日 雨

一日雨なり。期末考査は歴史は失敗したれども国語はよかりき。


1942-07-05 この日を編集

[陸幼日記]七月五日 日曜日 晴

つゆも晴れ爽やかなる気候となりぬ。三年生は終日射撃にて不在。予は午後三時間を除きすべて学習に意を用いたり。今日の軍歌演習は一・二年のみなりしが平常より大なる声の如く覚えたり。      夕に雨
予次第に内務不確実になりつゝあり。


1943-07-05 この日を編集

[陸幼日記]七月五日 月 雲雨

雨未だ霽れず。午睡は全く眠ることを得ず。柔道は愉快、作業にては携帯測遠器の使用をなす。学科にせよ何にせよその物が実際に利用し得ると思うとやり甲斐ありて面白きなり。二十一教室の図書を集会所へ運搬整理したり。盛に上官殿よりだらけつゝありと注意を受く、予緊張を続けつゝありと思えどもそれが細部へ行くべく努めん。良好なり。


2007-07-05 やばいぜ! この日を編集

Macが立ち上がらないぜ!

[独言] Macさんが天に召されたようです

システムをいれている方のHDDが逝ってしまったようだ。起動はするがHAPPY MACのアイコンが出た所で止まってしまう。システム領域かパーティション情報かの所にバッドセクタができた感じ。たぶんHDD入れ換えだろうな。。。(かなり喧しかったのは前兆だったのか???)

間違い無く飛んだもの
探索の栞の版下。バックナンバー#2用に修正していたpdfと版下(細かいページだけだが全ページの半分以上か)。取り掛かりつつあった江浪峠の版下。その他14号以降にMacに置いていたファイル。
ひょっとしたらヤバイもの
ORJ16号の版下。バックアップしたっけか・・・終了直後にメディアへバックアップするようにはしていたが。
大丈夫なもの
写真(別ディスクに入れていたので恐らく無事)。今号の原稿類(別マシンorサーバ上なので)。

15号の製作時にMacを入れ換えて、その時のHDDが残っているから、アプリケーションその他の復旧はすぐ済むだろう。しかし新ゴが・・・またモリサワにおくらなあかんのかorz 明日ノートン氏を試してみて、その状況によっては日曜日(の晩)がつぶれるな・・・

あ、TUKAさんのwebページも?!やべーっち。

[企画] OFF会報告用

写真のアップローダー(一覧)が使いにくかったのでもっとみっしりサムネール表示するページを作成する。ついでにExif情報を収集して時系列で並べ変え。デジカメの日付が合ってなかったら逆にややこしくなるよなーと思っていたら当の本人のデジカメが1時間近くズレていたorz。場当たり的な処理を施す。で、まあまあ使い物になるものに。

しかしこれ、全員のデジカメの時間を正しく補正すれば(各自で補正時間を入力してもらって/ユーザー登録してもらって基本情報として入れておく)、なかなか面白いものになりそう。OFF会専用アップローダとしてORJからリリース? ま、それは当分先になるだろうけど。

この修正とMacの所為で今日は何も書けず。そのかわりTenkeiさんが沢山写真をupして下さっている。レオの兄貴さんも。

[独言]

HDDだけ先に買っておくか。そのため懐古はなし。寝ます。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ MIMIZUK [ノートン先生の前に DiskWarrior を試すことをオススメします.当方はコイツで何度も救われています.ノートン先生は往々にして傷口を広げることもありますので最終手段で.]

_ nagajis [Yes。ノートン氏はあまり役立ちませぬ。。。何度も泣きを見ました。が、今手元にあるのはこれしかなく。 そもそもSystemのHDDのパーティション情報が(物理的に)ぶっ飛んだらしくて、何を以ってし..]


2011-07-05 この日を編集

まちぼうけ まちぼうけ
ある日せっせと電話かけ
そこへ鼻毛が飛んで出て
ポロリ じゃじゃ丸 ピッコロり

特に意味はない。

晩飯に食パンを食おうと思いスーパーへ行ったら一斤も残っていなかった。

大阪市土木が発行していた「土木部報」が読みたい。市の公文書館にも市立図書館にもない。それどころかNDLにもない。Googleで検索するとここしかヒットしない。あれは幻だったのか。2号もあったんだからそんなはずないんだが。

というか戦後の安治トン補修記録も公文書館にあることを知ってしまった。毒を喰らわばプエブロ、といいたいところだが2倍量あるので躊躇っている。

そろそろ慌てないと知らないぞー!


2013-07-05 この日を編集

[独言] 川内村の方から

川内村の方から村内の林鉄遺構を活用して何かできないだろうかというご相談を受けている.まだアイデアの卵という段階であるようだし,今後それが雛に孵るかどうかもわからないのだが,お手伝いできることがあってもなくてもご協力いたしたく思っている.

その返事をしなきゃいけないのだが.編集部にメールを回すのが遅れて,ちと滞っている.正式なご返事はもうちょっと待ってくださいませ.

個人的には一番近いTUKAさんに窓口になってもらってはどうかと思っている.自分がノコノコ出かけていくわけにもいかないだろうし(お金ないし).ORJとしてじゃないほうが自由度高くなるんじゃないかな.

えっと,北海道のフットパスとしての活用事例・・・丸瀬布だったっけ? 魚梁瀬についてはなんといってもI先生が適任.

[煉瓦] 旧大阪府庁発掘調査報告書

が出ていることを発見.拝見すると「阪府授産所」以外にも興味深い刻印がいくつも見つかっているらしかった.さすがは本式の調査報告書,微に入り細に入った記述で圧倒させられ勉強になった.今なら1部1000えんで購入できるそうだよ.

しかし・・・煉瓦の表裏ってまだコンセンサス取れてないのね.報告書では凹みがあるほうを上面(β面),平滑なほうを下面(α面)としている.表裏の違いは諸井恒平の煉瓦要説でちゃんと説明されてるんだけどなあ.やっぱり凹み筋が気になってはるんかなあ.

[煉瓦工場] 和田煉瓦工場(印南郡伊保村中筋893)

中筋の南の方にある旧市街地をうろうろしていて「ワ」の刻印煉瓦を発見し,これが和田煉瓦に違いないとFさんと喜んでいたら,その煉瓦があった家の方がちょうど帰ってこられて「何しよんか?」的に怪しまれた.すぐさまRDF(Reality Destortion Field・現実歪曲空間)を発生させ、煉瓦工場の話を切り出す.「この『ワ』っていうの,和田煉瓦っていう煉瓦工場のコトじゃないかと思いまして…….いま煉瓦工場の歴史を調べてるんですよ,ご存知ではないですか」とか何とか.

RDFに引きずり込まれた可哀想なお父さんは親切にもいろいろなことを教えて下さった.この北にあるマンションが立ち並んでいる一帯が工場だったこと.昔は採土のトロッコがあって,戦後にそこでトロ押しもしたことがあること.そういう話,とてもありがたいです! といってますますRDFに取り込もうとするnagajjis。

家の前にある煉瓦壁に案内していただいたりもしつつ(ここにも「ワ」刻印があった.先日UPした釘で形作ったやつだ.それが左右逆になったタイプもあった),しばし話し込んだ.和田煉瓦は個人工場であったという話,阿弥陀にも大きな工場があって,そこが土を使ったせいで阿弥陀一帯が低くなったという話(昔は阿弥陀のほうが一段高くなっていたそうだ.今じゃJR線の両側は等しい高さになっている。まるで平一面の水田地帯に築堤を築いて通したかのよう)。こういう話をして下さる方に出会いたくて歩き回っているようなものなのだが、会えるかどうかは運次第である。

画像の説明

満を持してそのマンションへ行ってみた.日成マンションといって,古刹・時光寺の東隣に3棟並んでいる.やつだそうだと言われなければ立ち寄る機会もないような住団地である

画像の説明

しかし,一歩敷地に入ればあちこちに煉瓦工場の香残り香漂っている.古煉瓦が大量に再利用されていて,大正煉瓦阿弥陀工場の跡地がマンションになり古煉瓦が使われていた のと全く同じ状況だ。そうして当時の構造物と思われるものまで残っていた.敷地の南端に再構築ではない煉瓦壁が残っている.

画像の説明マンション前の舗道も古煉瓦.ここに見える煉瓦のすべてに…大正煉瓦の刻印が入っている.壮観だ.

しかし待てよ.ここ,和田煉瓦だったよね?

不思議なことに,マンション敷地の古煉瓦には和田煉瓦の刻印は見られなかった.さっきの壁も無刻印だった.やはり工場の建物には自社煉瓦を使うことがなかったのだろう.和田煉瓦は昭和2年7月創業,大正煉瓦は大正6年なので,大正煉瓦から買ってきた煉瓦で工場を作り,「ワ」刻印の煉瓦を焼いたという流れは矛盾しない.

敷地内になかったかわり,アパートに隣接する空き地に「ワ」刻印のある焼損煉瓦が転がっていた.若干恣意的かもしれないが,これが和田煉瓦工場であることの証拠といってよいのではないだろーか.またこの場所には三本線刻印の煉瓦もあった。以前見たものとはサイズが異なるが、細い線3本の配置の感覚はまるで変わらない。

画像の説明おまけ.中筋の旧市街のなかに小さなお社があり,その玉垣に「原田煉瓦工場」の名前があることをFさんが発見した.原田煉瓦工場は阿弥陀村魚橋にあった工場で,T6創業,S4頃まで操業し,のちに弘栄煉瓦になった会社だ.玉垣には昭和2年建之とあり,『工場通覧』からわかる存続期間にちゃんと収まっている.ちょっとばかし面白かった.しかし工場はここから1kmも離れた場所だ.どういう経緯でこの玉垣を寄進したんだろ?

[煉瓦刻印] 大正煉瓦株式会社刻印

大正煉瓦刻印

和田煉瓦工場跡マンションの敷石.シンプルに「大」.この「大」にはいくつかバリエーションがあって,やや意匠化したものや幅3cmくらいの太楷書体などがある.阿弥陀ではテトリスブロックのような「T」という刻印も見かけた(幅約1.5cm)が撮り損ねた…….これはTaishou RengaのTだと思うんだが。

[煉瓦刻印] K5刻印

K5煉瓦刻印

中筋の旧市街で.路傍の花壇?家境界?に使われていた.「K3」というのはKousenさんが天下茶屋で見つけておられる.自分も十三の西のほうで「K9」を見たことがあった.そんなわけで,大阪にあった頭文字Kの煉瓦会社が使ってた刻印だとばかり思っていたのだが…….印南郡のあちこちで「Kn」シリーズの刻印を目撃したのだった.他にもK4,K6,K7があったはず.n=1,2,8が見つかればコンプリートだ.

候補としては弘栄煉瓦(Koei Renga)が挙げられるが確証がない.弘栄煉瓦は戦後に少し隆拡して西神吉村岸に分工場を設けたりしているから,識別符牒を1から9まで使うほどには大きかっただろうとは思う.社章は「ABC」だったはずなんだけどね.それから重要なこととして,この煉瓦の隣に「ワ」刻印煉瓦が並んでいたのは見逃せない.和田煉瓦があった頃に「Kn」を使っていた会社があったということだ.

[煉瓦工場] 阪府授産所→藤田伝三郎工場@難波新地六番町

画像の説明

古い地図と自分の理解が間違っていなければ,いまなんばパークスになっている一角が阪府授産所があった場所で,後に藤田伝三郎に払い下げられ,明治12年頃?まで煉瓦を焼いていたところだ.道路の手前,高架になっている場所が高津入堀川と難波新川の合流点.都計時代に浪華橋 (突桁式鋼鈑桁・いわゆる堀式桁橋)が架けられた場所でもある.

明治10年台の終わりに阪堺鉄道ができ湊町駅になった.今じゃ繁華街のまっただ中で「湊」のイメージは全くないが,かつては河川交通の要衝であり「湊」を名乗る蓋然性が確かにあった.

[煉瓦][煉瓦工場] クエスト遂行のためのメモ

「どんな刻印使ってましたか?」と聞いてもわかんないだろうと思う。「ここで焼いた煉瓦、どっかに残ってないもんですかねぇ」みたいな話をきっかけに煉瓦を探し、そこに刻印がないか調べたほうがよさげだ。見つからなくても「刻印があって云々」と話を膨らませられるし、見つかったらなおさらだ。

昭和40年代までやってた煉瓦工場なら、そこで働いていた人が近くに住んではるかも知れない。もし見つかったら手成形で煉瓦を作る手順を詳細に聞き出しておきたい。でないと凹み筋の謎が解明できず、用語論争で無駄な時間を費やすことになる。煉瓦造りは女性もやったので妙齢のご婦人も聞き取り対象にしたほうがよい。

もし凹筋が関西特有のものであるなら印南郡でも同じ手順で作っていたはずで、実際凹筋のある手成形煉瓦が多かった。&、裏表に刻印があるものとそうでないものがある。推定播州煉瓦合同、推定山陽窯業は欠損があるけれども片側の模様(これは山陽窯業→山本工場→播州煉瓦合同中筋工場と作法が伝承された結果かも知れず。自分で書いといて「なある」と思った今)。


2014-07-05 この日を編集

[煉瓦刻印] 樽井煉瓦社章

樽井煉瓦刻印

ただの煉瓦ぶろぐになりつつある今日この頃、皆様におかれましては(略。先日野田で発見した刻印。一見アルファベット小文字の「m」のように見え、どこのだろうと兢々したが、

画像の説明

どうやらこういうことらしい。樽井煉瓦の社章の押し損ないだ。

樽井煉瓦が社章のみの刻印「も」使っていたことは、kousenさんが和歌山県で見つけておられた煉瓦からも明らか。なにも「タルイ」「TARUI.GO.」や「LENGA」、泉南郡樽井村樽井煉瓦製造所の丸印だけでないのだ。

[pdf] 絵葉書をWindowsへ移行

Ill.epsをdisるとTTFがただしく埋め込めない。表示は可能だがテキスト内容のコピー・ペーストができない。Ill.から直接pdfに保存すれば読めるが画像圧縮の設定がちゃんと機能しない。CMYKになってるはず。絵葉書だけで130MBとか誰が読むか。うんこめ。

慣れているMacだったら無意識のうちに最短経路を通っているが、同じソフトでも細部の仕様が違うせいで何度も何度も何度も出戻りさせられる。イライラしっぱなしだ。

で、受付が2部構成にしたいとかぬかすので中途で切った。絵葉書(6)40ページとかやってくれるもんだと思っていたのだが。さすがにネタをけちったか。小出しにしないとリソースは有限だからな。


2018-07-05 この日を編集

[独言] あっ

[独言]タグは独り言とか見栄を切ったくせに該投稿にはついてねーじゃねーか。ばーかばーか>nagajis

[独言] 後編pdf

取り掛かっている。原稿はすでに8割方できてるんだから楽勝楽勝……などと余裕をぶっこいていたら案の定遅々として進まない。十数回にわたって撮影した写真の山から該当場面を探し出すのに時間がかかる。残り2割の書き足しに手間を取られる。できあがっているはずの8割に手を加えたくなる(なんか根本的なところを間違ってるし)。相変わらずの体たらくである。これに関連リンクとかつけはじめたらそれだけで一晩潰れそうな塩梅だ。

[独言] 多少燃え尽きている

6月末締め切りの原稿2本を上げたところで半分燃え尽きた模様である。音水を断念した残念を叩き込んだしな。そして上述の通り原稿の粗筋はできていたという気安さもある。しかし案の定たることが案の定判明して案の定の焦り中。あと落合川橋梁も書かなあかんのよ君。

だいたいさぁ、調査のキモだった大879−2を間違えるなんて、どーよ。他人事みたようなじゃないか。え。これからはKINIAS投稿を最終版として重要なデータはそっからとってくるように>nagajis。

[独言][コアダンプ] 千尺竿頭から十字街路へ

ようやく感覚として理解されるようになった気がする。日本史世界史を暗記するように、あるいは数学の定理のように、「そういうものとして理解する」んではなくて、省悟として。&、取って返さないと死人禅だということも。だってそれこそ無法地帯だものな、自分も他人も同一物なら手当り次第にぬっ殺しても金品を奪ってもお咎めなしってことになる。そうじゃない。同じだからこそ大切にせよってゆう話。だし勝手に帰ってくるもののはず。

多少見え方は変わるけれどもモノは以前通りのモノであり続けているはずで。あ。仏陀はモノまで言及してねえか。でもまあ人に優しくする理由にはなるだろうなあ、それが自分自身でもあるのなら大事にしなきゃあ。いや違うか、「自分自身」というものもないのだなあ。巨大な一つの集合知みたいなもんか。

あれ、自己嫌悪ってどこに落ち着くんだろう? 自分が嫌いだったらこの感覚は生まれない。齢をとって自己嫌悪に飽きちゃったということかしらんねぇ。

[古レール] ASCE

https://archive.org/stream/steelrailstheir02sellgoog#page/n28/mode/2up/search/A.S.C.E+rail+standard

1893年8月2日に提出された。明治26年。じゃあ日本がM30に採用したっていうのは何なんだ。

上記資料は結構おもしろい。ASCEの重レールが製造業者に受け入れられなかったのはベースのエッジが薄すぎて作るのが難しかったためだという。んでARAがARAためて1907年10月に提出した規格の重レールができる。ARA-AとARA-Bの2シェイプ。これもいろいろ問題があったっぽくて、これとは別にPennsylvania Railroad systemのjoint comitte(東西ピッツバーグの機械・土木技術者の集まり)が85ポンドと100ポンドを再設計している。1907年9月のこと。してそれも多少修正が加えられて現在?に至る。そんな感じのことが事細かく書かれてある。


2020-07-05 この日を編集

[独言] 都知事選@NHKラジオ第一

20:00直前「出口調査や期日前投票の結果などから独自に当確情報を出すことがあります」

20:00時報

20:00~都知事選速報「小池百合子氏の当選確実となりました」

という瞬殺の流れでワロタ。誰もが認める有能な人物がいるということは良いことである。


2021-07-05 この日を編集

[独言] 続三千里を探して三千里

上中下巻が揃っているのは茨木市立中央図書館だけだと知りさっそく出かける。目当ての記述は上巻にあった。もうちょっと描写が多いと嬉しかったが、贅沢は言わない。

明治の末頃に全国を歩いた記録、しかもこれほど広範囲に渡るものは珍しい気がする。碧梧桐を侮っていた。正編は講談社学術文庫になっているようだが続三部は未だらしい。残念だ。

[奇妙なポテンシャル] 仏法的に正しいロシア的倒置法

画像の説明

そんな茨木市でこの看板に出会った。素晴らしい。これほど正しいロシア的倒置法は見たことがない。毛の先ほどの瑕疵もない。

あまりに完璧過ぎて加えられる批評もない。世人須らくこの標語を記憶し暗唱すべきである。


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