nagajisの日不定記。
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桂川橋梁のことを書いていて、そういえば阪急にも官営鉄道の橋脚があったよなーちゃんと見てなかったよなーと思い出し、調べてみると、淡路の立体交差事業の絡みで撤去される予定になっているらしかった。毎度のことだがnagajisのアンテナ感度の鈍さには呆れる。いつだって撤去直前とか消滅直後とかに気づいて、そうして地団駄踏んで慌てるのだ。
神崎川橋梁の現況。昨年の11月に仮橋への切り替えが済んで、上部工が撤去された状態。打ち上げのコンクリートもすでになくなっている。官営鉄道時代の橋脚は川の中ほどにある2組の円形橋脚だ。
桂川橋梁の謎が解けたいま、上流側(写真奥側)のほうが初代橋脚、下流側がM32に複線化された際のものに違いないと思う。上に乗っている笠石の仕上げも上流側のほうが丁寧だ。そうして下流側からはかなりの確率で「A」「B」「C」の3つの刻印が出るはず。問題は上流側で、A~Eの4種類(きっとCがない)が出たとしても、それだけでは堺の官営工場後の原口煉瓦が製造したのか京都の浅田組だったっけかが製造したのか特定したことにはならない。どちらからも持っていける範囲だからな。違うものが出れば最も素直で良いのだけれども。A~Eが出たとしても書体比較で区別がつけられるかも知れぬ。
6番の煉瓦Pが謎。ここだけ五角形の水切り付きの煉瓦橋脚になっている。煉瓦の厚さは初代に近いように見えるが、やはり後年追築されたものだろうか? 充填コンクリに破砕した煉瓦を混ぜてあるのがちょっと面白い。
神崎川橋梁の南手、府道をまたぐ個所に残っているこの橋台も撤去される。上流の橋脚が古いと考えるなら、この橋台も大半がM32追築分と言わざるを得ない。足元にアーチが仕込んであっていかにも古そうに見えるのだけれども、線形が合わないのだ(写真は下新庄駅方向を向いている。左が上流側、右が下流側)。そうしてこの橋台はまだ継ぎ目がわかりやすい。そのうえ上流側の端をいくぶん削りとった痕跡がある。そもそもあれか、アーチ部が元からあったのだとしたら左を壊して継ぎ足したら左右非対称になるはずだよな。元はアーチのない一枚壁、それにアーチつきの壁を継ぎ足して左右対称にしたと考えねばならぬ。
盛土剥がしの始まった線路敷にはこんなものも出土していた。上記橋台とそっくりの橋台の遺構。アーチまでついている。金網越しに穴が空くほど見つめたけれども刻印は確認できなかった。古い側は仮線築堤の下に埋もれているはずで、そちらはどうしようもない。築堤の土留の矢板がぶっすり刺さっているはずである。
阪急電鉄さんにお尋ねすると、神崎川の橋脚は渇水期をねらって撤去するそうで、今年の11月頃まではこの状態で据え置かれるとのことだ。公的機関による調査も行なわれることになっているそうで、その点はちょっと安心している。そりゃそうだよな、阪急さんが無碍に壊してポイするはずも、吹田市がこれを見逃すはずもないもんな~。