nagajisの日不定記。
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岩波文庫版寺田寅彦随筆集は飛び飛び時々に読んでいたけれども編年体の全集として読むとまた違った感慨が湧く。まことに律儀で正確な眼を持った科学者であるに加えて読む者を引き込む上手さも備えた文学者。人や生き物や自然に対するあたたかなまなざし、時おり開陳してくられる嫌味のない皮肉は柳田翁に通じるな、と思ったらほぼ同年代の人なのだった。もっと若い頃に読んでおけばよかったと悔やんでも遅い。
後半生は地震や風水害など天災の研究をされた。災害に備えることの重要性をこれでもかというくらいにわかりやすく実感を込めて書いて伝えてくれている。台風進路の予測も火山活動の危険察知も氏の頃に比べて格段に確実にできるようになっている。にもかかわらず自然災害の被害は常に「想定外の規模」だ。地震だって、予知はまだ無理だけれども建物ははるかに丈夫になり耐震免震も考慮されているはずだのにかのありさまである。 どういうわけだろう。
さっきもラジオで衝撃的なニュースが流れていた。さきの西日本水害の被災地で災害特別警報の意味を尋ねたところ正確に答えられたのは半数以下だったそうである。非常に危険な災害になるだろうことが予測されていて、それを伝える警報さえ出されていたにも関わらず伝わっていなかったわけで、寺田先生が聞いたら嘆きに嘆いて血を吐いて倒れるんじゃないかと思うような調査結果ではないだろうか。
結局のところ、日本という国は災害が起きて当たり前の自然環境であって、それを無くしたり逸らしたりすることはできないのだから、寺田先生も言っているように)一人ひとりが強いぼ防災意識を持たなければならない、という言い古されて垢まみれな言葉のとおりを実行しなければ、息災に暮らすことなどできないのである。雨が降れば山が崩れて当たり前である。台風が来れば堤防が決壊して当然。数年に一度は巨大ななゐに襲われて足元を掬われる。あるいは津波で全てを失う。そういう土地に暮らしていることをめいめいが自覚してそれに備えなければならないのだろう。
警報の意味を知らなかったと答えた人の中には「説明責任を果たさなかった国が悪い」と言う人もあるかも知れない。他の警報・注意報と紛らわしいところがあるのは否めないと防災研究の専門家さえもが言っていた。だから、警報の上に階上屋を立てるがごとくの特別警報を設けるより、いっそのこと警報の体系を根本的に作り直すことも考えたほうがいい、的なことも言っていた。そうしたところで今度は「ころころ替わってよくわからない」と言われるのは、目に見えている。
ニュース解説であれだけ何度も警報の意味を述べていたし大雨の前後最中も盛んに避難を呼びかけていたにも関わらず何の対策もしなかった人々が即ち被災者となって「こんな被害は初めてだ」「こんなことが起こるとは思ってもいなかった」的なことを宣う。自然災害の責任を国や行政に押し付けるような物言いを耳にしたこともある。確かに一部は関わっているかも知れないが諸悪の根源では決してあるまい。むしろ自分自身が用心を怠っていたことのほうを反省し今後どうするかを考えるほうが先なのではないか。本棚につっかえ棒をするとか煉瓦壁を分散さすとか非常食の備蓄を始めるとか、備えを万全にしたうえで環境に文句を言わなければならないのではないか。 敢えてこんなことを書くのはもちろん自分自身に向けた戒めとするためである。