nagajisの日不定記。
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所用で滋賀へ行ったついでに足を伸ばしてきた。記録上一度しか出て来ない小さな工場のはずなんだけれど、どうしてどうして、その痕跡はまこと濃厚に残っていた。奇縁を得て工場所在地とされる場所も判明した。残念ながら刻印は使用していなかったようで、長浜鉄道スクエアで見た「井桁は八」も見つからず。
この工場で厚70mm超の厚煉瓦を作っていたのは間違いないようで、寄進されたという西光寺のこの壁にも、その他葛木(カツラギだかんな!)の在所内にも厚煉瓦は多数転がっていた。M21~30頃、確かにこの辺りにはこの厚さの煉瓦の需要があったのだ。
久しぶりに虫生野の橋梁にも寄ってみた。そうして漢数字六の他に、遠目にはよくわからない刻印があるのを見つけて、望遠で頑張って撮影してみたけれども、
わからないものはやっぱりわからないのだった。困ったことだ。
煉瓦についての発見もさることながら、また、例の道路元標らしきものを発見してしまった。県道の起点を示した標石だ。ほぼ同じものが長浜の高田の辻にもあった。そしてどう考えても戦後の作らしく見える(「滋賀県」だったり幅20cmだったり県道番号が刻まれていたりする。写真のには番号ないけど)。新道路法では道路付帯構造物に含まれているだけで設置義務も基準も示されてないのだからわざわざ作る必要はないっちゃあない筈だ(実際そういうのを他県で見たことはない。大阪市道路元標とかはちょっと違う意味合いの、単なるモニュメント的なものと思うんだけど。どうなんだろ、あれを基準にして県道起終点を示しているようには思えんなあ)。滋賀県独自の取り組みだったりするのだろうか。
その昔、泉南市の三和煉瓦跡で撮影したもの。明らかに耐火煉瓦という風合い。
過日茨木で見かけたもの。いかにも赤レンガという色であり、欠けたところから見える内部もそれに近いように感じた。同じ刻印でもこんなに違う。耐火煉瓦の型枠を流用して赤煉瓦を作ってみました、というような感じがする。実際そうなのかもしれないし、アカを使った耐火煉瓦なのかもしれない。よくわからない。
そんなことがあったばかりだというのに、今日もまた似たような状況に遭遇した。
中央に「M.S.B.」とだけ刻まれた煉瓦。刻印のパターンは耐火煉瓦的だが、いかにも赤れんがっぽい(略。
その近くにはまごうことなき耐火煉瓦色した「M.S.B.」。困ったことである。
Bはbrickの略だろうけど残りの2文字がわからない。隣には昭和耐火煉瓦らしい「SHO<>WA」耐火煉瓦があるから三重や愛知岐阜方面から来たものかも知れない。ますますアテがつけにくい。
だんだん、耐火煉瓦というものの認識力、鑑識眼が疑わしくなってきた。