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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-08-30 この日を編集

[陸幼日記]八月三十日 土曜日 雨

マンモスは骨のみか肉が氷りて残りたるか二つの議輸が分れ、其の結果は遂に不明となりたり。三時間の授業も漸く終り、帰省準備の午後となりたり。何やかやと持参する者あり。十三時より十分間、帰省謹告あり。体重測定なしたるが、五〇〇グラム減じ残念なり。今日定めたる予定通り必ずや行わん。


1943-08-30 この日を編集

[陸幼日記]八月三十日 月 晴後雨

今日も特別授業は全く昨日に同にして製図は三八式歩兵銃断面図なり。午睡なく一四・〇〇より運動場に於て藤井正和(四六期三訓夏季休暇中川内市の自宅に於て二十日急性肺えんにて死亡す)追悼会行われついで教練は不動姿勢・敬礼あり。一五・三〇に骨を校門に送りて後一時間は随意にして随運は鉄棒の下にて黙って坐しいたり。倦怠なればなり。誰も彼もが雑談なり。真に漸進主義なり。夕方より両二時間ふるも未だに涼しくならず蒸暑く困る。今の所緊張十分なり。起居に慣る。良好なり。


2008-08-30 カウントダウン2 この日を編集

カウントダウンには敢えて触れない。煮詰まっているのだっ。

[奇妙なポテンシャル] #59

アメリカ合衆国アーカンソー州と聞いて

あー、乾燥

とかみんな思ってるに違い無いと思う。口に出したり書いたりしないだけで。その言葉を聞くたびに脳裏の片隅でちらっと

あー乾燥…

とか3点リーダーつきでみんなそう思ってるのに違い無い。そうに違い無いのだ。私だけじゃないはずなのだ。黙ってるなんて卑怯なのだ。

かといっていちいち口に出されても嫌だけどな。

アーカンソー州だけにあー乾燥。ゲハハハハハゲハゲハ

そのへんの暗黙の了解、あるいは意思疎通のアワイとでもいうべきものが、実は文化の本質なのではないかと思う。百の言葉を費やしてようやく伝わるようでは文化とは言えないしましてやコモンセンスでもあり得ない。文化を文化たらしめるべく人はあー乾燥と口にしないのかも知れない。

そのアワイをわざとずらすと笑いが生まれる。わざわざ書かないことを敢えて書いてみてあぶり出される可笑しさ、あるいは予期せぬ言葉で継いでみた時の意外性。しかしあまりずらし過ぎて暗黙の了解を裏切ってしまうと人を白けさせ怒らせる結果に終わる。失敗だ。難しい。

アーカンソー州はロドリゲス

暗黙の了解の範囲は人それぞれ。許容されるずれの閾値もそれぞれ。いわゆる不条理漫画を笑う人と笑わない人の別はこの辺りにあるような気がする。

何が言いたいのかは相変わらず判らない。そもそもホントにみな「嗚呼乾燥」と思っているのか。文化の側に入りたいだけちゃうんか>nagajis


2009-08-30 UGU この日を編集

[廃道本][] 必死にpdf

つくってます。えらいことになりそげなおかん。

解答用紙最低80枚用意しなきゃいけないんでしょ。誰が作るのさ。

[独言] セミ 震電のエンヂンではありません

ヒグラシを夏の終わりの風物詩だと見る向きがいるらしい。信じられない。ヒグラシは真夏の夕暮れになくてはならない存在ではないか。クソ暑い一日がヒグラシの声で涼しく暮れていくのではないか。あるいは深山の木陰で涼やかな音色を聞かせてくれる清涼剤ではないか。だから都会ンもんは困る。夏の終わりといえば音が続かないツクツクホーシだろjk。

ツクツクツクホーシ

ツクツクツクホーシ

ツクツクツクホーシ

ツクツクツクホーシ

ツクツクジーヨーツクツクジーヨーツクツクジーヨーツクツクジーヨージーーーーー

夏が更けていくにつれて「ジーヨー」の回数が4回から3回になっていく。やがて2回くらいで断念するやつが出始め、中途半端なジヨヨで終わるようになって「ああ、夏が終わるなあ」と思う。

関西に来るとなぜか最初から3回がデフォなやつがいて困る。クソ暑いのに夏の終わりかと思う。4回目を期待して拍子抜けする。こういうやつは撲滅せねばならない。

いちばん嫌いなやつはクマゼミだ。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねいうてくる。いらいらする。ふざけんな。こっちは貴様の4倍生きておるのだ。クマムシは尊敬するけどな。

以上ヤなやつを演じるnagajs。地でもいいけど。

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_ とと [nagajisに栄と誉あれ。お試しあれ、あれ?]


2010-08-30 この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #190

池谷風。

画像の説明

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_ traffic [(°□°;)…]


2011-08-30 この日を編集

[独言] 帰宅

画像の説明
ゲ○しんどい登りでかえって馬鹿みたいに全速力出して登ってしまう状況を「脳みそが沸騰する」と呼び習わしていたように記憶するが,長袖ジャケットを着て背丈ほどもある熊笹を全力で薮漕いだ結果「体液が沸騰した」.おかげで腕時計無くすわ足は痙るわで散々だった.結果的に2勝1負1引き分けといったところ.

写真は初代安養寺隧道.大正福井県史がいう「峰道切下げ」がこの隧道を指すなら明治八年頃竣工ということになる.ほんとかよ.

もう一つの通称北山隧道はつい4年前まで現存していたものと思われる.今は両坑口とも埋没済.晩年は利用は略ゼロに等しかったようで,誰に聞いても「話だけは知っている」あるいは「子供の頃に一度通ったことがある」という程度だった.前者は明治生まれのばあさんは樫津だったか船場だったか八田だったかから安養寺へ嫁いできて,当時はこれしか道がなく何度も行き来したと聞かされたとのことだった(70才代のおいちゃん談).樫津の方は比較的若い55才だったが3,4才の頃に祖母に手を引かれて白石の親戚の家へ行った時に通ったことをかすかに覚えていると.

丹生郡のこの辺りの地形はとても独特で,基本的にはなだらかな丘陵地帯なのだが,低く鋭い峰筋がそこへ貫入していて,隙間を流れて鋭い谷を刻む川とともに在所を区切る境界線となっている.凸凹な山に泥水をぶちまけてあらかた均したあとに水を撒いて谷を刻んだようなかんじ.狭く険しい谷筋道を抜けると一面に稲田が広がる段丘の上に出たりする.して谷向こうの段丘に明るい在所.福井平野に比べれば不便だが,この広大な耕作可能域は人が住むにあたって大きな魅力になっただろうと思うが,それや焼き物,信長一族出身地ということだけで交通網が発達し明治大正昭和初期の隧道だらけになったようにも思いにくい.鉄道だって鯖浦線以外にも「ほとんど谷毎に1つの」計画があったという.いまだによくわからない.やはり梅浦の海岸線なのか.


2017-08-30 この日を編集

[] 明治36年 第五回内国勧業博覧会 煉瓦公評

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900914/37

前回から10年。重工業の世となり需要のベクトルが変わったせいか耐火煉瓦が先に評されておる。そうして煉化石。ここでも煉化石なのは内務省の拘りなのか(このへんが「煉化石」のオシリと思う。官報ではM33が最後?)。

抑も煉化石の主要用途は建築材料にあるを以て其の需要者は大都会にあり而して其の価格は低廉にして重量大なるを以て之を遠地に運搬すること能わざるを以て主なる煉化石製造業は必ず大都会の附近に於て起るべきものとす但僻地に於ても鉄道其の他土木工事等にて一時多額の煉化石を要すべきもの無きにあらざれば斯かる土地に臨時工場を起こすものありと雖も到底永続すべきものに非ず即ち前表に就て見るも東京府及び埼玉県は主として東京市を其の供給地とし大阪府の大阪市愛知県の名古屋市に於けるが如し独り北海道には大都市なきに係らず産出額多きは函館鉄道其の他鉄道道路市区の新設等ありて之を要すること其の主なる源因なり

故に斯かる大都会の附近にある大工場は器械に於ても将た亦窯に於ても一般の設備稍整えるものありて其の製品亦見るに足ると雖も地方に散在せる小工場は堪能なる技術者を有せず諸般の設備具わらず其の製品も亦不完全なるもの多し

煉化石の製造に肝要なる事項一にして足らずと雖も粘土の混捏は其の最要素の一なり然るに本邦製造所の多数は器械力に頼らず人力を以てするもなるを以て粘土混捏力甚だ不完全にして製品は其の色合均一ならず形状の苦窳及び亀裂等を生ずるもの多し最も注意すべきことなり鳥取県出品の如きその著しきものとす

之に反して埼玉県日本煉瓦製造株式会社及び大阪窯業株式会社の如き耐震軽量装飾等各種の製品を出品し能く大都市の供給者たることを示せり将来益々改良を謀らば製品の進歩期して待つべきなり

審査上参考の為め施行したる吸水量検定の表を左に示す

(畧。京都山田善右衛門(竹村煉瓦)、大阪林尚五郎(津守煉瓦)、日本煉瓦、堺煉瓦、大阪窯業、丹治利右衛門(丹治煉瓦)、山岡尹方(岸和田煉瓦)、貝塚煉瓦、香川西讃煉瓦株式会社、愛媛渡部万次郎、徳島天羽九郎(天羽煉瓦)、広島池田吾一郎、西山善右衛門(西山煉化製造場@賀茂郡三津町)、大成庄次郎(大成煉瓦工場@豊田郡木谷村)、竹内宗太郎、平野友七(平野煉瓦製造場@賀茂郡三津町)、鳥取笠原久一、田中初太郎、田中秀造、松原仁平治、岐阜岡田平八、島根岡要蔵、愛知片山幾太郎(片山煉化)、長田栄次郎、倉田利三郎(倉田工場@愛知県碧海郡新川町)、兵庫山陽煉瓦合資会社)

巻頭の製品は一般に吸水量多くして関西の煉化石は一般に緻密なることを見るべし

表は吸水率と出品者名と製品名だけなので略。この頃には府下六大窯業会社が出揃って完璧な六強時代が現出しておった。小工場の出品がまったくない。

最後にこそっと関西を持ち上げてる辺りは大阪開催を慮ってのことかしらん。この時期でも関西の機械整形は大阪窯業しかなかった。


2018-08-30 この日を編集

[] 寺田寅彦全集(岩波版)

岩波文庫版寺田寅彦随筆集は飛び飛び時々に読んでいたけれども編年体の全集として読むとまた違った感慨が湧く。まことに律儀で正確な眼を持った科学者であるに加えて読む者を引き込む上手さも備えた文学者。人や生き物や自然に対するあたたかなまなざし、時おり開陳してくられる嫌味のない皮肉は柳田翁に通じるな、と思ったらほぼ同年代の人なのだった。もっと若い頃に読んでおけばよかったと悔やんでも遅い。

後半生は地震や風水害など天災の研究をされた。災害に備えることの重要性をこれでもかというくらいにわかりやすく実感を込めて書いて伝えてくれている。台風進路の予測も火山活動の危険察知も氏の頃に比べて格段に確実にできるようになっている。にもかかわらず自然災害の被害は常に「想定外の規模」だ。地震だって、予知はまだ無理だけれども建物ははるかに丈夫になり耐震免震も考慮されているはずだのにかのありさまである。 どういうわけだろう。

さっきもラジオで衝撃的なニュースが流れていた。さきの西日本水害の被災地で災害特別警報の意味を尋ねたところ正確に答えられたのは半数以下だったそうである。非常に危険な災害になるだろうことが予測されていて、それを伝える警報さえ出されていたにも関わらず伝わっていなかったわけで、寺田先生が聞いたら嘆きに嘆いて血を吐いて倒れるんじゃないかと思うような調査結果ではないだろうか。

結局のところ、日本という国は災害が起きて当たり前の自然環境であって、それを無くしたり逸らしたりすることはできないのだから、寺田先生も言っているように)一人ひとりが強いぼ防災意識を持たなければならない、という言い古されて垢まみれな言葉のとおりを実行しなければ、息災に暮らすことなどできないのである。雨が降れば山が崩れて当たり前である。台風が来れば堤防が決壊して当然。数年に一度は巨大ななゐに襲われて足元を掬われる。あるいは津波で全てを失う。そういう土地に暮らしていることをめいめいが自覚してそれに備えなければならないのだろう。

警報の意味を知らなかったと答えた人の中には「説明責任を果たさなかった国が悪い」と言う人もあるかも知れない。他の警報・注意報と紛らわしいところがあるのは否めないと防災研究の専門家さえもが言っていた。だから、警報の上に階上屋を立てるがごとくの特別警報を設けるより、いっそのこと警報の体系を根本的に作り直すことも考えたほうがいい、的なことも言っていた。そうしたところで今度は「ころころ替わってよくわからない」と言われるのは、目に見えている。

ニュース解説であれだけ何度も警報の意味を述べていたし大雨の前後最中も盛んに避難を呼びかけていたにも関わらず何の対策もしなかった人々が即ち被災者となって「こんな被害は初めてだ」「こんなことが起こるとは思ってもいなかった」的なことを宣う。自然災害の責任を国や行政に押し付けるような物言いを耳にしたこともある。確かに一部は関わっているかも知れないが諸悪の根源では決してあるまい。むしろ自分自身が用心を怠っていたことのほうを反省し今後どうするかを考えるほうが先なのではないか。本棚につっかえ棒をするとか煉瓦壁を分散さすとか非常食の備蓄を始めるとか、備えを万全にしたうえで環境に文句を言わなければならないのではないか。 敢えてこんなことを書くのはもちろん自分自身に向けた戒めとするためである。


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