nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
わずか数行の文章でも思うように書けない。ふだんからテキトーばかり書きなぐっておるからだ。かといって練って練って練る練る練るねってもまともなものにはならぬ。さくっと書くのが吉。
ハテ大阪には城北煉瓦なんてなかったハズだが>大阪毎日大正3年の記事「煉瓦減産」。
ここに出てくる京都の田中宇兵衛に注意。大萱田中煉瓦工場の工場主であるはずだがT3頃まで操業していたことになっている。M28の内国博覧会にも京都の田中宇兵衛として出品。販売所が京都にあっただけなのか?
↑みたいなカンジに名前で工場の継承関係を追える可能性があるから羊羹フル起こししているのだけれども、全国分に手をつけはじめたということはあの欄の全部のテキストを起こそうとしていることになるわけで、なんともまあご苦労なこった。
京近煉瓦株式会社には大高庄右衛門も参加。して工場は膳所。機械には足田鉄工所製の抜機がある。あれ、山田村にもなかったっけ?そっちだったら後につながるんだけど。
農商務省貸下機械が入った工場。英国製・独国製。
王子煉瓦と八王子煉瓦は別物。後者はM30に由井村に操業。機械+丸窯で操業しようとしたが機械不調でうまく回らなかったとある(「多摩のあゆみ」No.102)。えっとそれはそういう明言があったのだっけ。機械成形を加工するのはどこも一緒だったくさいんだけど。あと大阪窯業は基本独逸びいきだから(大高が留学して煉瓦製造を学んだのも独逸)米国式のを良く言わなかっただけなんじゃ中廊下。
そうして何故か「本邦に於ける信頼すべき煉瓦工場」に名を連ねている不思議。M35通覧以前がまだ追えていない現状ではまったくブラックボックスだ。
平日しか閲覧できないというので明日午前休を取って行こうと思っていたのだが、念の為にと思って問い合わせた結果、肝心の「付図」がないという。行っても意味がないではないか。ううむ。
挫かれた出鼻を持て余しつつ色々考えた末、もう一度よそに所蔵がないかどうか探してみた結果、たった一箇所だけ所蔵館を発見した。また、埼玉だ。
倉庫の中に毛虫が迷い込んでいたので拾い上げて手のひらに乗せ「もう入ってくるんじゃないぞ~」とか何とか語りかけつつ外に出ようとしたら半開きのシャッターの角で頭を強打した。手のひらに乗せていた毛虫がすっ飛んでしまうほどの勢いだった。ばーかばーか。他の魂を慈しむ暇があったら自分の頭の蝿をoh year!ってんだ。
頭を激しく打ったことで耳鳴りが収まったりしたらよかったのだがそんな僥倖もなく(絶賛再放送中である)。かといって酷くなったわけでもないのでプラスでもマイナスでもないニュートラルな日常と思うことにする。そういうたわけた毎日を過ごしていること即ち幸せなのである。