nagajisの日不定記。
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大和高田市は奈良県南部の中核都市。明治20年代の後半には大阪鉄道が到達し、駅すぐ隣に高田紡績ができあがって「綿業の町」として大繁盛した。そんな大和高田市に煉瓦がどれくらい残っているか? は一度確認してみたいものだと思っていたのだった。
高田紡績→あれやこれや→ユニチカと変遷した工場はすでに跡形もなく、大々的なマンション街に生まれ変わっていたりして、近代の痕跡は期待していたほど多くはなかった。けれどもそんな大和高田の市街地の狭い狭い路地の端で未見の煉瓦刻印に遭遇した。
なんとも描写しづらい形である。たぶん写真は天地逆なのだと思う。ナカグロというか●というかがチョンチョンがついたヤマを被っている。そう見てようやく描写可能な、そんな記号だ。はじめは手書きかと思ったがそうではない。そして他所では見たことがない印である。
初見の煉瓦刻印が見つかるのはうれしい反面、稀な刻印=同定しづらい刻印なわけで、製造業史を明らかにするんだ!と嘯いているnagajisの喉仏のへんにぐさりと突き刺さる魚(とと)の骨でもある。そういうものとして他の何かと一緒に飲み込んでしまえば支えも取れるかも知れないが、よく咀嚼して食わないと消化不良を起こしそうだしむしろそれで胃を悪くするほうが私は困る。疼痛でその存在を時折思い出させてくれたほうが有難いといえば有難いのである。どうせ会社の同定なんて、どうあがいたって100%な真実には至れないのだ。
しかしこれ、ホントに天地逆かな。ヤマに等長記号みたいなチョンチョン入れたんって他の屋号でも見たことがない。しかもヤマの中身ナカグロだし。かといってこれで正体だったとしてもまあ困るんだけれど。
表側がどうなっているか見たいところなのだが斯の如くなコンクリ固定で如何ともできなかった。同じ並びには播煉と思われる三本線、手前には大阪窯業の遊離転石。長屋的な民家の前庭の花壇石になっている。
大和高田は現県道2号線がかつての高田川だということを意識しながら歩くと面白い。平坦な市街地の中を抜けるこの県道のところだけが一段高くなっていて、以前は天井川だったことがよくわかる。市街地はうねるその川の脇に格子を切って作られてある。高田川の付け変えはたしかその権衡工事として西熊野街道が開鑿されたんじゃなかったっけか。大和の国中と吉野と、遠く離れているように見えてちゃんと関連がある。
鉄道が早く開通したせいか高田城と市街地の関係よりそれ以外のほうがはっきりしている。確かにその方面に古い町家が残っていたりはするが鉄道でぶった切られているため城下町的な印象はしない。
兜じゃないでしょうね?
あ、その発想はなかったですなあ…。頭に留めておきます。