nagajisの日不定記。
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珍しく、まことに珍しく何の不都合も起こらなかった一日。長閑な陽光を浴びながらほべーっと散歩した、そんな一日。
この間のつどいで橿原神宮整備事業に触れたので久しぶりに訪れてみた。橿原道路元標は以前のとおり。最近GoogleMapsで道路元標の位置が表示されるようになったみたいだが彼の存在はガン無視されている。哀れなものである。この調子だと川上村道路元標も無視されていることだろう。ここで文句をひと鎖投げそうになったがやめておく。そういうイガイガした気分は今日の散歩の気分にふさわしくない。
目的は天満村箸喰の奈良煉瓦。戦後から30年代まで煉瓦を作っていたらしい場所。なんとなく気になって行ってみる気になったのだ。天満村の大半はいま大和高田市になっているけれども、その東の端の方にあった箸喰は橿原市に編入されて光陽町と名を変えている。工場所在地番所は川の西側なのだが箸喰の本村は東側の小山の麓だ。
その旧本村のなかを歩き回れば早や焼損煉瓦のなうおんせーる。建物の基礎に使われているものもあれば畑の縁石になっているものもあり、また単体で転がっているものもある。それどころか焼損煉瓦を腰壁に使った納屋があったりもする。この旧村を歩いた時点で今日の目的は9割方達成した気分。
そうして縦貫県道に戻ったところでもっとわかりやすい壁を発見。ここまでふんだんに&明らかに焼損な煉瓦を使ってあるってのは近くに煉瓦工場があった証であるだろう。ストリートビュー見てたら気づいていたかも知れないが、そんな勿体無いことはしていない。現場へ行って偶然見つける嬉しさをはじめから捨てるようなモンダミン。
ここに使われている煉瓦は208mm前後×95mm前後×56mm前後で通常サイズより一回り小さい。JISサイズで型枠作って焼いて縮んだみたような感じ。すべて手成形で刻印はない。爛れ切ったものもあれば旱魃で干上がった池の底のように亀裂っ亀裂なものもある。
工場所在地番地はそこだけが畑になっている。畑というより空き地の一角で家庭菜園をしているという感じ。そこにも焼損煉瓦や瓷の破片が散っていた。
煉瓦は小ぶりのものが多かったように思う。上手く焼けているものは上手く焼けているし(そりゃそうだ)稼働時期が現在に近いので盆地で見られる同様の煉瓦はここに擬してよいのかも知れない。奈良盆地で刻印煉瓦を見るのは稀なほうである。
その後根成柿の辺りまで行って天満神社を一回りして坊城へ向かった。道すがらでは小島煉瓦をひとつ検出したのみ。煉瓦自体少なかった気もする。そうして予定を変更して大和高田の市街地を歩き回った。結果的にはその判断、間違っていなかったようで、初めて見る煉瓦刻印をひとつ検出したりなどした。そのへんはまた後日気が向いたら。