nagajisの日不定記。
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別件でどうしても実印が必要となる事態に陥ってしまい、焦る頭で記憶をまさぐってみると、確か昨年の今頃に年末調整の提出物に押すため持ち出した気がする、と思い至った。ならばあのコートの中だろうかと引っ張り出してみれば備後であった。この件はなんというオチもなく解決。しかしそれに引き続くあれやこれやで年末年始をモヤモヤとして過ごさねばらならないのがつらい。せめて部屋くらいは片付けてスッキリと年を越したいものである。
30は図書館に行く気に傾いている。年末年始は寒波らしいから家で過ごすべく資料を溜め込みにいくのである。
起きた直後は夢を見たような気もしなかったのだが、働いているうちに不意に内容を思い出した。台風で吹っ飛んでビニールシート被せただけ・ままになっている天井をようやく修理してくれるという夢。青いシート越しに職人さんがワサワサやっているのを下から見上げているシーンであった。そうして現実には修理される気配もない。年を越すだろうという予想は的中する可能性大。
東京府統計書は結構妙な作りになっている。M16・M17は所在町村までちゃんと書いてくれているのにその後数年間住所記載がなくなってしまう。そうしてM16は固有名詞がなく煉化工場とあるだけ。M17の固有名詞+住所の工場をM16掲載工場に名寄せするのが困難。豊島村?のものは資本金額で突き合わせられたがもう一方の村のはわからずじまいだ。その後すぐに消えてしまうが、どうも廃業ではなくサブマリンになっているだけのようで、M22の日本帝国興業要覧の煉化生産者名一覧に引っかかってきたりM35工場通覧に引っかかったりしてくる。データ点数が多い/古い割にびしっとキマらないのはとてももやもやする。
日本帝国興業要覧は結構適当な作りで、名寄せすればするほど信頼性が落ちていく。特に東京府以外の工場。南岩手郡には狐森村が存在しないし松戸駅は千葉県だし三戸郡は二戸郡だし。東北諸県に工場が散っているのは日本鉄道の建設と関係があったりするんだろうかと思ったりしたが青森はちょっと早すぎるかも知れぬ。
それよりも監獄内製造所がいくつも出てくるのが意外なような当然のようなで興味深い。水戸上市の茨城監獄、青森の青森監獄、岩手盛岡監獄、と矢継ぎ早に並んでいる。業として製造をやっていたのは他にも小菅や堺や膳所や堀江とか。京都も蹴上の疏水事務所工場を買い取って囚人煉瓦を作ろうとした痕跡がある。小菅巣鴨の前身・小石川石川島も「石監」の印を使って煉瓦を作っていた。監獄で煉瓦を作るのは朝飯に卵かけご飯を喰うくらいの茶飯事だったようだ。
煉瓦製造は単純作業の繰り返しだし結構力を要したし刃物類を使うことがなかったので囚人就労にはうってつけだったのだろう。逆に民間企業の煉瓦製造がどれだけ大変なものだったかが囚人多用のことから推し量られるかも知れぬ。
煉瓦の調査、記録に感激しました。<br><br>小菅監獄所の一番始まりで三浦乾也が指導した記述を探しています。この記述の出所はどこからでしょうか?具体的に何時、何を指導したのでしょうか?
横須賀市自然人文博物館の報告書第49で横須賀製錬所の煉瓦製造についても確認しました。<br><br>こちらでは、大阪や地方の煉瓦組合について掲載されていますが、東京煉瓦組合の掲載が見つかりませんでした。<br><br>ご存知でしたらご紹介頂けないでしょうか?<br>宜しくお願いします。
2018.11.2に東京他、全国のリストがありました。<br>このデータ整理は、大変でしたね。ご苦労様です。<br><br>同じようなことを、第一回内国勧業博覧会のリストを作ってみたいと考えていました。<br>どちらもエクセルで検索してみたいです。<br><br>次の世代は、業界別、業種、カテゴリー別にデータベースがネットで自由に検索できてそのルーツ、出典、論文一覧が検索できるといいですね。<br><br>古文書のデジタルアーカイブ → データファイル → ソートや並び替え検索 → その住所、人物、業種、業界、品物、サービスまでがすべて現在、過去、未来まで自由に検索したいです。
ご覧いただきありがとうございます。関東方面の工場はつい最近調べ始めたばかりですので、目が行き届いていないのが現状です。小菅集治監の件は手元の資料を確認してみます。<br><br>東京の組合は『東京府統計書明治22年』に記載があるのを見つけています。15区内の20の製造業者が加盟していたようですが、加盟者名の具体的な名前はありません。また明治24年版ですでに掲載されておらず、どれほど活動したのかかわりません。これも手元の資料を見なおしてみて、何か見つかれば[煉瓦工場]カテゴリに放り込んでおきます。<br><br>dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806569/82
2018.11.2の記事は入力中のテキストを保存したもので、まだまだ<br>未完成な状態です……。もう少しお待ちいただけましたらExcelで整理したものを公開できると思います。<br>最終的には(中部以西の工場について作成済みの)「工場表」を、関東以東についても作成したく思っております。工場表は<br><br>http://bdb.kyudou.org<br><br>の左欄「資料」からご覧いただけますと幸いです。
私も、煉瓦工場にかぎらず、過去に存在した工場のデータベースがあると、近代史や技術史の研究に役立つのになあと思っています。TPPがらみで著作権保護期間が延長になったため、国立国会図書館デジタルコレクションの資料も今後20年間は増えなくなるわけですから、内容のテキストデータ化に進んでくれればいいのになぁ…なんて夢想しています。
いろいろとありがとうございます。<br>このブログの隅々まで目が行き届かず、追々拝見させて頂きます。<br>そこで、サイトのデータを利用させて頂くのをご了解頂けないでしょうか?<br><br>実は、1軒発見というか、昨日データを整理していて気付きが、ありました。千葉県市川市で「血清研究所」が明治36年創立の建物があってそれ以前に作られたのか不明とのブログがありました。<br><br>こちらの「工場通覧」の中に以下を見つけました。<br>稲荷木工場 鈴木孫左衛門 M31.1. 千葉 東葛飾郡行徳町稲荷木1 職7/3 煉化<br><br>地理的に非常に近いこと、年代がちょうど合致することから、この煉瓦工場または、その跡地などの調査が必要と感じました。<br><br>まだまだいくつか発見がありました。今日まで拝見したデータは、北海道から、近畿までですので、近畿以西、長崎、佐賀、長州の山口県等の工場データを探します。<br><br>こちらは焼物が好きで煉瓦、碍子、近代の製鉄にフォーカスしています。実は日本で最初に輸入された明治2年のイギリス製電信用碍子を見たのですが、そのボルトを日本で国産化したのはどこか気になりました。<br><br>明治4,5年にボルトやナットを国内で作った工場がどこなのか調べ出しました。碍子を国産化したのは有田の香蘭社ですが、そこにはボルトが必要だったのに、どこのだれが作ったのか、ご存知のことがあれば、ご教授下さい。<br><br>年末正月に無関係の年金暮らしで、郷土史研究をしています。<br>今後共、宜しくお願いします。