nagajisの日不定記。
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http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801308/106
それは共盛社だ。
帰宅後すぐに寝てしまって、起きたら22時過ぎ。無駄に目が冴えた頭を持て余して日本諸会社役員録をめくる→京都煉瓦会社を拾う→それ自体は京都勧業統計書で採取済みだったけれども、そういうや共成社製造品煉瓦の件が片付いていないぞ、という泥沼にはまった。M23頃のを開けば共盛回漕会社というのがあって、それを共成社と勘違いし、京都宮津間道路もしくは海上輸送で宮津か、などと考えてしまってますます目が冴えてしまう。それは 共盛 であって共成ではない。その他M25 の商工人名録なんかもひっくり返してみたけれども関連情報は見つからず。20年代前半期以前の商工業社名簿って数限られてるからなあ。だいいち京都府下と絞り込まれてるわけでもないのな。
件の煉化石道は京都市新車屋町の齊藤のぶという人が寄進したもの。福田寶應?實應?という人物が代行して奉建した?節がある。福田姓の人物は円隆寺に関係がある人物か。齊藤さんのほうは商工録で確かめたがそのものずばりの人はいない。下の名前は「のぶ」より下が埋まってたのを雨の中必至になって掘り返して確認したから多分間違いない。
大手橋は『宮津史研究』第三号にあり。これは宮津市立図書館にしか蔵されておらぬ。あの辺りは今年春にでも行ってみたいものである。
M22という寄進年が京都宮津間道路の完成年と一致するのが気にかかるのだが、全通は8月、寄進は6月なので煉化石道のほうが早い。んじゃああんまり関係ないかな。ただおおまかなところはそれより早くできあがってて、桂川橋梁より京都方が最後の工事だったみたいだし。どのみち陸送であの距離を運ぶのはちょっと大変だろう、それほど多量ではないにしろ延々曳いていくのはどう考えても不経済。それより大手橋あたりの煉瓦がどこで調達されたのかを解決するほうが先よ。