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2019-01-03 [長年日記]

[独言][煉瓦工場] Excel整理畢んぬ

畢んぬ、ということにしないといつまでたってもおわらないだろ。

https://drive.google.com/file/d/1yQYRkEdn8SP8B0ro40ytfoPdvRzZ9THE/view?usp=sharing

とかいいながら全国諸会社役員録を見たりしているのはもうだめかもわからんね。ここから月末まではもう、触る暇なんてない。

[煉瓦刻印] 最近接の煉瓦刻印「5」

画像の説明

今日は気晴らしに出かけるつもりでいたのだが、出かける前にコーヒーを買いに階下に降りたとき、ふとマンションの裏側にある細い通路に入ってみたらーーーなんでそんなところに入る気になったのかよくわからない。風の吹き回しがおかしかったと言いたいところだが生憎今日は無風であったーーー、大家さんが作ってはる花壇があり、これがあった。

なんということだ。普段生活している部屋、寝て置きてこれ書いている座席から測っても直線距離にして10mも離れていない位置に、府下では殆ど見られないとか抜かしていた英数字刻印の煉瓦があったとは。そうしてそれに10年以上気付かずにいたとは。おそるべし。おそるべし豊中市。おそるべしnagajisの間抜け。

この他にも「6」と、ここいらでは比較的よく見る「/」が一つ。これ以上の再近接はもうあり得ない。部屋にはたくさんあるけれどそれは人為的な持ち込みなのだし(いわば二次転用物であって煉瓦分布のプロットには利用できぬ)。あとは体内から不意に摘出されるとかいう僥倖を望む以外にない。

そういやおみくじは「失せ物 出る 近い所」とあった。早速当たったようである。この場合はもともと失せてもいないものなのであるが。

[独言][煉瓦] 煉瓦転石の生まれる瞬間を目撃した

その後尼崎に行き、JR駅から阪神駅にかけてと阪神駅南の寺町の周辺を歩き回った。以前JR駅北の潮町のあたりを歩いた時に煉瓦転石を多く見たものだから、尼崎には煉瓦が多いはずと踏んでいたのだけれども、その予想通りに多数の煉瓦を検出した。尼崎くらいの工業都市規模、大阪・神戸といった商業中心からの離れ具合い、開発の停滞具合いはまさに煉瓦転石の条件を満たすようである。実際尼崎には一昔前の長屋が数多くある。現代風の建売住宅の家並みの裏に隠されるようにして古長屋が佇み時を重ねている。そういう土地に私は用がある。

画像の説明

そんな住宅地の一角で、今まさに煉瓦転石が生じようとしている場面に出会った。並びの住宅のひとつが解体され、地面が掘り起こされている最中で、建物基礎に使われていた煉瓦がこのように掘り返され山積みにされていた。こういうのが軒下の花壇縁石だったり植木鉢受けだったり無為に転がるやつだったりになるのだ。建物は木造でも基礎や水回りや溝なんかに煉瓦が使われていることが多い。そういう一昔前の建物が壊された時、今みたように施工管理が煩くなかった時代には「これちょーだい」「ピアノ売ってちょーだい」で貰われていくのが多かったのだろうと想像する。あるいは無言でくすねられていくものもあっただろうーーー「くすねる」なんて言い方が悪いかも知らんな、不用品を有効活用する「もったいない精神」の自然な発露である。そのお陰でいまの私が半世紀以上前の煉瓦を手にして観察することができる。

ちょっとだけ触らせてもらったが岸和田煉瓦の手成形のようだった。これだけたくさん見えているのに刻印があるのは1つだけ。岸和田煉瓦は5個に1個くらいの割合で打刻したそうだから(それは遅くても戦後以降のことと思う)、その通りの状況といえる。

尼崎では三本線刻印やKnシリーズをいくつか検出。機械成形の岸煉や、手成形の大阪窯業・大正丹治なども見られた。大阪と兵庫の煉瓦刻印が見境なく検出されるのはさすが両地域の端境地域といったところ。それから、予期せず尼信記念館を再訪し、岸和田煉瓦らしい細十字刻印を検出したり、これも以前来た時に目にしたはずの善通寺の煉瓦壁に堺煉瓦刻印を認めたりもした。阪神の変電所も行き合わせたっけ。どれも訪問予定ではなかった(尼信記念館に至っては伊丹にあると勘違いしてた)のに辿り着いたうえ刻印まで探し出してしまう自分を自分自身どうかしていると思う。

[ph.] 時計長屋

画像の説明

こんな長屋にも出会った。壁掛け時計が無数に掛けられた長屋。正しい時間を指しているものがひとつとしてないのは魔除けのためである。正しい時間をわからなくして魔のつけこむ気を殺ぐという作戦なのだ。イタリア・シチリー地方の秋祭りでも同じことをすると聞いたことがある。その日だけ街中の時計をデタラメにして悪魔を惑わすわけである。ハロウィンの夜にビッグ・ベンが停められるのも同じ理由から。うん。

[独言] 三本線刻印

今日見たものは二つとも状態がよく、陰茎をもとい印形をじっくり観察することができた。どちらも線の付け根が重なっていて、特に線のひとつが各線の交点を上書きする形で押されているように見える。幅のある三本の線の寄せ集め(中心に三角形の空隙ができる)ではない。この形の「印」を押したのではなく、棒線を120°回転させて3回押したのかも知れぬ。もしそうだったら随分な手間だったろう。2つの印影を採拓して比べてみたいところである。写真で見る限りは似ているようだけれども、線×3だったら角度が変わったりしていそうだ。


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