nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
工場通覧S47-53を取得。序にいろいろ調べていたら、大手前大学史学研究所から内国勧業博覧会の窯業関係出品をまとめた報告書が出ていることを知った。これは手元に置いときたい!あると(個人的には)むっちゃ便利。
さらには三浦乾也の件も片付けることができた。資料掘りまくってよく見つけたもんだと自画自賛。しかし肝心の本はdl.ndlに収録されていて、やっぱり「失物 近い所にあり 出る」なんだなあと思った次第。またひとつ賢くなった。
年明けの頃に断絶コメントを耳にして奇妙なポテンシャルを感じるのがここ数年の習いになっていたのだが、今年は不思議とそれがなく、一体どうしてしまったんだろうと思っていた。しかしつい今しがたNHKラジオのニュースで7歳の男の子がそれらしきコメントを発しているのを耳にした。終始聞いていたわけではないので定かな引用ではないかも知れぬが
七草粥がおいしかった。今年はいい年にしたい。
だったように記憶する。今年もいつも通りの年になりそうだ、と安堵しかけて、いやいやいや、それは至極普通のコメントではないかと思い直した。こうして文字にしたものを読み直しても真っ当過ぎるほど真っ当である。七草粥で無病息災を願う。其処に何の断絶や有らん。「今年は〜」の部分に条件反射した自分がPsの極みである。Ps追求者はやがて自身がPsになってしまうのか。そんな私を等閑視して世の中は至極真っ当な正しい世界に遷移しようとしているのかも知れぬ。それはそれでそうあってほしい気はするもののやはり一抹の寂しさは残る。
そういえば昨年暮れの道路交通情報は饒舌ではなかった。本年最後の道路交通情報というもの自体を聞きそびれたからかも知れないが、17時頃帰宅してから23時45分に初詣に出かけるまでの間じゅうラジオは点けたままであったはずだ。そもかの交通情報は昼間会社で聞くものだったような淡い記憶がある。それでもやはり聞いた覚えがない(肝心の交通情報センターのどなたかさんの声がミュートされてBGMだけが数十秒流れているのは聞いたはず。だがそれが大晦日のことだったかどうかは記憶しない)やはり世の中は清潔で美しくて一毛の瑕疵さえない、nagajisには生きづらい世の中になっていっているのかも知れぬ。Psのない世界なんて考えるだに寒いけれどもそれが世界の総意なら大人しく従う他ないのである。nagajisなど虫下しで下されればよいのである。
神崎川橋梁がいつ盤上げされたのかを調べようとして断念した。明治の淀川改修の時には京阪連線橋梁に影響の出ない案で淀川が改修され神崎川口には神崎川水門が設けられている(M38)。その門を閉じて流入する水を減らすことにしたわけで堤防かさ上げの必要はない。大塚切れしたT6の大洪水では神崎川下新庄の堤が100数m決壊したがこの時にはすでに国鉄は現行線のところへ移っていた(T2廃止、T11京阪神急行電鉄?だったっけ?が跡地を使用)。そのT11の開業時に橋脚を増やしたりはしただろうと思うが堤防を嵩上げしたという記述を見つけられなかった。
神崎川下流域はジェーン台風やらの頃に高潮対策で嵩上げされているのは確か。けれど阪神間鉄道の橋梁よりシモが中心で、その頃上流域はどうであったか。
デレーケが改修計画を立てた頃には上神崎川橋梁の辺りに神崎川含め3本の河川が流れていたらしい。阪急線築堤の下から出てきていた橋脚?はその3川のひとつを跨ぐものであったのかも知れぬ。また神崎川自身も今のような真っ直ぐなものではなかった。この図は淀川資料館所蔵。
現車道の高架の橋台が元神崎川の橋台だったら、と考えてみたが、だとすると以前の阪急橋梁の頃くらい高くないといけなくなる。笠石など挟まず直に立つ高橋脚であっていいことになる。うーん。こういうのは資料館に聞くほうが早いか。