nagajisの日不定記。
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本を売る側から買う側にジョブチェンジする結果となった。なんという流れ。
大大阪時代に架け変えられる前の渡辺橋も四角いトラス桁が使われていた。一連のトラス桁で橋を支えるという形ーーー路面中央に上路トラスの壁があるーーーで、昨今の中央吊りのランガー桁はある意味渡辺橋形式に先祖返りしていると言えるが、それはまあどうでもよくて、問題はその旧渡辺橋のトラス桁のほうだ。「大阪の橋」なんかに載っている古写真を見ると、まさしく浜中津橋のトラスのような四角いトラス桁で、斜材の綾構の入れ方なんかもそっくりなのだった。それで「あ、これも浜中津橋のいとこだ」、神戸〜大阪間鉄道の桁の転用か、と思っていたのだけれど。実際はそうじゃないらしい。「大阪の橋」を読んでいたら旧渡辺橋のスパンは100ftとある。神戸大阪間の鉄橋は70ftなのだ。
んじゃあこれどこから来たんだ?と思ったら、「大阪の橋」にはイギリスから購入したと書かれてある。明治20年から建設が始まったけど鋼材到着が遅れてM21竣工とのことだ。
それはそれとして、もしかしたらと思って調べてみたら、大阪〜京都間の長大橋梁のトラス桁はみんな100ftなのよね。M25時点のあの調書によると。(いっつも名前を忘れる・・・国立国会図書館デジタルコレクション所収)
当時大阪〜京都間でトラス桁を使っていたのは、上十三川橋梁(7連だっけ10連だっけ)、上神崎川橋梁(13連)、太田川橋梁(2連)、そして桂川橋梁(11連)の4橋。あれにはラチス桁ってあるけど件のイギリス式トラスのことだ。して全部100ft。旧渡辺橋の写真を見ても、同じ方向を向いている綾構入りの圧縮斜材を5本数えることができる。10パネルなのである(70ft桁は8パネル)。
旧渡辺橋がM21竣工で、M25時点の調書でみな健在なのだったら、転用も何もありゃしないことになる。無駄に調べてしまったわいな。
なお大阪〜神戸間ののちに六郷川橋梁が鉄橋になって、それは明治村に移設保存されている。確かM7竣工で、大阪〜京都間のトラスはその次のやつになる。六郷川橋梁のトラス桁はよくある台形のやつなので大阪〜京都間のもそうだったかも知れない。