nagajisの日不定記。
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ORJ_noの表記が「ORJ_2001」になって戸惑っている。なんか2001年版みたいだ。というようなことを思っていたらスラドでもそういうネタをやっていた。西暦下2桁でラベルするもんじゃないなあ(使い切るまで生きているはずはないんだけどさ)。
今のペースでもなんとかやっていけそうな感覚を掴んだ。あとはネタを得るタイミングがあるかどうかだ・・・頑張れnagajis。
本当は熊大工学部80年誌を読んでからと思っていたのだが間に合わなかった。思い付いたのが3日前なんだからしゃーない。関大は確か何かで1回だけ行ったことがある。チャリ部絡みだった記憶があるが定かでない。
岡町図書館のUさんには毎回迷惑をかけている気がする。が、やらないで後悔するよりはやって後悔したほうが後悔の絶対値は小さいと思うのだ。まあ読んだからって答えが得られるとは限らないのだけどな。
産業史の襞の襞の襞くらいのところに挟まっているようなことを丹念に拾ってまとめてくられているので、知りたいこととぴったり重なると、これ以上参考になる文献はない。そのかわりとことん調べられ語り尽くされているのでそれ以上何もすることがないように見えてしまう。自分がやろうとしていたこと知りたいと思っていたことが矮小な、酷く偏ったことのように思えてならなくなる。読みたいような読みたくないような気分になり、いずれだとしても改めて書く気力がなくなってしまう。よくないことである。
あと、経済学系の本は畳み掛けるように これでもかこれでもかと情報が提供されるので、その勢いに圧されて主張を鵜呑みにしてしまいがち。疑う余地すら与えない、隙のない論のように思えてしまう(そのへんは柳田国男の論に似たところがあるな。読みやすいのでホウホウそーだったかと読み通させられてしまう。じっくり考えれば結構な牽強付会だったりするのにね)。ホントかどうか吟味しながら読むなんて至難の業だ。そんなだから、最初に出会った記述を毫も疑わずに信じてしまい、ほいほいついていきそうになる。 卵から孵ったばかりの雛みたいなものだ。