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2020-01-14 [長年日記]

[独言] ヤキモチ

サトウの丸餅が余っているので焼いて食うことにしたのだが、はて、何をつけて食おう?と考えた時に少々迷った。そういえば餅を焼いて食うというのは久しくやってない。

記憶をまさぐって出てきたのは「砂糖醤油」だった。子供の頃、焼いた餅を食うといったら砂糖醤油しかなかったような気がする。何も入れない醤油とか味噌とかポン酢とかソースとかいう選択肢はなかった。

実際それを試してみたのだけれども−−−他の調味料もいくつか試してみた−−−、やっぱり一番しっくり来たのが砂糖醤油だった。鼻の奥で混じり合う焦げの香ばしさと醤油の風味。舌に刺さるしょっぱさと後々まで残る甘ったるさ。噛み切れない餅に絡まる甘辛味。どれも「ああこれだ」という感じがした。

餅つき機で作り、熱いうちに丸め片栗粉をまぶして置いておいた餅。あるいはビニール袋に入れて四角く固めた餅。それをいい具合いに切り取って、ストーブの上にアルミホイルを敷いて焼いて。そのまま食べる時には決まって砂糖醤油だった。ただそうやって餅を食べるのは他に何も食べるものがない時のこと、つまみ食いのようにして食うことが多かった気がする。砂糖醤油の甘辛さはおやつの風習がなかった私にとってお菓子代わりの甘味だったのだ(だから、今更餅を焼いて食おうという気がしないのだろう) 。

甘い醤油というものの存在を狂気の沙汰のごとくに考え否定する人がいることは認識しているけれども、私にとっては幼少期の記憶を呼び覚ます味であり、結局はそこへ立ち戻ってしまうような味のようである。逃れられない味といったほうがいいかも知れない。それを否定されるのは、生まれ故郷を貶されるような心持ちがする。根に薬剤を撒かれたような危険を感じる。黙っていられるわけがないのである。


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