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2020-01-16 [長年日記]

[] 妹尾河童『少年H』

何冊手にしたかわからないようなベストセラー本なのだが、このたび改めて読む気になった。この間訪れた駒ケ林やライジングサンの引き込み軌道のことが出てくると知ったからだ。ライジングサンの軌道の件は冒頭に出てきてしまうので続きをどうするか悩んだが結局読んでしまった。うん、読むべきだった。すごく意味のある場所だった。

長田空襲の時に少年Hが逃げ回った辺りを知らずに歩いていたことを知る。阪神大震災のことは頭にあったけれども戦時中の悲劇については思い及ばなんだ。経験したこととしてないことの違いは大きい。2度の悲劇を被った地区……と考えてみて、おそらくそれでは足りないのだろうなと思ってみたりした。さまざまな災害。近世以前のいろいろの戦。亡くなった人が弔われたり同情されたりするのは記憶している人がいる間だけなのかも知れない。記録としては残されてもそれに親身の同情を寄せ得る人がいなくなっていく。これは道理であり仕方ないことだろうと思う。

8月15日を境に少年Hが情緒不安定になっていくこと、その理由、に同情を禁じ得なかった。誰もが右を向いていたのが一夜にして回れ左して正反対になる。戸惑わないわけがない。生き延びるためにはそうせざるを得なかったというのはわかるけれども、端から見ていたらどんなに腹立たしく思っただろう。自分の意思とは無関係な流れが右に左にうねるさまを見せつけられては酔ってしまうだろう。

戦争と流行は似たようなものかも知れない。いつのまにか時流ができていて、確固とした考えを持たない人間はとりあえず従ってしまう。寄らば大樹の影というか、逆らわないほうが楽だからというか。そうやって無意識に時流に流されていく人々が増えていくうちにいつのまにか後戻りできないラインを超えて戦争に突入したり流行が始まったりする。誰もがそれに乗っかって世の中それ一色になったかと思うと、それがまたパタッと止んで、今まで熱狂していた人はどこへ行ってしまったんだろうということになる。それが怖い。自分の預かり知らない祭りが突発的に起こっては止んでいく。見ていると目が回る。だから距離を置く。自分の場合は確固とした信念もなくただ距離を取っているだけだ。

恋ダンスなんかどういう踊りなのか知らないままに終わった。タピオカミルクティーだって飲んじゃいない。MixiとかスマホゲームとかSNSとか数え上げればきりがない。流広告は一切信用できなくなった。巷を賑わすニュースも鵜呑みにできない。されずに立ち止まっている方がエネルギーを消費する。ものである。無駄な神経すり減らしだわな、とは思うが、そうしてきたお陰でやっと、自分なりの考えとか処世術とかが身についたようにも思う。


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