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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2020-05-19 [長年日記]

[C60] 14個目@亀岡市京町公園

画像の説明青い。あれ、つい先日に一個見た気がするぞ。

[既出] イキアタリバッタリズムの極致

本当は湖北に行くつもりであったのだけれど例によって目覚められなかったので変更した。結果、凄まじく行き当たりばったりな旅になり、そのくせ収穫は大きかった。

画像の説明

私が探索に出る時は、長々と暖めていたネタに向かっていくことが多い。最近は特に。資料集めて吟味して、よし確実に記事になるという段階になって、最後の仕上げとして現地訪問するというパターン。しかし今回はネタ発見から解決まで24時間かからなかったという超短期決戦であった。といっても、情報自体はちょっと前に拾っていて、それをすっかり忘れていただけだ。昨日の晩にふと日記を見直して、拾っていたことを思い出したのだ。そうして朝寝過ごしてしまい急遽代替として行ってきたわけである。

画像の説明

あってほしいものがあり(ただし京都鉄道社章だとは全然思っていなかったんだけど)、300m登って300m下ってまた引き返して完全確定さえできたし、序にフィーレンディールな保津峡橋を拝んだ上に落合橋まで行ってくるという暴挙までしでかした。念のために書き添えておくがトロッコ列車の軌道を歩いていったわけじゃないからな。そんなことしたら保守点検か再開予行練習やっていたあの列車に刎ねられている。唐櫃越から降りたんだ。

そうして落合橋の下の川原に買ったばかりのLEDライトを落としてきた。今ならまだあるはずだが今日明日の雨で流されてしまうかも知れぬ。

画像の説明

トロッコの保津峡駅。PM7:00頃の雨の駅舎、誰もいなければ電車が着くこともない寂しい場所。自販機すらない。小さな折りたたみ傘でビショビショに濡れた私がひとりいただけである。

[C60] 15個目

画像の説明 そうそう、これこれ。福島区海老江2丁目の府道に面した公園の。

[大日本窯業協会雑誌] 第5巻(1896-1897)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/54/5_54_185/_pdf/-char/ja

京都製瓦 今熊野町雀の森に白地工場

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/56/5_56_265/_pdf/-char/ja

中國鐵道株式會社の煉瓦工場

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/57/5_57_290/_pdf/-char/ja

津守煉瓦株式會社 當地東區の樋口六右衛門、水落義平、宮本利右衛門三氏外二名により出願

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/57/5_57_290/_pdf/-char/ja

讃岐煉瓦會社 金森清之助君は先月來同會社に勤務中なるが豫て同會社は本會員わる海福悠君の設計に係る輪窯の新築中

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/58/5_58_339/_pdf/-char/ja

煉瓦事業 東筑坂井村字大野田は目下工事中の篠の井鐵道冠着隧道の入口なるが今度東京鹿島組にては此附近鐵道工事の需要に應ぜんとて去月上旬より此所に三町八反歩の地を求めて人夫百餘名を役し既に六七十坪の工塲二箇所を建築し今や窯の築造中の由にて同窯出來上り次第更らに人夫二百名を增し盛んに之れが製造に從事する筈なりといふ尚鹿島組は鐵道工事のある地方には隨所煉瓦工事を設け其需要を充たさん計畫次りという

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/60/5_60_407/_pdf/-char/ja

名古屋監獄署の煉化石 名古屋監獄署の囚徒が製造する煉化は實に上等品にして全國各地の製造所に於て製出する煉化中稀に見る處ものなる由なれば今回鐵道局にては同署と約束を結び鐵造用に使用することゝなしたるよし

[大日本窯業協会雑誌] 第6巻(1897-1898)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/61/6_61_454/_pdf/-char/ja

京都大學建築用の煉瓦に就て。府下の煉瓦が粗悪とて大阪堺の煉瓦に限るとした。不満続出。ついでに山城煉瓦も。鹿背山の福島弓太郎外三名の發起。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/64/6_64_584/_pdf/-char/ja

東京附近煉瓦製造業者の困難 鉄道建設に伴う小工場の簇出

大阪近辺の不況。

淡路國津各郡岩屋町にて営業中なる岩屋煉瓦株式會社

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/65/6_65_635/_pdf/-char/ja

京都大學使用の煉瓦 第一工事の際京都奈良堺等各地方の製造者に入札せしめたる結果一個一錢三厘六毛の割合にて堺、奈良兩煉瓦會社協同にて百六十三萬個を引受けしむる事となり

香川縣下の煉瓦業は近頃頓に其頭數を增し隨て競爭起り相塲次第に下落し一時一個一錢二三厘の品目下五六厘位に降り時しも物價騰貴職人の賃錢高く今の處到底持切れされはとて廢業を企つる向もありと聞く

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/68/6_68_787/_pdf/-char/ja

大坂に於ける煉瓦業の不况

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/70/6_70_890/_pdf/-char/ja

堺市煉瓦業の盛衰

[大日本窯業協会雑誌] 第7巻(1898-1899)

M30頃の煉瓦不況があったものだからか、煉瓦関係の記事が極端に減少してしまう。まーそうか、新しい商売のタネには敏感、潰れていく会社には何の価値もありますまいて。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/7/77/7_77_176a/_pdf/-char/ja

大阪窯業株式會社煉瓦製造の改良

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/7/84/7_84_446/_pdf/-char/ja

大阪商況

[独言] メモ

入り口にからと越の看板→石垣を何度も見る→かなりの傾斜→登り上げ右に折れ石垣の下→尾根に取り付きその先端をじぐざくにのぼる→左に巻いて→谷筋を登るので洗掘進んでいる→一度尾根にもどってまた谷筋→この辺り背丈を下る木のトンネルで薄暗い→洗掘が右に行くところで左上に空→草木に覆われ気味なそっちへ行くと標識の立つ暗部。たぶん唐櫃越の端ではない。そこから左の尾根の側面に沿ってつらつら→基本的に尾根の若干下を右側を行く→不明瞭になった頃杉林、よく下刈りされているので見通しがいい→「境」の標識が端、植生、左から右に越える細道→沿って行くとまた下刈りの杉林、勾配があがって→右方に送電鉄塔。ここで鉄塔方面へは灌木バリアだがこっちのほうがわかりよいかも→尾根を辿り続ければガレが目立つようになる。まるでズリ山→そのまま杉+灌木帯をずるずると落ちていく→現行トンネルの真上に出る→そこから水平に左で地蔵第一。地形図の水平道はこの辺りに見当たらず。レールフェンスの水平には道がない。もっと上で水平に巻くか?

現行トンネルの真上からは水平道なし。その東の谷で水を得て帰る→小さな滝になっているのを上り超えた辺りで水平道が。朝日トンネル方面へは行かず。


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